
秋田県能代市で150年の歴史がある喜久水酒造。1年半前に破産手続きに入ると公表しましたが、破産を撤回し今年から事業を再開させました。再生のカギは旧国鉄時代のトンネルです。
【画像】「トンネル貯蔵」で10年たってもできたて風味の日本酒
150年歴史持つ酒蔵復活
喜久水酒造 製造責任者
平澤喜一郎さん
「忘れられない初年度になった。まず酒造りできるという喜びを存分に味わいながらうまい酒を造っていく、第一目標に頑張っていきます」
秋田県能代市にある「喜久水酒造」は創業1875年、150年の歴史がある能代唯一の酒蔵です。
8日、7代目になる平澤喜一郎さんが見せてくれたのは、2年ぶりに造った「新酒」です。
「お酒造りを再開するあたりになって、たくさんの方に声をかけてもらって、応援していただいた方々、本当に感謝の気持ちを忘れずに生きていこう」
コロナで破産も…撤回
おととし、地元のタウン誌で酒造りの極意を語っていた平澤さんですが、実はこの時、喜久水酒造は存続が危ぶまれる大ピンチを迎えていました。
この雑誌が発刊された3カ月後には事業を停止し、破産手続きに入ることが明らかになったのです。
世界的な日本酒ブームで、日本酒メーカーの売り上げは3年連続で増加している中、なぜそんなに苦しかったのでしょうか。
去年の冬、番組が取材した時、平澤さんは破産を決めた理由についてこう語っていました。
「コロナ1年目は前年でやはり30%以上売り上げが落ちた。それが3年続いた。この先10年売り上げを元に戻す希望が見えなかった」
コロナ禍での日本酒の消費量減少が経営を圧迫しました。地方の小さな酒蔵にとって、世界を相手に商売を広げるのは難しかったといいます。
「中小(企業)にそこまでの力はない。我々みたいな中小企業が海外に行って英語ペラペラのわけでもない。お酒を売るのは非常に難しい」
旧国鉄のトンネルがウリ
喜久水酒造の廃業の知らせは、地元に衝撃を与えました。というのも、この酒蔵には全国的にも珍しい「ウリ」があったからです。
それが“トンネル貯蔵”です。国の登録有形文化財である旧国鉄の「鶴形トンネル」をJRから買い取り、一升瓶6万本を低温保存できる貯蔵庫として活用。
「こちらのトンネルにお酒を入れておくと、3年経っても5年経っても、10年経っても日本酒ができたてのころの色のまま。1年中自然に11℃を保ってくれる」
巨大な貯蔵庫を活かして、持ち込みのお酒を預かるサービスも…。
「一番長い方で『20年預かってくれ』という方がおります。お子様がお生まれになって子どもの20歳の誕生日に乾杯するための親父の夢がここで眠っている」
長い間、地元で愛され続けた喜久水酒造。能代市の酒店には、廃業のニュースを聞いた客が押し寄せたといいます。
株式会社ランマン屋 伊藤行輝代表
「やめるってなった後はすごいことになった。波のようにお客さんが来てバーッと買っていって、一回本当に全部空になった」
こうした声は、平澤さんの耳にも届きました。
「喜久水やめないでくれ、支援したい。もし手伝えることがあったら何でも言ってくれ。心配していただいたお声もたくさんあって」
平澤さんは事業承継先を探し、廃業を撤回することにしました。
「売り上げが戻るかどうか、いまだに不安なまま。やれることは最後までやって死のうかというような気持ち。(トンネル貯蔵庫に)入らなくなるぐらいお酒を造りたい」
地元が支援「恩返し」
喜久水酒造を新たに引き継ぐのは、酒蔵から歩いて5分の建設会社に決定。
中田建設 佐々木光一マネージャー
「この蔵がなくなるというニュースを聞いた時に、能代唯一の酒蔵、アイデンティティーを守る意味でも手を挙げて参画をしたのが一番の理由」
老朽化した施設の修繕も建設会社にはお手の物でした。
佐々木マネージャー
「土間の修理や駐車場の砂利、基本的なところを手付けながら修繕をしている。これからは県外や海外に輸出することも目指していて、喜久水のならではであるトンネル貯蔵庫をどういうふうに守っていって、トンネルがただ保管庫としてではなく、この蔵を見た先にそのトンネルというのもセットで、秋田県能代市の雰囲気を感じていただく」
クラウドファンディングも行っていて、喜久水専用の田んぼ作りも始めようとしています。
平澤さん
「この1年、地元の皆さんに支えられて生きてきたなと実感している。能代のアイデンティティーを取り戻せるような酒を作って恩返ししていきたい」
(2026年5月9日放送分より)
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