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 1972年に発生した「あさま山荘事件」。1960年代から70年代にかけて起きた左翼運動の中で、世界を共産主義にするための革命を理想とする学生たちが「連合赤軍」などの過激派に姿を変えていく中で起きた事件だ。連続強盗事件などを起こす連合赤軍に対し、警察は総力を挙げて包囲網を狭めていった。追い込まれたメンバー5人が「あさま山荘」で管理人の妻を人質に立てこもった。

 当時19歳で立てこもり、逮捕された加藤倫教さんは今、実家に戻り農業を継いでいる。(2017年2月28日放送)

■「自分の考え方っていうのは根本的に間違ってた」

 加藤さんは事件について「心の中では、ずっとそこで時間が止まっているというような感覚。当時の自民党政府を打倒し転覆しなければいけない、やっぱり武装闘争しなければいけない。その理想に燃えて左翼活動に入ったが、現実は違っていた。自分たちは革命を掲げて人民のために戦うって言ってるのに、人民を盾にして警察と戦っているという、そういう根本的な過ちを犯している。最後の日が"いつ来るだろう"っていうね、続けててもしょうがないことだから、決着するなら早く決着してほしいなっていう気持ちはありましたね」と述懐する。

 「自分が参加したことは少しも後悔する気持ちはありませんけども、武装闘争しなきゃいけないっていうね、自分の考え方っていうのは根本的に間違ってたと。今は左翼とか右翼っていうことには意味がないと私は思ってます。だから今、加藤お前はどっちだって言われれば、どっちでもないって言います。共産主義とか、社会主義理論ていうのは、現実にそれがいま成立している社会っていうのはありませんし、理想に終わるという風に思ってます」と、今の心境を明かした。

■元SEALDs「自分たちが左翼だと思っていたことは全くない」

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 連合赤軍など過激派が起こした一連の事件以後、国民の心は左翼にから急速に離れていくことになる。あれから45年、渋谷を歩く若者たちは左翼について「わからないです」「飛行機の羽根かな?」「怖い」「わかんなくない?欲望の欲?差別の差?」と話す。

 安保法制に反対する運動を展開、昨年の参院選を機に解散したSEALDsの元メンバー、千葉泰真氏「自分たちが左翼だと思っていたことは全くない」と話す。同じく元SEALDsの矢部真太氏も、「初めてデモに足を運んだときには、ヘルメットをかぶった人がいるのではないかと思ったが、会社帰りのスーツを来た方や子連れの方が居て、日常の延長線上にあって、左翼的なイメージが覆された」と話す。

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 「普通の学生が声を上げたっていいじゃないかということでSEALDsを始めたので、右・左とは違う」「左翼って言われると、すぐに連合赤軍のようなものが思い浮かぶし、なんで棒を持って叩き合ってるのかわからない。冗談で突き合って"内ゲバ"みたいなのはやりましたけど」(千葉氏)と苦笑する。

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 作家で活動家の雨宮処氏は、20年ほど前、頑張れば報われるという前提が崩壊し、社会や政治を本気で考えなければならないと、まさに"右も左もわからないまま"、左翼の集会に足を運んだという。「行ったら言葉が難しくて全然わからなくて、でも右翼の話はわかりやすかった。2年くらい活動してみて、自分は違うなと思って右翼を辞めた。ちょうどその頃、小林よしのりさんの『戦争論』や、「新しい歴史教科書をつくる会」の問題など、社会が右傾化をはじめている時期だった」と振り返る。

 その後、貧困や労働問題について執筆していた雨宮氏は、「左翼」と呼ばれることが増えたという。「それで自分のことを左翼だと言ったら、赤軍派の人に"お前はマルクスも読んでいないのに、何が左翼だ!"と怒られて。右翼は入った瞬間に右翼になれるのに、左翼は名乗るのに認定試験のようなものがいるみたいで(笑)」と話した。

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 「左翼」という言葉に対し、一般の人にとってどうしても抱いてしまうネガティブなイメージ。その理由について大東文化大学准教授の渡辺雅之氏は「現実を見ないで暴力行為に走るのは左翼小児病だ、社会を変えるのはそういうものではないとレーニンが指摘していたが、日本ではそうした状況が長く続いた結果、イメージもついてしまった」と話す。

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 また、評論家の佐高信氏は「もともと暴力行為は右翼の方が多かった。過激派が出てきて変わってしまった。社会主義の世界にしたいという人たちと、現政権を批判する人たちが一緒くたにされている。左翼という言葉には、批判されるのが嫌だという権力の思いがこもっている。批判派=左翼とされてしまう。沖縄の問題について意見を言うだけで左翼と言われてしまう」と指摘した。

 
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■「左翼」と括られてしまう「リベラル」

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 「革新」や「左翼」に代わる言葉として「リベラル」がある。「個人の自由を重んじる主義」や「穏健な革新を目指す主義」を指すもので、大東文化大学准教授の渡辺雅之氏は「民主主義や人権に軸足を置いて、セクシャルマイノリティといった差異を認め、多文化共生や変化を推進していくのがリベラルの発想」と説明する。

 千葉さんが「リベラルという言葉には抵抗がない」と話すように、彼らは旧来の左翼思想とは一線を画すものを目指していたという。「自民党の議員の方々と対話しようという企画もあったが、断られてしまった」「デザインに凝って、同世代が目にしても違和感のないフライヤーを作ったり、コールを工夫したり。今までの左翼の運動とは違うということを見せないと広がりにくいと思った」と振り返る。

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 佐高氏もSEALDsの活動については「左翼に対する嫌悪感というのは、集団・組織になったときの嫌悪感も入っていると思う。SEALDsは"我々は"と言うのではなく、"私は"と言った。その組織から自由な運動に新しさを感じたし、個々人の中にそういう思いが今も残っていると思う」と評価した。しかし、リベラルな思想に基づいていたとしても、結果として活動を伴うことで「左翼」と括られてしまった部分に難しさがあったようだ。

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 「手垢に塗れた左翼のイメージになってしまったのがもったいなかった。過去のイメージを切るべきだった」と話すのは、スマートニュース社の松浦茂樹氏。「いわば"リベラルど真ん中"のハフィントンポスト日本版の元編集長として、政権に反対ばかりして、なんでこの人たちはネガティブな話しかしないの?対案は無いの?と思ってしまう。そういうイメージの左翼だったら要らないと思う」とコメント。これに対し佐高氏が「批判するのは楽だよねとよく言うが、必ず何かリアクションが返ってきますよ。対案は官僚が考える話でね。観客席から石を投げても無効だ。活動しない者の言い分」と反論、議論が白熱した。 

 「ネトウヨは一日でなれる。ネットとも親和性が高く、こいつが悪い、こいつが敵だというのも140文字で言えてしまう。何が問題かということや、どうすべきかというの説明するのに言葉を尽くす必要がある。本当に勉強して、伝えられる能力を身につける必要もある」と雨宮氏。

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 千葉氏が「政治に興味はあるけど、何か言うと右翼だとか左翼だとか言われ、ネットで攻撃される。せっかく若者たちが社会に関心を持った妨げられてしまっている」と懸念を示すのに対し、渡辺氏は「社会を変えていくのは若者だけでもないし、年寄りだけでもない、様々な人が主体になって変えていかないといけない。SEALDsだけが駄目だったとだけ言うのは違うと思う。自分自身で何を考え、どう活動するかが問われている」と話した。(『AbemaPrime』より)

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