一つの街が津波によって消滅し、ゼロからつくり直し、そして今も数々の苦難を抱えながらも、未来につなごうと歩みを進める姿を、15年間に渡り追い続けた記録。
建物2500棟が並んだ岩手・陸前高田市の市街地は、津波で消滅した。 新たな街をどこにつくるか。決断したのは被災した地に再び、街をつくることだった。しかし、工事に10年。高台や内陸部で店舗を再開した多くの事業者は、新たな街に戻るべきか、決断を迫られる。 多くの葛藤と苦難を乗り越え、ゼロからつくった街は完成した。
そして5年経った現在、観光客は年間130万人を突破するなど、陸前高田市は賑わいを取り戻したかに見える。ところが、中心街には多くの「空き地」が。街は新たな危機に直面していた。
一方で、持続可能な街へ、未来を担う新しい力が躍動している。しぼんでいくのか、食い止め、切り開くのか?苦難、葛藤、希望…人々の思いが交錯する「ゼロからつくった街」、15年の全軌跡がここにある。
(テレビ朝日報道局 那須雅人 浦本勳)
(消滅した陸前高田の市街地)
消滅
建物2500棟が並んだ市街地は消滅し、1800人以上が犠牲になった陸前高田市。
(自宅兼店舗が流され父を亡くした及川雄一さん)
「これは店の前にあった排水溝だった。ちょうどここが店のドア。何も残ってないですね」
(及川雄一さん)
がれきの街で状況を説明してくれたのは、及川雄一さん。津波で亡くなった父は、陸前高田を代表するそば店「やぶ屋」の店主だった。父の跡を継ぎ店を再建すべきか唯一さんは自問自答を繰り返していた。
市が提示した復興計画案は、津波で流されたこの場所をかさ上げし、新たな街を築こうというものだった。しかし、住民説明会では次々と反対の声が。
「一度浸水したところには住みたくありません。また逃げるのか、また財産が全部なくなるのか。そういう思いに駆られます」(住民)
安全な場所への移転を望む声。けれども高台には街をつくるだけの土地はない。
(そば修行を続ける及川雄一さん)
震災から1年後、父の跡を継ぐ決心をした及川雄一さんの修行が続いていた。
母・依子さん「しょっぱいか…こんなもんか…」
雄一さん「正直に言っていいよ」
母・依子さん「う~ん…私の舌が悪いのかもしれないから…」
どうしても、亡き父の「優しい甘口のつゆ」に近づくことが出来ない。
号砲
2014年、東北の被災地最大のプロジェクトが号砲を上げた。広大な土地をかさ上げし、その上にもう一度、街を築く。
(被災地最大規模のかさ上げ工事)
街のメインストリートだった場所に響く、太鼓の音色。陸前高田、夏の風物詩「うごく七夕まつり」。
「この通りにみんな普通に暮らしてんだよな…家、商店…普通にみんな暮らしてたんだ…」(熊谷栄規さん)
生まれ育った街の思い出と、消えることのない、あの日の記憶を胸に、人々は「最後にもう一度」と涙ながらに祭りばやしを響かせていた。
(かさ上げ工事直前のうごく七夕祭り 2016年8月7日)
葛藤
一方で、店主たちは新たな決断を迫られていた。先が見えない中でも、かさ上げされた新しい街に戻るか否かを決めなくてはならない。修行を経て、仮設の店舗で営業を再開した及川雄一さんも悩んでいた。
「10年後が見えないんですよね。借金だけが、子供に残っていく形になるんで」(及川雄一さん)
(及川雄一さん一家)
妻と小さな二人の子供。避難所から仮設住宅と、家族4人、身を寄せ合い暮らす雄一さん。これから先、まずは安全な高台に家を建てることを決めた。新たな市街地に出店すれば、さらに資金が必要。自宅と二重のローンがのしかかる。雄一さんは娘に問いかけた。
(雄一)「今パパが決めたことでお前たちが20年後苦労するかもしれないんだよ?ほかの仕事じゃだめなの?やぶ屋じゃなきゃだめなの?」
(娘)「うん」
(雄一)「なんでそう思ったの?」
(娘)「だってさ、爺ちゃんもひい爺ちゃんもやってた」
(雄一)「なるほどね、そういう事か、そうだよね、続いているからなあ」
復活
