
茶聖・千利休が追い求めた理想の茶碗。11月23日まで三井記念美術館で展示されている黒楽茶碗は、利休が自らの理想と美意識の完成形として作り上げたものです。
利休が追い求めた理想の茶碗
三井記念美術館参事 清水実さん
「千利休のわび茶の理念の完成形として作られたものがこの『楽茶碗』になります。楽茶碗の楽というのも、聚楽の楽から取られているのではないかと。千利休自身が聚楽第の中に住んでいます」
聚楽第は、豊臣秀吉が京都に建てた邸宅です。「楽焼」は、聚楽第の近くで取れた土を使って焼いたものだといいます。
佐々木若葉アナウンサー
「どのような部分に利休のこだわりが詰まっているんでしょうか」
清水さん
「持った時に非常に手にすっと入る形が利休の求めているものの一つだったと思いますね」
佐々木アナ
「なるほど!よく見るとゆがんでいますね」
清水さん
「ものすごく削りに削って腰のところも削ったところとそうではないところがあって、一番下の腰のあたりで測ってもらったら、3ミリくらいしかないところがあって」
佐々木アナ
「そんなに薄いんですか」
清水さん
「薄い、やっぱり軽いですよね。これ手に取って中に緑色の抹茶が入っていることを想像すると、これが茶の湯の極致かなと思うくらいのすごさがありますね」
黒楽茶碗の価値は
利休が理想とする最高の茶碗。その価値について、清水さんはこう話します。
「評価額といったら億単位ですよね。10億円、20億円だというのはあってもおかしくないのかなと思います。割った夢を見ますよ」
佐々木アナ
「緊張しますよね」
清水さん
「わりと最近ですが、手のひらの中で割れているというのを夢で見ました」
佐々木アナ
「悪夢!」
清水さん
「起きて、夢で良かったって」
わび茶の原点“庶民の器”
質素や清楚(せいそ)を美徳とする「わび茶」は、利休の心の師匠である村田珠光が始めたものです。珠光が茶会で使っていたという2つの茶碗も展示されています。
清水さん
「これ両方とも青磁なんです。だから本来焼かれると青いはずなのですけど、酸素が入って酸化焼成されてしまうとこういう色になるんですね。その割と粗末な窯で焼くとこうなるんです、そういった粗末なところがわび茶として共感できると」
この2つは中国で作られた唐物茶碗です。青磁でありながら青くならず、当時はそれほど高級なものではなかったようです。
「これは福建省とか中国の南のほうでたくさん焼かれているんですよね。大量に焼かれていて、庶民にも使うものなんですよ」
佐々木アナ
「ご家庭で使われていたようなものが」
清水さん
「普通に使ってると思います。唐物というのが一つステータスだから舶来品ではあるのだけれど、元の中国の現地に行けば普通にみんなが使っている器だったと思います」
中国では普通に使われていたものとはいえ、珠光が選んだ一品です。この青磁人形手茶碗の内側には、仏像の顔のような判が押されています。素朴な趣も、珠光が好んだのかもしれません。
佐々木アナ
「普通に使われていたものが、珠光が使ったというだけで本当にすごく価値のあるものに生まれ変わるんですね」
清水さん
「そうですね。わび茶を提唱して、その後、わび茶がどんどん利休を経て大成されて広がっていく中で、一番最初のところで先生が使っていた茶碗というとやっぱり大変なものですよね」
古田織部の大胆な美
珠光が礎を築き、利休が大成させた「わび茶」。その美意識を、さらに型破りな美へと発展させたのが古田織部です。
佐々木アナ
「こちらはこれまで見てきたものとガラっと違いますね」
清水さん
「割れていますよね」
佐々木アナ
「はい。割れてしまったんですか」
清水さん
「あえて割ったんですよね」
佐々木アナ
「え、わざと割ったんですか」
清水さん
「もう少し大きい茶碗だったらしくて、これを古田織部が十文字に割って小さくしたというふうに伝わっています」
佐々木アナ
「もうすでに完成しているものをどうしてもう一回壊したんですか」
清水さん
「それが古田織部の美意識で」
織部が「わび」の美をさらに自由に、大胆に、独自の感性で追求したのが、常識に捉われない「破格の美」です。
「金属のくさびを打ってたりするので、よく見ると抽象的な絵画を見るような近代的な感じもしなくはない。それで今、わりと金繕いとか言って壊れた器を繕って、それを良しとするというかね」
佐々木アナ
「金継ぎ体験がすごく人気ですね」
清水さん
「その一番元祖と言えるのではないかなと思う」
三井家なぜ多くの茶碗を所持?
