
震度6強を観測した熊本県八代市の老舗うなぎ店が、被災した住民向けに500円のうなぎ弁当の販売を始めました。ライフラインが止まる中、食で地域を支えたいという店主の思いに迫りました。
【画像】特製の甘じょっぱいタレの牛丼も提供、どうなるアユの甘露煮
被災の老舗「早く復活」願い
次々に舞い込んでいるのは、うなぎ弁当の注文です。
熊本地震で店の建物も厨房(ちゅうぼう)も大きな被害を受けた、創業124年のうなぎとアユの専門店「より藤」。三代目の頼藤浩さん(64)は地域の住民のため、格安で弁当作りを始めました。
「みんなどこもキツいのはキツい。皆一緒だから。ウチできることは、とりあえずやるしかない」
先月28日、震度6強を観測した八代市。地震から1週間が経っても、八代市内では飲食店やスーパーなどでも地震による臨時休業が続いています。
停電は市内全域で解消しましたが、いまだ2万4000戸以上で断水が続いています。※約2万4789戸(5日正午時点)
八代駅の目の前にあり、創業以来、地域密着で営業を続けてきた「より藤」。被災した次の日、店内を見せてもらいました。
「あっちはちょっと手を付けられない。冷蔵庫は倒れていて、茶わん棚も直してもらった。たぶん1カ月じゃ復旧できない。もっとかかると思う」
棚に入れていた食器が割れ、資材を置いていた場所も、足の踏み場がない状態になっていました。
発電機持ち込んだ友人も
地震は先月28日、名産のアユを炭火で焼こうとした時に起きました。
アユのうまみが凝縮したアユ飯の上に、代々受け継いできたタレで2時間以上煮込んだアユがまるまる1匹乗った駅弁。JR九州が主催する駅弁グランプリで3連覇するなど、県の外にもファンが多い名店です。
2階を見せてもらいました。
「倉庫はめちゃくちゃ」
「(Q.10年前にも熊本地震があったが)それの比じゃない。3倍ぐらい。以前はこんなに倒れなかった」
停電によって、エアコンも冷蔵庫も使えない事態に。このピンチを救ったのは、熊本市内に住む頼藤さんの友人。トラックで発電機2台を運んできてくれたのです。
「これがなかったら(食材は)多分全滅している」
食材を電気が通った冷凍庫に移し、なんとか難を乗り越えました。
「天災はしょうがない。負けないようにしないと。やれることをやっていくしかない」
創業以来継ぎ足しタレ無事
4日、再び訪ねました。
「(アユの)甘露煮のタレはもうダメ。継ぎ足しのタレ」
明治から令和まで創業以来、守り続けてきたアユの甘露煮のタレが傷み、使い物にならなくなってしまいました。
「これを冷蔵庫に運ぶ元気がなかった。この辺が全部倒れていて、(中に)入ってこれを冷蔵庫に運ぼうという気力がなかった。でも、冷凍庫に(残りが)あったので、それをまた継ぎ足していけば」
店にはもう1つ守り続けてきたものがありました。
「うなぎのタレは無事だった」
「(Q.地震当時はどこにあった?)ここ、所定の位置」
創業以来、継ぎ足してきた家宝とも言えるうなぎのタレは、散乱する厨房で奇跡的に助かりました。
「もう商品も出せない。せっかく作っているやつが。どうしましょうと沈んでしまう。そんなこと考えるとね」
店の再開が見通せない中、救いになったのは家族の存在です。
「5人子どもがいるが、揺れてすぐ熊本に来て、手伝ってくれた。だから、孫3人も含めて家族全員そろったのはたぶん初めて。盆も正月も含めて」
「(Q.お父さんとしての気持ちは?)それはうれしいに決まっている。だからもう、先のことはあまり考えないで、今できることを楽しむしかない」
被災住民を食で支えたい
落ち込んでいた頼藤さんですが、先月30日からプロパンガスを使い、弁当作りを開始しました。
断水は続いていますが、支援物資の水でコメを炊き、家族や友人によって守ることができた食材を使い、これまで焼きそば、唐揚げ、カレー、いなりずしなどを地域の住民に200円で提供してきました。
そして、今月4日は特製の甘じょっぱいタレの牛丼。さらに、国産のうなぎを使った弁当を提供することになりました。
「弁当用に使う予定だったうなぎ。かば焼きにして、1回蒸したやつ。これを全部刻んで、ボリュームが出るように」
国産うなぎを使った弁当は通常2400円から4000円で提供していますが、500円という破格の安さです。
「利益はもう関係ない。今あるものは全部出してしまう。(うなぎめしは)150個は作ろうと思っている。できれば、それ以上。皆さん、まともにご飯を食べていない。もう食欲もなくて。だからうちは食べやすく」
被災した人たちを食で支えたい。頼藤さんと同じ思いの家族や友人が手分けして弁当作りをしていきます。
「タレかけるとうまそうだ」
頼藤さんが盛り付け方を決めると、うなぎ、温泉卵、お漬物、タレの順番で「うなぎめし」の仕上げに取り掛かります。
店が支援物資の拠点にも
そして、午前9時。被災した地域の人たちが次々に店を訪れます。
SNSで情報を知り、買いに来たという女性。医師の夫は地震以降、病院で寝泊まりしている状況だそうです。
「電子レンジとか壊れていて、ご飯が作れない状態。水道ももちろんダメ。すごく助かる。安くいただいてありがたい」
「久しぶりに帰ってくるので、精がつくものをと思って」
被災した会社の従業員分をまとめて買いに来る人もいました。店は水のペットボトルなど、支援物資の拠点にもなっています。頼藤さんは来店客にこう話します。
「ここに物資が届いているので、必要なものがあったら、お水とかも持って行っていい。何でもいい。ウーロン茶でもいい」
しかし、4日は店に残っていた食材が尽き、1週間続けた弁当作りが終了しました。
頼藤さんは店の今後について、こう語りました。
「どうなるか分からない。考えたってしょうがない。なるようにしかならないから。今までどうにかなってきたから大丈夫。人と会って話せるだけでもよっぽどマシ。一日でも早く復活したい」
(2026年8月6日放送分より)
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