未曾有の被害をもたらした東日本大震災、そして福島第一原発の事故から6年が経過した。今回AbemaTVでは、小泉純一郎元総理の単独インタビューに成功。小泉元総理が打ち込んでいる「トモダチ作戦」で被曝した米軍兵士たちを救済する運動や原発ゼロ運動、小泉進次郎氏に託す思いなどを1時間半にわたり語ってもらった。(聞き手:小松靖・テレビ朝日アナウンサー)。後編はこちら
■人間っていうのは何が起こるかわからないな
ーー著書『黙って寝てはいられない』を拝読しました。「トモダチ作戦」で被曝した米兵たちのための募金活動に取り組まれていますね。
去年の3月だったかな。城南信用金庫の吉原(毅)理事長がね、「小泉さんに是非とも会いたいと言っている人がいる」と。原発問題にも詳しい、日系4世のジャーナリスト、エイミー・辻本さんという人でね。
あの3.11のとき、日本政府はアメリカ政府に救援活動を要請しました。第7艦隊の空母ロナルド・レーガンと付随する艦艇は韓国に向けて太平洋を航行していたんですが、それを中断して、すぐに東北沖に来てくれたわけです。それから約1ヶ月間、東北沖に碇泊して、ヘリコプター等で震災の救援活動に励んでくれたんです。
辻本さんに、ヘリで空母に帰ってくる乗組員の映像を見せてもらったんだけど、ガイガーカウンターが鳴り出していて、「俺達は放射能の中に入ったんじゃないか」という兵士たちの声も聞こえてくる。服を脱いでシャワーを浴びたんだけど、海岸に風が吹いていたから、もろに浴びちゃったんだね。それから半年くらい経つと、20代~30代の、健康診断もガッチリやって、厳しい訓練を積んだ頑強な兵士たちが、どうも体の調子が悪いと言い出した。診断したけど原因不明だった。
さらに1年経ち、2年経ちして、だんだん悪くなってきて。鼻血や下血が止まらない。放射能のことを知らずに、防護服を着ないで活動していたから、そのせいじゃないかと。そしてレントゲン撮影してもらうと、内臓に腫瘍ができていた。放射能被曝による病だと気が付いたわけ。結局7人が亡くなっているんだけど、最初は原因不明って言われたわけだから、あとになってみないとわからないからね。
女性の兵士の中には妊娠していた人もいたらしいんだけどね、体調が悪くなっちゃって除隊してしまった。生まれてきた赤ちゃんは障害を持っていて、しばらくしたら死んじゃったと言うんだ。
除隊するともう軍人じゃないから、普通のお医者さんに診てもらわないといけなくなる。アメリカは保険制度が日本みたいに充実していないから、医療費も高くて、なかなか思うように治療も受けられない。
こういう話はあまり報道されてなくて、私も知らなかった。そこから想像もしてなかった活動に励むことになるとはね。夢にも思わなかったよ。人間っていうのは何が起こるかわからないなと思って。
■兵士たちは「日本が好きなんだ」と言うんだ。グッときちゃった
ーー映像を見て、本当の話だと思いましたか?
本当なのか?と。そんなにいるのかと半信半疑だったね。報道されていないと言うし。
その兵士たちが「小泉さんにサンディエゴの海軍基地に来てもらって、自分たちの話を聞いてくれれば少しは報道されるんじゃないか。だから是非とも来てほしい」と言っているというんだ。その日のうちに「行きますよ」って返事したよ。「すぐ行く」って言っちゃった。不思議でね。でも実情を知っちゃったからには、日本人として何もしないじゃ済まされないと思って。「トモダチ作戦」で1ヶ月活動してくれた兵士たちに、日本の国民は「ありがとう、ありがとう」と言っていたし、日本政府も感謝していたんだけれど、そんなに兵士たちが苦しんでいるということは知らなかったからね。
それで5月にカリフォルニアに行って、10人の兵士たちに1人30分から1時間ずつ話を聞いて。そしたら本当なんだよね。除隊してから十分な仕事にもありつけない、医療費が高いから思うように治療を受けられないと。しかも話を聞けた兵士たちは比較的軽い方で、もう一人「どうしても」と言っていた人がいたんだけど、病状が思わしくなくて来られなくなったんだよ。
4日間かけて話を聞いて、こんなに苦しんでいるのに、ただこのまま「ああ、知りませんでした。お気の毒ですね。かわいそうですね」って言うだけでいいのいかと、考えちゃったんだよ。
みんな、任務は現地に行って助けたり、救援物資を送ったりしていた。中には現地にはいかなかったけれども、甲板で帰ってきたヘリコプターを整備していたという人もいた。そういう仕事を防護服を着ないでやっていたからね。それでこういう風になっちゃったんじゃないかと言っていた。
