
「グッド!いちおし」きょうのテーマは、「教科書が激変“源頼朝の肖像画”別人だった?」です。誰もが知っている歴史上の人物が、実は別人だった?定番の歴史に新たな説が登場。歴史がもっとおもしろくなる、日本史の新常識第2弾です!
源頼朝じゃない!?現在は木像
前回、肖像画の真相など、聖徳太子に関する新説を紹介しましたが、今回は歴史作家・多摩大学客員教授の河合敦さんに歴史の最前線を教えてもらいます。
河合さん
「まずは、この肖像画って誰だか分かります?」
荒井理咲子アナウンサー
「源頼朝だと習いました」
河合さん
「この方はほぼ別人だとなっていて…。僕が調べた限りは、小・中学校の教科書から消えています」
荒井アナ
「私、この肖像画を見た時に、小学生ながら『なんて男前なんだ!』と思って、やっぱりその印象が強くて…」
こちらは京都の神護寺が所蔵するとても貴重な国宝作品で、寺に残る古い記録から長年源頼朝だとされていましたが…。
河合さん
「最近になって、源頼朝の目・耳・口のパーツ、時代時代によって(描き方の)流行があるんです」
「これは絶対、頼朝の時代の流行の描き方じゃない。150年ぐらい後の室町時代の初期・南北朝時代の描き方じゃないと言った美術史家がいて。ちょうどその時期に『僕と兄の肖像をセットで神護寺に納めました』という文章があり、その文章を納めた人が足利直義、(足利)尊氏の弟なんですね」
荒井アナ
「また別の時代の?」
河合さん
「室町幕府を作った足利尊氏の弟の直義ではないかと言われている。教科書からはもう消えてしまっているんです」
荒井アナ
「ショックです…」
現在では、こちらの木像を源頼朝として掲載している教科書が多いんだそうです。
実は「執事」の家紋!?
河合さん
「この肖像画は誰か分かりますか?」
荒井アナ
「足利尊氏と覚えていました」
河合さん
「実は、これは尊氏ではない。教科書から消えちゃってる」
荒井アナ
「こちらはどなたなんでしょうか?」
河合さん
「いろいろ諸説があって、兜が取れちゃって、弓の矢のところが折れてる。この姿は征夷大将軍にふさわしくないんじゃないか」
「あと上の方にある、これは尊氏の息子・義詮が書いたサイン(顔)なんですね。お父さんの頭の上に顔を書くなんてちょっと失礼で、そんなことはするはずない」
他にも尊氏の乗る馬の色が記録と違っていたり、足利家とは別の家紋が描かれていたりなどの相違点が。
河合さん
「これは尊氏の執事・重臣の高師直とではないかと言われている。高家の家紋なんですね」
家紋から高師直と推測されますが、こんな説も。
河合さん
「息子の(高)師詮という説もあって、僕は師詮ではないかなと思う。戦いに負けた時に馬に乗って逃げる途中、切腹してるんですね。その時の姿を描いて将軍・義詮に花押をもらった説があって。でも尊氏ではないことは間違いないと言われいて。教科書から消えてしまった」
「いい国」じゃない?
次は、一度は耳にしたことがある鎌倉幕府に関する年号です。
河合さん
「何年に鎌倉幕府が成立したって習いましたか?」
荒井アナ
「小学生の頃は1192、いい国作ろう鎌倉幕府で覚えたんですが、1185年だとその後(覚えた)」
河合さん
「1185年説が教科書に載り始めているんですね。なんで1192年じゃなくて1185年なのか。頼朝が平氏を倒したり、自分の部下を守護・地頭という役人として置くことを朝廷から許可を得たりとか、いろんな権利を獲得したので、1185年こそが鎌倉幕府の成立だと変わってきている」
ただ鎌倉幕府が成立した年は、今も教科書によって違いがあって、なかには特定せず曖昧(あいまい)な表現をしているものもあるのだとか。他にもこんな説が
「中世史の学会では、そもそも源頼朝が朝廷とは別に武家の政権を作ろうとしたのかということが、すごく疑問されている。別の政権を作るつもりはなくて、単に頼朝は自分たちの武家の勢力を朝廷の軍事力だって考えていたという説も強くて。源頼朝は鎌倉幕を作ってなかったっ可能性も…」
後から付け足し?
そんな鎌倉時代に起きたあの大きな事件も…。
河合さん
「こちらの絵、ご存知ですか?」
荒井アナ
「これ、実は実物を見たことがあって。元寇(げんこう)ですよね?ただ、これが何か変わっているんですか?」
河合さん
「諸説あるんですけど、真ん中にいるモンゴルの兵士がいるじゃないですか。この3人が後から付け足したんじゃないかって…。江戸時代に絵巻を修理しているんですね。雑に修理したのか、絵巻の紙(上下)4センチぐらいずれて修理されているのに、そのずれた上にモンゴル人が描かれているのに、ずれていない。おそらく、江戸時代に書き込まれたのではないか…」
荒井アナ
「この3人がいないと、かなり見え方が変わってきますよね」
河合さん
「これが3人がいるために、竹崎季長が危機的な状況に立っていますが、この3人を消しちゃうと、むしろ竹崎季長がモンゴル人を追いかけているような。自分の活躍を子孫に残すための絵にふさわしくなってくる」
「ブーツの黒い塗料の部分が、“てつはう”と書いてある黒の塗料と非常に似ていて、他のモンゴル人のブーツとは全然色が違うので、黒いブーツの3人と“てつはう”とか弓矢の矢も後から描き入れた…」
荒井アナ
「“てつはう”とかは、この元寇学ぶ上で必ず通る道だったと思います」
河合さん
「鉄の玉の中に火薬を積んで破裂する。それも最近発掘調査によって、鉄の玉ではなくて、お茶碗の陶磁器の中に火薬を詰めてるって本物が出てきたので。諸説あって、ちゃんと元々最初からあったという説もあるので、まだまだ定説ではないんですよね」
「ただ、そのモンゴル軍が2回やってきたことはご存知ですかね?」
荒井アナ
「はい、覚えています」
河合さん
「2つ合わせて元寇と言うんですが、その元寇は分かりづらい。教科書で『モンゴルの襲来』と呼び方が変わってくるところも結構少なくないんです」
さらにモンゴル軍が撤退したのは暴風雨のためとされますが、これは2回目の弘安の役だけで、1回目の文永の役は、モンゴル軍内部の対立や偵察が目的なのではと言われています。
河合さん
「(2回目の撤退が)すごく衝撃的だったので、最初の時も(暴風雨)で去ったんじゃないか…」
荒井アナ
「歴史がアップデートされている実感につながりました。ビックリです!先生!」
河合さん
「僕もビックリ。急に大きな声で…」
(「グッド!モーニング」2025年8月13日放送分より)
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