教科書ここが変わった 聖徳太子にまつわる新説 偉業は誰が?

教科書ここが変わった 聖徳太子にまつわる新説 偉業は誰が?
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 これまでの常識が見直されている聖徳太子。その偉業は本当だったのか、最新研究が明かす日本史の新たな姿をひも解きます。

【画像】業績を過大評価のワケ

「摂政とも皇太子とも書いていない」

 7回も紙幣の顔になったこちらの肖像画、誰もが知るあの聖徳太子だと学びませんでしたか?ところが、今の高校の日本史の教科書には、ほとんど載っていないんだとか。

 今回は、現在の教科書に掲載されている聖徳太子にまつわる新説の数々を紹介。解説してくれるのは、テレビや書籍などでおなじみの歴史作家・多摩大学客員教授・河合敦さんです。

 まずは、日本で最も古い肖像画とも言われているこちらについて。

最も古い肖像画について
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河合さん
「本当に聖徳太子を描いたものか分からない」

荒井理咲子アナウンサー
「私が歴史を学んだ時は、実在したかは分からないって…ぼんやりとした話を聞いたことがある」

河合さん
「そういう説も一時話題になりましたよね。聖徳太子が生きてた頃より100年以上後に描かれたもの…。聖徳太子じゃないかもしれないし、聖徳太子を描いたとしても(当時は)写真も動画もないですから、似ても似つかない可能性が高い」

 死後100年以上経った作品で、太子本人だとしても、聖徳太子を伝説的な人物として描かれたと考えられています。

小・中の教科書は「伝聖徳太子」
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河合さん
「小・中学校の教科書では、この太子像をちゃんと紹介してる。聖徳太子とは書いてなく、伝聖徳太子。高校になってくると、この肖像はなくなってきます」

 そんな聖徳太子の名前には、こんな新説が。

荒井アナ
「私が学んだ時は、聖徳太子とかっこで…」

河合さん
「中学校は『聖徳太子(厩戸皇子)』って書いてあったと思うんですが、高校になってくると『厩戸王(聖徳太子)』。聖徳太子はずっと後になってから言われるようになって、本名が厩戸ではないか…」

 聖徳太子といえば、推古天皇の皇太子で、天皇を補佐する摂政という役職に就いたと学びましたが。

「天皇の甥(おい)」と記載
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河合さん
「最近の教科書では単に『天皇の甥(おい)』。摂政とも皇太子とも書いていない教科書もあるんです」

荒井アナ
「ウソっ…。摂政という仕組みがあるって学んだ時に、こうやって国って運営してたってすごく思った記憶があるので…」

河合さん
「聖徳太子がいた頃は、まだ摂政っていう役職はなかったし、皇太子という制度もちゃんと定まっていなかったんで、そういうふうに言うのはちょっと違うんじゃないかっていうので、単に天皇の甥というふうに書いてあるんですね」

 業績としては憲法十七条や冠位十二階を制定したのは聖徳太子と学びましたが…。

「後から改ざん」の可能性も
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河合さん
「日本で一番古い朝廷の正式な歴史書・日本書紀なんですが、全部太子の業績って書いてある…。でも、よくよく調べると、そうではないんじゃないか。最近はその聖徳太子の業績と(教科書に)はっきり書いていない」
「推古天皇の時代の一番の実力者は推古天皇だったり、蘇我馬子の方が実力があったので、日本書紀というものが聖徳太子をヒーロー化しちゃって、後から改ざんしたんじゃないか。本当の聖徳太子はそんなに政治的な力がないって…」

遣隋使も…

 日本書紀が聖徳太子を英雄化し、業績を過大評価していると考えられている理由は?

業績を過大評価のワケ
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河合さん
「日本書紀を編纂(へんさん)したのが時の偽政者、政治家。例えば藤原不比等。不比等の孫が首皇子(後の聖武天皇)という人で皇太子だったんです。ただ、なかなか天皇になれなくて、なんとか首皇子を天皇にしたい不比等の思いがあって…。皇太子は『聖なるもので、すごい存在だ』というような、そういう書かせ方をしたんじゃないかという説も」

荒井アナ
「今、自分の利益になるように…」

河合さん
「聖徳太子の政策として、遣隋使って」

荒井アナ
「小野妹子。女性か男性かどっちなの?って」

河合さん
「それはコマーシャルの影響ですけど…。男の人ですね。小野妹子を607年に遣隋使を派遣したって…」

 遣隋使とは推古朝の時代、進んだ中国文化を取り入れるため、当時の中国の王朝・隋に日本が派遣した使節ですが…。

「主導したのかどうかちょっと怪しい」
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河合さん
「聖徳太子が主導したのかどうかちょっと怪しい。聖徳太子が遣隋使を派遣したと高校の教科書には書いていない」

荒井アナ
「セットで覚える2人でした」

河合さん
「でも違うんですね」

 荒井アナも言うように、聖徳太子が小野妹子を607年に初めて中国に渡らせたのが遣隋使なのでは?

河合さん
「最近の教科書では600年。日本書紀には607年が最初っぽく書いてあるんですが、隋の方の記録には、600年に日本=和が使いを送ってきたって書いてあるんです。隋の記録をちゃんと鑑みて、600年となっている」

 なぜ、日本の記録では607年が最初になっているのでしょう。

「日本にとって不名誉な遣隋使」
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河合さん
「隋側の記録によると、さんざん、隋の人たちや皇帝から馬鹿にされているんですね。日本にとって不名誉な遣隋使だったので、ひょっとしたら記録にきちっと残さなかったのかなと」
「600年から607年の間に何が起こったかというと、冠位十二階とか憲法十七条を作っているんです。ちゃんと天皇中心とした、しっかりしたシステムが作られているので、改めてまた607年に行っているので、ちゃんとしてきたという自負もあったのかもしれない」

 そんな新説がたくさんある聖徳太子ですが…。

外交上重要な場所の斑鳩宮
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河合さん
「ここ数年の歴史研究で、やっぱり聖徳太子はものすごい政治力があったんだという論文がいくつも出てきていて、もしかしたら近い将来、教科書が聖徳太子はすごい政治家だと変わるかもしれないんですね」
「例えば、聖徳太子は斑鳩宮という飛鳥宮からちょっと離れた所に家があって、外交上重要な場所で、大阪から使節が上がってくる時にそこを必ず経由するとか」
「大阪の四天王寺は、難波の港から遠くから入ってくる人が見ると、1列に全部伽藍(がらん)が並んでいて、すごい塔とか金堂とかがある。外国人が初めて大阪の港に入ってきた時に、最新のお寺ですごいことを見せる。四天王寺を作ったのは聖徳太子。色んな研究を進めていくうちに、やっぱり聖徳太子はすごい」

荒井アナ
「どんどんアップデートされていく、変わっていくものなんですね」

河合さん
「歴史って変わらないってイメージがあるんですが、結構、変わっていくんですね」

(「グッド!モーニング」2025年7月24日放送分より)

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