思うに、人類史上「何もなかった1年」なんてものはなかったわけで、この時期になって「いろいろなことがあった1年だったが」なんて原稿の書き出しを目にすると、書き手のヤル気のなさみたいなものが透けて見える気がして、早々に読む意欲を失ってしまうわたしである。

 なので、大変に心苦しいのだが、それでも、今年ばかりはこう言わざるをえない。

 いろいろなことがあった1年だった。

 何年か、何十年か後に、あの年が世界サッカーにとってのターニング・ポイントだったんだな、と言われることになりそうな1年だった。

 ヨハン・クライフが消えた年として。

 95-96シーズンを最後に現場に別れを告げたクライフは、以後、二度と現場に立つことはなかった。だが、時に難解で、時に哲学的だともされた彼の言葉は、バルセロナはもちろんのこと、世界のサッカー・シーンに対して強い影響力を持ち続けた。称賛の言葉が発せられることはほとんどなく、大抵は失望と侮蔑を露にしたものだったが、それでも、多くの人々は「J・C」(ヨハン・クライフの頭文字。キリスト教のシンボルと同じ頭文字である)の言葉に耳を傾けた。

 もちろん、自分たちのサッカーをクライフに否定された者の中からは、強い反発の声もあがった。かつてスペイン代表の監督を務めたハビエル・クレメンテのように、アンチ・クライフの立場を隠さなかった者もいる。だが、そんな彼らでさえ、できなかったことがある。

 クライフへの、侮蔑──。

 歯に衣を着せないクライフの言動は、現役時代から多くの敵を作った。バルサの監督時代にも彼と衝突した選手はいた。それでも、敵でさえも全面否定することが難しい何かが、ヨハン・クライフという男にはあった。「寛容」という言葉とは世界でもっともほど遠いところにいると思われるカタルーニャのメディアも、クライフに対しては最後まである種のリスペクトを抱き続けた。最終的にチームを追われることになった95-96シーズンでさえ、それは変わらなかった。

 いまや世界最高の監督の一人とされるペップ・グァルディオラは、もちろん、クライフの愛弟子の一人である。個人的には、“ドリームチーム”と言われたクライフのチームよりも美しいサッカーを作り上げた、とも思う。

 だが、今年になって感じたのは、「それもこれも、クライフがいたからだったのか」ということである。

 ヨハン・クライフが見ている。自分を育て、バルサの根幹を作り上げた人間が、教え子である自分のチームを見ている。下手なことはできない。間違いなく定期的に襲ってくるであろう「妥協」という名の誘惑にも、絶対に負けることはできない。負ければ、屈すれば、師の手厳しい言葉がメディアに踊ることになるからだ。

 そのクライフが、消えた。

 今年の5月、わたしは新シーズンにもっとも期待するチームとしてマンチェスター・シティの名前をあげた。理由はもちろん、監督がグァルディオラになったから、だった。

 伝統のあるチームに変化をもたらすのは簡単なことではない。それはわかっている。わかったうえで、あえて言わせてもらうならば、16年12月の段階で、今年もっとも失望させられたチーム、それがマンチェスター・シティである。

 バルサで理想のサッカーを追求したグァルディオラは、新天地バイエルンでは新たな、そしてさらなる高みを目指した。どちらのチームを見ても、クライフ・イズムが息づいているのは明らかだった。

 だが、16年のマンチェスター・シティから、クライフの哲学を感じ取るのは簡単なことではない。バルサやバイエルンと同じ香りを嗅ぎ取るのもたやすいことではない。

 悪くはない。魅力がないわけでもない。ただし、ヨハン・クライフが手放しで称賛するようなサッカーでは、ない。

 ひょっとすると、それはペップがクライフの目を意識しなくなったからではないのか。どんな妥協をも許さない、世界一の目利きだった師がこの世を去ったことで、いままで跳ね返し続けた妥協の誘惑に抗えなくなってきたのではないか──そんなことを、思った。先月行われたバルサ対マドリードのクラシコを見て、なおさら、そう思った。

 1対1に終わったこの試合を、カタルーニャのメディアは厳しく批判した。「バルサはかつてのマドリードのようで、マドリードはかつてのバルサのようだった」とまで書いた記者もいた。美しくプレーし、集団で相手を圧倒することを理想としてきたチームが、手堅くプレーし、3トップの破壊力に多くを委ねるチームに変質していた。

 わたしにとっては、ここ20年間でもっとも、それもずば抜けて退屈なクラシコだった。ルイス・エンリケのチームは、そういう試合をするチームになってしまった。

 だが、それを断罪するクライフはもういない。

 グァルディオラも、ルイス・エンリケも、クライフのもとでプレーし、その哲学に魅せられてきた男である。だが、このままの流れで行けば、彼らはクライフが断じて出会わなかった反応と直面することになるかもしれない。

 侮蔑、という反応に。

 クライフが育んだ哲学は、このまま衰退の道を歩むのか。それとも──。

 2016年という年が、その分水嶺として記憶されることにならなければいいのだが。

 文・金子達仁

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