■人を傷つけない配慮とエンターテインメント現場での葛藤
配慮による言葉の言い換えは、日常会話やエンターテインメントの現場にも影響を与えている。
ぺこぱ・松陰寺太勇は、自身の妻の呼び方を例に挙げ、「自分の妻のことを妻と言ってよかったのか、嫁と言ってはいけないのか考える。僕と妻の間では成立していることでも、オープンな場で言うと『まだあんな呼び方をしている』と言われることを考えながら喋らなければならない。もどかしさはある」と、発言のたびに周囲の目を気にせざるを得ない現状を吐露した。
さらにお笑いの現場についても、「一昔前だったらよかったことが、『これを笑うとそういう(差別をしている人のような)目で見られちゃうからよくないのかな』という空気も感じる。誰も傷つけないとなると、言葉にキレはなくなる」と吐露した。
また、配偶者の呼び方について、コラムニスト・河崎環氏は、「公の場で言うのと、プライベートな空間で言うのは全然違うものだ。芸人さんが配偶者を嫁と呼んでいても全然悪いと思わないし、私自身もSNSで旦那と呼んだり、自分のことを嫁と呼んだりする。言葉は自分が責任を持って、その空間にどう響くか、文脈も全部込めて発するものだ」と主張した。
飯間氏もこれに同調し、「この言葉でよかったかと考えるのではなく、自分で判断して『自分としては使いたい』『あえてここではこう言おう』と、自分の責任で一つ一つ決めていく方がやりやすいのではないか」と見解を示した。
多様性の時代において、より多くの人に配慮した言葉選びが求められる一方で、それがもたらす弊害についても議論が及んだ。
井上氏は、誰も傷つけない方向へと進む現状について、「傷つく人が減るというのは基本的にいい動きだが、アメリカのお笑いなどと比較すると、言葉を貧弱にしている可能性があるというのは心配だ」と、人を傷つけない表現を重視するあまり、言葉の豊かさが損なわれる可能性に懸念を示した。
学習院大学非常勤講師・塚越健司氏は、エンターテインメントにおける言葉の制約について、「誰も傷つけないお笑いと言いつつ、分かった上で傷つけることを言ったら笑いが起きるように、落差で笑える。新しい段階に行くと、また違う落差が生まれていて、この言語ゲームがずっと続いていく。時代によってルールが変わりながらぐるぐる回っていく」と分析した。
(『ABEMA Prime』より)

