4月17日の放送では、講師としてみなみかわが登壇。「カーネル・サンダースの壮絶人生」としてケンタッキーフライドチキン創業者カーネル・サンダースの知られざるエピソードについて授業した。授業には、校長の春日俊彰(オードリー)、レギュラー生徒の澤部佑(ハライチ)、吉村崇(平成ノブシコブシ)、そのほか生徒として上村ひなの(日向坂46)、芝大輔(モグライダー)、福留光帆が参加した。
10年もの歳月をかけてオリジナルスパイスを完成させ、会社を設立したカーネル・サンダースだったが、時代の波に翻弄されることとなる。新たな高速道路の建設によって経営していたレストランがドライブのメインルートから外れ、売上は激減。カーネルは65歳にして、25年間守り続けた店を売却する決断を下した。税金や借金を返済すると手元には何も残らず、65歳で無一文というどん底の状況に陥った。
しかし、カーネルは諦めず、唯一残されたチキンのレシピと圧力鍋を車に積み込み、寝泊まりしながら全米のレストランへ売り込みに行くという無謀な挑戦を開始した。この「自ら運転して営業に回る」というスタイルを、芝大輔は「駆け出しのインディーズバンドみたい」と例え、わずかな年金をすべてガソリン代に充てて夢を追うド根性に、吉村崇は「かっけえ!」と感激の声を上げた。当時の営業中の写真が紹介されると、トレードマークの優雅な白スーツ姿に対し、スタジオからは「無一文の人の格好じゃない!」と大きな笑いが起きた。
営業先で1000回以上もの拒絶を経験したカーネルだったが、友人のピート・ハーマンが「チキンをバーレルに入れてテイクアウトで売ろう」というアイデアを出したことで人気が加速。70歳の時には200を超えるフランチャイズ契約を獲得するまでに至った。
この大逆転劇に芝は「かっこいい」、みなみかわは「男として憧れる」と脱帽した。74歳で経営から手を引き親善大使となった後も、カーネルは90歳で亡くなる直前まで世界中を飛び回り、その中には日本への訪問も含まれていた。現在は世界150以上の国と地域で3万店舗以上を展開する世界屈指の大企業となったが、その根底にある「止まらない」という現代の風潮とは逆行するありえない働き方に、澤部からは「ご存命だったら『令和の虎』とかに社長でいたら面白い」とコメントした。
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