美少年からハガキ職人、タレントショップ店員まで!スロ界のレジェンド・沖ヒカルの波乱万丈すぎる半生に共演者も驚愕

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沖ヒカル
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 そんな美少年だった沖だが、高校時代にはラジオにドハマリして熱狂的なハガキ職人へと変貌を遂げる。高校2年生当時の写真ではなぜか中指を立てて尖っており、盛山からすかさずツッコミが入る。しかし実力は本物で、中部地方の深夜ラジオの雄であるつボイノリオの番組や、『中島みゆきのオールナイトニッポン』でネタが採用された実績を持つ。さらには「ピンクレディーの未唯mieさんに、僕の替え歌を歌ってもらったことあります」という驚きのエピソードまで飛び出した。

 さらに沖の迷走とも言える熱狂は続き、青年期には山田邦子の大ファンだったことから、当時ブームの最先端だった原宿のタレントショップ「KUNY(クニー)」でアルバイトとして勤務。その後、パチスロ雑誌の編集部へと進むが、そこでのライター名の変遷も凄まじい。「グレハン内池」から始まり「グレハニスト内池」「ボルコマー内池」、そして本名の「内池友紀」を経て現在の「沖ヒカル」へと至る。盛山から「どこで急に沖ヒカル?グラデーションが急に真っ黒になった!」と猛ツッコミが入ると、沖は「あまりにも沖スロで負けすぎて、なんとか光らせたいと本気で思って自分で考えました」と、レジェンド名の泥臭い誕生秘話を明かして一同を納得させた。

 クライマックスでは、パチスロファンなら誰もが知る液晶やリールがロックされる演出の名称「フリーズ」を、編集者時代に岡崎産業の『コア』という台の演出に対して「フリーズだ!」と世界で初めて名付けたのが沖自身であるという歴史的偉業も明かされた。これにはさらば青春の光森田哲矢も「えっ!そうなん!?そうなんや」とガチで驚愕の声を上げた。
ABEMA/「パーラーカチ盛りABEMA店」より)

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