また、こんな武勇伝もある。チンピラに絡まれた弟を助けるため駆けつけたガッツさんは、襲いかかってくる8人を次々とノックアウトし、警察沙汰になった。事情聴取で「チャンピオンはいついかなる時でも、誰の挑戦でも受けなければならないと賞状に書いてある」と答え、正当防衛が認められたというエピソードが語り草となっている。
そして24歳、2度目の世界挑戦。相手は伝説の「石の拳」、ロベルト・デュラン。ガッツさんは何度もダウンを喫し、それでも立ち上がったものの10回KO負けとなった。3度目の挑戦は翌1974年だった。両国の日大講堂、王者はロドルフォ・ゴンサレス。それまで11回の黒星があったガッツさんの世界挑戦は、「幻の右」と称された右ストレートでKO勝ち。アジア人初の世界ライト級王座を掴んだ。
試合後、米倉会長にすら知らせていなかった幼い娘さんをリングで抱き上げ、初お披露目する。「俺は授かり婚の走り」と当時をそう振り返る一面もあった。その後、5度の防衛に成功。勝利の後に拳を天高く突き上げたポーズは「ガッツポーズ」として日本中に広まった。
千原ジュニア、ガッツ石松さんを追悼
