
河野太郎衆議院議員の父親であり、自民党総裁や衆議院議長などを歴任した河野洋平氏が亡くなりました。89歳でした。
慰安婦で談話 ハト派の象徴
60代
「彼のおかげで、色んなことが流れた。歴史が動いた」
会社員(40代)
「しっかりした発言をなさる方だなとは思っていました」
元衆議院議長、河野洋平氏。8日にすい臓がんのため、都内の病院で亡くなりました。
河野一郎元衆院議員の次男で、1967年に衆議院選挙で初当選を果たしました。
1976年に自民党を離党すると、「新自由クラブ」を結成。改革志向の保守勢力として代表を務めました。
その後、自民党に復党すると、宮沢内閣で官房長官に就任。慰安婦問題について旧日本軍の関与を認め、“おわびと反省”を表明した「河野談話」を発表しました。
「本件は当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。心身にわたり癒やしがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げる」(1993年8月)
自民党下野時に総裁就任
その後、自民党が衆院選で大敗すると、「自民党初の下野」という歴史的な局面で自民党総裁に就任しました。
2002年には肝硬変を患い、長男の河野太郎氏から肝臓の一部を移植する生体肝移植を受けます。
回復すると、翌年、衆議院議長に就任。5年半以上にわたりその役目を果たしました。
2009年には政界を引退。“ハト派”の代表格としても知られた河野氏は引退後も、日中国交正常化50周年でこう述べていました。
「日中ともども世界の平和のため大いに頑張りたい」(2022年9月)
そんな河野氏の死去を中国メディアは速報で伝えました。
高市早苗総理大臣も、自身のSNSにこう投稿しました。
「河野先生のこれまでのご功績に改めて深く敬意を表するとともに、そのご遺徳をしのび、心よりご冥福をお祈り申し上げます」
(2026年6月11日放送分より)
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