■愛人生活、海外での裕福な生活から一転どん底に
サリー氏は、兵庫県芦屋市のエリート家系に生まれ、厳格かつ裕福な環境で育った。しかし、19歳で上京し、ショーダンサーとしてアルバイトを始めたことをきっかけに、その人生は大きく動き出す。アルバイト先の客として出会ったのが、当時69歳の大企業会長(妻子あり)。出会ったその日にオープンカーで迎えに来られ、「僕が君のあしながおじさんになってあげる」と告げられたサリー氏は、会長が用意した高級マンションでの「愛人生活」をスタートさせることとなった。
一般的な愛人関係のイメージとは異なり、サリー氏によれば性的要求や深い身体的関係は一切なかったという。しかし、社会的地位のある紳士的な会長の隣に立つにあたり、ふさわしい教養や振る舞いが求められる環境であった。サリー氏はこの時期の経験を振り返り、次のように語っている。
「会長さんはすごくダンディだったので、その方に似合う女の子になりたいと思って、世界基準のプロトコール・マナーを学んだ」。
ここで身につけた「プロトコール・マナー(世界共通の公式マナー)」は、文化や宗教の違いを超えて円滑な交流を図るための国際的な所作であり、習得には通常1年以上の期間を要するもの。服装やテーブルマナー、品格のある話し方からおもてなしの心に至るまで、この時期に徹底して叩き込まれた世界基準の格式高い作法が、後に彼女が提唱することになる「プリンセス研究」の確固たる技術的基盤となった。
会長との生活を経て、26歳になったサリー氏は外資系企業に勤務する男性と結婚する。その後、2人の子どもを出産し、夫の仕事の都合に伴って中国・上海へと移住した。上海での生活は、家賃100万円におよぶ35階建ての高層・高級マンションに住まい、複数の家政婦を雇うという、かつての芦屋時代や愛人生活時代をも上回るほどの極めて華やかで恵まれたものだった。
しかし、移住から6年が経過した35歳の時、平穏な日常は突如として崩壊する。ある日、子どもたちがサリー氏のもとへやってきて「パパが出ていくと言っていた」と告げた。広大な自宅内において、夫の専用部屋には長らく立ち入っていなかったが、不審に思ったサリー氏が扉を開けると、そこはいわゆる「ゴミ屋敷」のような状態になっていた。さらに、夫の会社の同僚たちが自宅に押し寄せたことで、夫が約1年間にわたり会社に出勤せず、部屋に引きこもった末に失踪したという衝撃的な事実が発覚した。
この失踪劇を機に、サリー氏はそれまでの住居からの退去を余儀なくされ、ステータスを完全に喪失。日本へ帰国した後は、それまでの高級マンション生活から急転直下し、1Kのアパートでのシングルマザーとしての極貧生活へと追い込まれることとなった。
■逆境を乗り越えるプリンセスの「可愛いマインド」