今回展示されている茶碗は、元々すべて三井家のものです。三井家はなぜ、これほど多くの茶碗を所蔵していたのでしょうか。
清水さん
「江戸時代の中ごろですね。三井家が呉服商と両替商というのが商売で豪商になっていくわけです。そういう中で大名とか武家とお付き合いをするにあたっては、茶の湯が非常に必須科目なんですよね。なので歴代の当主たちはみんなお茶を習って紀州徳川家のところへ御用受けるわけですけども、茶の湯で交流をするという文化がありますので、そういうところで茶の湯が必要になってくる」
利休と織部、2人の茶道の本流を継いだ小堀遠州は、「綺麗さび」と呼ばれる江戸幕府の茶道を確立しました。今回の企画展では、三井家が300年以上をかけて収集した茶碗の数々を、三井記念美術館でじっくり楽しめます。茶器の最高峰とされる国宝「志野茶碗」も展示されています。
刀剣感じる茶碗
琳派の祖とも称される芸術家、本阿弥光悦が作った茶碗も展示されています。重要文化財に指定された作品です。
佐々木アナ
「本阿弥光悦は茶碗も作っていたんですか」
清水さん
「そうですね。本来の職業は刀剣の研磨と鑑定なんですよね。非常に芸術的な才能のあふれた人で、この茶碗の樂家の3代目の道入の指導を経て作っている。光悦は素人ですから、いわゆる素人の手作り茶碗ではあるんですけども」
この茶碗で注目したいのは口の部分です。
「口のところを見ると分かるんですけども、スパッと切った感じですよね」
「楽茶碗見ると割と曲線がありますが、これを見ると刀剣との関わりがあるのかなと思ってしまいます」
佐々木アナ
「そうですね、スパッとまさに切られたような」
清水さん
「それと薄いところと厚いところと結構あって割と自由に作って、焼いている時にもヒビが入ったりしているんですけれども、それをそのまま良しとしているのを作品にしてる。『素人だ』ということを自分で言っているけど、才能はもうあふれんばかりに意識していると思う。そういうものすごい天才ですよね」
秀吉が手にした名碗
こちらは、織田信長の弟・織田有楽が建てた国宝の茶室「如庵」の室内を再現したものです。有楽が使っていた茶碗や、自ら削った茶杓、茶の先生だった利休が持っていた黒中棗という茶器が展示されています。
清水さん
「わりとお茶が好きだったりして、徳川と豊臣との間をうまく世渡りをして、最終的には茶人として京都で暮らすというそういう方ですよね。如庵という茶室は国宝に指定されていまして、昭和45年ごろまで三井家は持っていたんですね」
多くの武将たちを魅了した茶の湯。その価値を、天下人の文化へと押し上げたのが豊臣秀吉です。
こちらは、信長らに先立つ「天下人」ともいわれる三好長慶が所持し、その後、秀吉の手に渡った高麗茶碗。釉薬(ゆうやく)が乗らなかった部分が模様のように見えるのが特徴です。
佐々木アナ
「こちらは秀吉が使っていたということは、あの金の茶室で使われていたのでしょうか」
清水さん
「金の茶室というのは秀吉が作るわけですけども、そこで使う茶道具も全部金で作るわけですね。わびた茶碗は、そこでは使っていないのではないかなという気がしますけどね。きらびやかなものが秀吉は好きでですね、そういうところに千利休というのはやはり反発はあったと思う。行く行く秀吉と意見が食い違って、最後、利休は切腹するわけですけどね」
(「グッド!モーニング」2026年9月25日放送分より)
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