最初はね、こういう窮状をなんとかしてくれと頼まれるんだろうと思っていた。でも全然そんなことは言わないんだ。だから、「何か言いたいんだろう?日本にしてほしいことはないか?」って聞いた。でも黙っているんだよね。「仕方ない」と。「本当に、何も言いたいことは無いのか?」って聞いたら、しばらく黙ってね。「…自分は日本が好きなんだ」というわけなんだね。「日本人はみんな我々に温かく接してくれた」と…(涙を浮かべ、言葉に詰まる)。
グッときちゃったんだね。俺は何か言われるかと思ったんだよ…。大したもんだなと思ってね。会談が終わった後も、ずっとそのことが気にかかってね。なんとかしなきゃいかんなと。それを思い出して、終了後の会見でもグッときて涙が出ちゃったんですよ。病を罹ったと後悔してんじゃないかと思ったんだけど、そういうことは言わない、あの真面目な兵士たちに突き動かされたんじゃないかな。
■経団連に頼みに行ったら「ご協力できない」と言われた
日本に帰ってきて、外務省に実情を説明したら、全部わかってましたね。「やることないのか?」と聞いたら「日本政府としては何もできない」ということなんだ。軍隊の活動中の被害の責任は一切がアメリカ政府が負うから。日本は「賠償してくれ」と訴えられても補償する必要はないんだね。だから彼らは、東電とGEを訴えて損害賠償請求を起こした。東電はこの健康被害は裁判にふさわしくないということで無理だという主張をして、やるんだったら第一審は日本でということになった。でも兵士たちは日本まで来るお金も負担できないので、アメリカでやることに決まったんだけどね。
アメリカの政府も立証できないとして動かないけど、上下両院もこのことを知っていて、国防総省に質問書を出してるんだよ。でも、この健康被害は放射能によるものとは断定できない、と。もし裁判で当時の状況がわかったら、兵士たちに防護服を着せないでなぜ救援活動行ったか、という問題が出てくると思うんだよね。そうすると責任を問われる兵士や幹部なんかも出てくるんじゃないかな。
兵士たちから聞いたんだけど、横須賀と厚木の基地からもトモダチ作戦に参加した兵士がいたんだけど、横須賀にも厚木にも放射能が来てるから、家族を本国に帰せと言われたらしいんだ。私は横須賀に住んでるんだけど、そんなこと横須賀市も政府も全然言わなかったよ。ということは東京にも来てるってことだよ。だから本国に帰っちゃう大使館員の人たちも居たよね。日本人でも九州に行った人たちがいたよね。そういう情報知ってたんじゃないかな。ほとんどの日本人は知らなかっただろうけど。東電も情報を知ってたけど、隠してそういう情報は流さなかったんじゃないかね。
私は被曝による被害に違いない思ったから、日本政府は何もできないけれど、私は民間人だから何かできるんじゃないか、10人かそこらだったら、多少の御見舞金を持っていけるんじゃないかという吉原さんと話をしていたら、300人もいるっていうんだ。これは1億円くらい集めないといけないなと。数百万円持ってって、それを300人に分けるのは笑われちゃうだろうからやめた。
そこで有力者に発起人になってもらって、財界の人たちと一緒に募金活動しようということになった。最初はそんなに困難じゃないと思ったんだよ。利益を上げてる企業もいるし、「どうだ?」と言えば、一社あたり10万円くらいは出すんじゃないかと思っていた。でも、経団連に頼みに行ったら、事務総長に「ご協力できない」と言われちゃってね。
今度はアメリカに詳しい友人に発起人になってもらおうとした。友人は「ちょっと待ってくれ、自分はアメリカの役人のこともよく知ってるから、ちょっと相談してみるから」と言ってくれた。しかしその後、電話で「済まない、親しい友人に、この募金活動はやめてくれと言われた」と。アメリカ政府も、この問題をおおっぴらにされたくないんだと思ったよ。
■ニトリ会長が「私、1億円寄付します」って。びっくりしちゃった
じゃあ仕方ない、親しい人でやろう、ということで、吉原さんと私、そして細川(護煕)さんと大野(剛義)さんの4人で募金活動を始めることにした。趣意書を作り、7月に記者会見を開いた。
会見の記事を見た人の中には建築家の安藤忠雄さんもいて、「協力するぞ」と言ってくれた。「ありがとう。1000万円くらい寄付してくれたらいいから(笑)」って言ったら「いやいや、俺が出すのは1万円だ」って言うんだ(笑)。
