
巨大な岩がまるで水面から浮いているように見えるフシギなスポットを発見。一体全体どういうことなのか。しかもこの岩は1700年も前から存在しているようだということで、ますます謎が深まります。
一方、兵庫県西宮市で見つけたのは一見普通に見える橋ですが、渡っている人を見るとすれ違う時にお互いがカニ歩き!?そんな大変な思いをしながらも多くの住民が橋を利用するわけとは。
そして秋田県では何とも神秘的な田園風景に出会います。田んぼのあちらこちらに丘のような場所が点在し、まるで水田に浮かぶ小島のようです。なぜこのような景色が生まれたのか。追跡しました。
“宙に浮く”巨大岩の秘密
街のフシギ調査隊が最初にやって来たのは、兵庫県高砂市にある西暦97年ごろに創建といわれる生石神社です。参拝者が見上げる先に不思議がありました。
参拝者
「浮いたように見えるのが不思議」
「ルービックキューブみたい」
キューブ型のパズルが宙に浮く?境内に入ってみると、一辺がおよそ6メートルの立方体の巨大な岩。どこから見ても、水面から浮いているように見えます。一体全体、どうしてこうなったのか追跡しました。
上から見てみると、さらなる不思議が…。ドローンカメラで謎の岩を真上から撮影すると、周りをくり抜いて造ったように見えます。
久保田直子アナウンサー
「腕の良い方が丁寧に切り出したのではというくらい角も直角でカッティングもきれい」
そして、岩が浮いたように見えますが…。
「浮いていない。奥に接地面があった。なんで下が水面になっている?どうなっているんだろう?この中」
そこで特別に許可をもらい、水中カメラを入れてみると濁っていて中の形は分かりませんが、神社によると、立方体の岩の中心に支える岩があり、その上に乗っているため浮いたように見えているといいます。
1700年前から…どう加工した?
では、この巨大な岩は一体何のために造られたのでしょうか。
久保田アナは、岩に穴が開いていて、そこに食糧などを保存したのではないかと推測します。一方、参拝者は「人をびっくりさせて石の力を感じさせるため」「第一印象は偉い人のお墓」と推測します。
神社に聞いてみると…。
生石神社 宮司
東幸代さん
「最初は石棺(せっかん)とか石の御殿という説。国が調べて結局は誰が何のために造ったか分からない」
レーザー調査をしたところ岩の中に空洞はなかったそうです。「浮石」と呼ばれるこの岩は、なんと1700年ほど前からあると言われています。そんな昔にどうやって岩を加工したのか?
「この辺は良い石がとれるので、(当時)石工さんがたくさんいた」
石工職人の匠の技なのか?真相は現在も調査中ですが、今では岩が宙に浮いて見えることから運気が浮上すると、大人気なんだそうです。
幅60cmの狭すぎる橋
続いてやってきたのは、兵庫県西宮市。ここに不思議があるということです。
一見、普通の橋に見えますが、スローで見ると、すれ違う時にお互い背中合わせになってカニ歩き。一体どんな橋なのか。近づいてみると…。
久保田アナ
「ちょっと待って。薄い。薄い、細い。ちょっと想像以上だった。私大丈夫かな?」
早速、久保田アナも橋を渡りますが、橋の幅はわずか60センチ。駅の自動改札機出入り口とほぼ同じ幅。人が通るには狭すぎるおよそ100メートルの橋。なぜ、こんな橋が造られたのか追跡します。
橋を渡っていると早速…。
「大きい男性が。どうしよう。ありがとう。リュックを下ろしてくれた」
久保田アナは欄干におなかをひっつけて待ちます。カニ歩きですれ違い成功。
狭い橋の利用者
「いつもすれ違う時はギリギリ。(リュックを)川に落とさないか心配。(リュックを)どかさないと通れない」
久保田アナ
「ここって出会いがありますね。普通の橋の幅だったら、こんなに密に話さない。友達ができそうな橋。お友達橋」
一体どれくらいの人がこの狭い橋を利用しているのでしょうか。
午前7時半、通勤や通学をする人が続々とやってきます。橋を利用した人は1時間でなんと89人。
狭い橋の利用者
「(狭い橋が)なかったら、生瀬橋からグルッと回って宝塚駅まで行かないと」
川沿いに暮らす人が幅の広い橋を使って駅へ行くより、この狭い橋を渡った方が5分から10分ほど早く到着できるといいます。
住民の要望で一般開放
では、なぜこんなに狭く橋を造ったのでしょうか。橋を管理する担当者に話を聞きました。
宝塚市 上下水道局
長岡健太郎さん
「この橋は水管橋と言いまして、元々は水道管の点検や維持管理するための橋になります」
この狭い橋は水道管を管理するため関係者専用の橋でした。そのため住民は立ち入り禁止だったのですが…。
「この先にある生瀬橋、昔は交通量がすごく多かった。地元の人から危険なので(水管橋を)通りたいと申し入れがありました」
今は歩道も整備されている生瀬橋ですが、昭和30年代に橋ができた当初は歩道がなく、交通量も多かったそうです。その後、水管橋ができた時に住民から要望を受け、一般開放しました。今では駅への近道として使われていますが、もう一つ重要な役割も生まれました。
地元住民
「あいさつするしちょうどいいと思う。住民のコミュニケーションツールにもなっているのかなと」
「狭いから人が触れ合う。触れ合い橋とか言っていました」
神秘!水田に島々
続いては、秋田駅から車で1時間のにかほ市。松尾芭蕉が訪ねた「おくのほそ道」最北の地としても知られるこの場所に不思議な光景がありました。
観光客
「秋田ならではの神秘的な光景」
「とにかく自然はすごいな」
一体どんな光景なのでしょうか。田園地帯を歩いていると…。
久保田アナ
「田んぼの真ん中に丘になっていて木が生えている」
そこでドローンカメラを使って上空から見てみると、まるで水田に浮かぶ小島のようです。東西に1キロ、南北に2キロ、その中に100カ所以上点在。一体なぜこんなことに?
「全部小高く丘になっているから古墳かな?古墳があるから周りに水田を作ったのかもしれない」
そこで丘の上に登ってみると、駒留島と書かれた石碑を発見。さらに、他の丘にも石碑があり、同じように島の文字が刻まれていました。
では、なぜ島と名付けられているのでしょうか。鳥海山・飛島ジオパークの大野希一さんによりますと、「元々この辺りは浅い海で、100以上の島が点在する景色だった」とのことです。
200年以上前の屏風絵を見てみると、小さな島に一つ一つ名前がついているのが分かります。海に小島が連なる光景は松島と並ぶ景勝地で、松尾芭蕉が訪れたのは、この島がある時でした。
しかし、1804年に起きた大地震により2メートル以上地盤が隆起して干潟になり、その場所に水田がつくられたのです。その際、なぜ島を削らなかったのでしょうか。
大野さん
「松尾芭蕉のゆかりがある場所なので島々を残さなければいけない」
この場所は九十九島と名づけられ、1934年に国の天然記念物に指定されました。
(2026年5月29日放送分より)
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