かさ上げと並行して、街づくりに向けた工事は加速。BRT=バス高速輸送システムや、路線バスが乗り入れる交通広場も完成。市街地を貫く幹線道路や橋も開通した。そして震災から10年。総事業費1660億円をかけた東北の被災地最大のプロジェクト「ゼロからつくった街」が完成した。
新危機
新しい街が出来て5年。復旧・復興から、持続可能なまちづくりへと軸足が移る中、市街地には真新しい店舗や住宅が立ち並ぶ。一方で、「売地」と書かれた多くの看板が。空き地も目立つ。民有地の利用率は、30%余りにとどまっている。
(震災から15年、真新しい店舗の一方、空き地も目立つ)
震災前、2万4000人あまりだった人口は、現在、1万6000人にまで減少。市はこのまま何も対策を取らなければ将来、8000人にまで人口が減ると危機感を強める。それを食い止めるため、複数の目標を掲げた。
「人を呼び込む」「仕事を創り出す」「若い人に住んでもらう」
観光の起爆剤として作られたのが「道の駅」。地元産の季節ごとの野菜や果物、三陸の海でとれた新鮮な海産物を求め、遠方からも大勢の客がやってくる。震災の記憶を伝える「津波伝承館」や街のシンボル「奇跡の一本松」にも国内外から多くの観光客が。震災後、落ち込んでいた観光客数は、130万人を突破した。
「人を呼び込む」目標は成功しているように見えるが、街に潤いはあまりないのだという。
「道の駅」や「津波伝承館」に次々とやってくる観光バスをウォッチしていると、目と鼻の先にある中心街に立ち寄ることなく、比較的短時間で陸前高田を去っていく。宿泊先を聞いてみると、
「大船渡に」
「陸前高田は少し寄っただけ。宿泊は気仙沼」
同じ被災地でも、多くの観光客にとって陸前高田は、滞在時間の短い「通過型」の街なのだ。
希望
(震災時高校生だった及川恭平さん)
街が新たな危機に直面する中、「街の未来」という重いバトンを受け取った若い力が、今、改革を起こそうとしている。5年前、故郷に戻ってきた及川恭平さんが立ち上げたのは、ワイナリー。震災時、17歳。自分が生かされた意味を考え続け、決意を抱いた。
「高校生で何も力になることができなかった。10年間外で修行し、帰ってきたら地元に根付く、持続可能な産業を作り出し、ふるさとの力になりたい」(及川恭平さん)
この街に新しい仕事を創り出す。それがワインだった。思いを胸に大学ではバイオサイエンスを学び、ワインの商社に就職。本場フランスのワイナリーでも修業を積んだ。誓い通り2021年。
ゼロからつくった新たな街とともに、27歳になった及川さんのワインづくりがスタート。三陸の海風を浴び、1日の寒暖差がしっかりある気候で育ったブドウは昨秋、2度目の収穫を迎えた。
(陸前高田初のワイナリーを立ち上げた及川恭平さん)
「これからやっと故郷に貢献できるのかなと。宿泊してもらうことで街の経済が潤っていくという流れを作っていきたい。観光であり産業であり、ワインがその一つのハブとして機能してくれればと」(及川恭平さん)
次の100年につなぐワインを。及川恭平さんの今の目標だ。
寒空の昼時、白い息を吐く行列が。人々が待つ先は、及川雄一さんのそば店「やぶ屋」。店内はいつも満席。新旧、多くのファンに囲まれている。
「人が少ない。新しい街に思い描いていた姿ではないけど」(及川雄一さん)
そう静かに語る及川雄一さん。父の味を取り戻し、家族との生活を取り戻すために、必死に歩んできた。厨房奥のドアには、当時、幼稚園に通っていた長男・雄太君が書いた画が飾ってある。
(長男・雄太君が書いた絵日記)
「おとうさん、いつもそばをつくってくれてありがとう。これからもがんばってね。ぼくもてつだうよ」
震災から15年。街はまだ再建途中。これからが踏ん張り時。雄一さんは黙々とそばを打ち続ける。子どもたちに託したい未来に向かって。
(現在の及川雄一さん、母・依子さん、妻・早苗さん)
(「ABEMAドキュメンタリー」より)
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