「大阪に来てくれたら、1万円の会費で1000人集める。そしたら1000万円だ。それを全部寄付する」「そんなことできんのか?」「もう会場も取っちゃったから。来れるか?」「じゃあいきますよ」って(笑)。安藤さんは「俺が顔広いから大丈夫だって」言うんだけど、みんながお盆で休んでるときに、1万円も出して俺の話を聞きに来てくれる人なんていないよ、って思った。それが会場に着いたら「席が足りないから、今足してます」って。100人か200人だったら格好悪いなと思ってたのに、1300人、1300万円が集まった。
他にも、全国経営者団体連合会の谷口(智治)理事長が「東京で"安藤方式"をやろう。山野美容学園の学長に話をしたら、"うちの講堂、ただで貸すから"って言ってくれた。1000人集めよう」と。
そういう人がどんどん出てきてくれて、募金もけっこう集まってきた。
中にはね、これはすごい話なんだけど、ある40代の太陽光発電をやっている人が、「小料理屋で会って、一緒に写真撮ってくれ」って言うから会いに行ったら、「これ、使ってください」って個人で1000万円。ある80歳の人に「食事でもしようか」って誘われて行ったら「もう俺は子どもたちに財産分けちゃったし、金を墓場に持っていってもしょうがないから」って、1000万円持ってきたよ。他にも、300万円、500万円と個人で寄付してくれる人たちがいて。日本人でもすごい人がいるんだね。それで去年の12月にはもう1億円超えて、1月の時点で1億5000万も超えちゃった。
そして2月15日。エイチ・アイ・エスの澤田秀雄さんに「経営者100人くらいの会合がある。そこで30分で良いからトモダチ作戦の話してくれ」って言われたから、行った。講演が終わって質問の時間になったら、会合にニトリの似鳥昭雄会長が立ち上がって「私、1億円寄付します」って。びっくりしちゃって。1億だよ?昔一緒にゴルフをしたことはあったけど、「寄付して下さい」なんて全然言ってないの。翌日ちゃんと振り込んできたよ。だから3月までに目標1億円だったのが、もう2億5000万円以上集まっているんだよね。
■原発ゼロは続けますよ。元気である限りは。
ーー振り返って、どんな感想をお持ちですか。
いやもう感謝、感激ですよ。こういう運動に対して「日本人として、口先だけの会社じゃないんだ」「少しでも足しにしてくれ」、そう言ってお金を持ってきてくれるんだから。みんな男気あるよね。大したもんだよ。寄付してくれた人たちに本当に感銘を受けているんだ。心から感謝しているんだ。もちろん兵士たちにも。彼らに日本国民の気持ちが伝わればいいなと思ってる。「本当に感謝してるんだよ、ありがとう」という気持ちが伝わればいいなあと。
私は初当選から総理になるまで、毎年「なんとか小泉に政治献金してください」と頼みに回ったよ。でも総理の時代も含めて、1年に1億円も集まったことはないんだよ(笑)。それがまだ1年も経ってないのに1億円超えちゃった。せいぜい10万くらい出してくれる人がいればいいかなあと思ってたんだから。500万とか1000万とか出す人がいるとは夢にも思わなかったね。
ーー3月で活動は一区切りですね。
一つの区切り。丸6年だから。そこで一旦打ち切って、集まった資金を先方に送る。「わずかながら、それを医療費の一部として使って下さい、日本国民の気持ちです」と。私は政府の人間じゃないし、毎年、毎年ダラダラしてるわけじゃないから。
ーーいち民間人、ということですが、政府、たとえば総理や政府関係者に活動について働きかけるということは?
私は現役を退いているんだから、できるだけ政治には関与しないようにと思っているんだ。原発ゼロ活動も、まさか引退してこういう運動をやるとは思ってなかったんだけど、できるだけ現役の政治家に対しては頼まないように、触れないようにしている。付き合いも、政治家以外だね。極力避けているんだ。活動は一般国民が相手ですよ。
ーー支援金を届けた後は?
私の仕事はそれで終わり。あとは向こうで有効に使ってもらえればと思う。弁護士もついてるから。皆さんで治療に役立ててください、それでいいんです。引き続き原発ゼロは続けますよ。講演をしたりね。この運動が一過性ではない。ゼロになるまで永続的に続けていかなければいけないと思っているから。続けていきますよ、元気である限りは。<後編につづく>(AbemaTV/AbemaPrimeより)