娘から見た田中角栄元総理とは
父、田中角栄氏と共に様々な外交の場面に立ち会っていた真紀子氏だが、田中角栄元総理は娘に政治家になってほしいと思っていなかったと明かす。
「私になってほしくなかったし、なるとも思っていなかった。ただ、忙しいから真紀子と一緒に過ごす時間がないから、国内の視察も結構一緒に行った。全国も、外国も。学校休んでもいいから、お父さんとどこか視察に行きましょうと、あちこち行った」
「私がアメリカに高校で留学していたので、そのころに父が大臣でワシントンに来て、そこからフィラデルフィアの住んでいるところに会いに来てくれたりした。ワシントンに呼ばれて、ブレアハウスという迎賓館があるけれど、そこに泊まって一緒に過ごしたりとかしていた。学校休んで政治の現場を見るということは結構やっていた。(生活の)雰囲気が全部政治」
さらに、真紀子氏は当時の田中角栄氏について「本当に外交ベタ。下手というか、嫌いだなと。日本にいても、社交の場というのが非常に嫌いな人である。外国人に対する偏見とかそういうことではなく、社交でなく仕事が好き。会談だったら何十回も徹夜でもいいと田中角栄氏は言っていた」と過去に語っている。
「外交というか、いわゆるパーティーみたいなものがあまり好きではなかったのだが、仕事で折衝することは大変熱心であったし、それが自分の命のような仕事だと思っていたと思う。一番私が感じて、今にも繋がっているなと思うのは、モスクワへ行き、北方四島の話が出たとき。ブレジネフ書記長とか、コスイギン首相にもお目にかかった。でも、北方四島など無理な状態だったのに、長いこと折衝して、父がその話を詰めていった。四島は日本にそもそも帰属していたものであるということもロシアは認めていなかったのに、向こうから『事実だ』という言葉をとった」
これらの話について話を進めようと思ったときに、子どもがいたため、真紀子氏は日本に先に帰ることになったという。
「会議が終わって日本に帰ってきてから、父が『日本に帰らせないで、この会議を真紀子に見せたかった』と。その後が白熱した議論で、ただ『北方四島は日本にも昔は帰属していたよ』で帰ってくるのではなかった。帰属の本当の問題、少なくとも日本に近いものだけでも四島という折衝をものすごくやったらしい。時間切れになったけれど、『あの議論、あれがお父さんが一番言いたかったことを真紀子には見せたかったな』と。だから、自分の真剣に仕事をしているところをこの子にはよく見せたいと、それをすごく思っていた父親だった」
(『わたしとニュース』より)
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