福原遥&細田佳央太インタビュー 子役出身の二人が明かす“素顔”と“一生ものの出会い”

福原遥,細田佳央太
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出会いは「4歳の頃のブラウン管テレビ」と「まいんちゃん」――2人が語る原点と運命の画数

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――これまでの人生において「この出会いは一生もの!」と思った出会いはありますか?

細田:僕はブラウン管テレビです。それが今の仕事をやりたいと思ったきっかけだからです。ブラウン管テレビの中で色々な人が動いているのが不思議で、この映像たちは一体何なのかと。それで親に「テレビの中に入りたい!」と言ったのが4歳の頃。地デジではないのが時代を感じますよね(笑)。その僕の言葉をきっかけに親が色々な芸能事務所に書類を出したのが始まりです。ちなみに細田佳央太という名前は本名ですが、その画数は偶然にも芸能に縁のある画数らしいです。親としては意識して付けたわけではないそうですが、そんな偶然もあって親は「テレビの中に入りたい!」という幼い僕の発言を真に受けたようです(笑)。

福原:一生ものの出会い…。私にとっては今の仕事でしょうか。7歳からずっとこの世界にいるので、これはもう一生ものの出会いだったのかなと。私はダンスが元々好きで、ダンススクールを探して入ったらそこが芸能もやっている事務所でした。人見知りだった事もあって、それを直すためにもやってみようと。それが最初の動機でした。楽しさを知ったのは『クッキンアイドル アイ!マイ!まいん!』での経験が大きくて、沢山の人たちと力を合わせて一つのものを作っていく面白さを感じました。お芝居をやりたいと思ったのは朝ドラ『おひさま』を観て憧れて、俳優業を目指すきっかけになりました。
オーディションに落ちまくった「出来ない男」と、壁にぶつかり続ける「悔しさ」

――お二人は幼少期から芸能界で活動されていますが「思っていたのと違う…」と感じたことはなかったのでしょうか?

細田:僕は4歳で「テレビの中に入りたい!」と言ったものの、当時からこの仕事でゴハンを食べていく覚悟があったのかと問われると、そこは微妙でした。事務所のレッスンも習い事感覚だったので、当然オーディションも落ちまくって自他ともに「出来ない男」というレッテルを貼られました。ただマイナスからスタートという点が実はプラスにもなっていて、出来ないのが当たり前という始まりでいられる。仕事で辛いと思っても、それが当たり前と思って必要以上にガッカリしないというか(笑)。

福原:私は楽しいだけではなくて、悔しいことだらけというか、毎回「どうして出来ないの!?」と壁にぶち当たっている感覚です。でもそうやって悔しいと思えているから「次こそは…」と続けることが出来ているのだと思います。少しでも成長できるようにと思う日々の繰り返しですね。

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