6月3日(現地時間)にブラジル・リオデジャネイロ・ジュネス・アリーナで開催された「UFC 212」で、「IQレスラー」こと桜庭和志が日本人で初めてUFCの殿堂入りすることが発表され話題になった。
桜庭は1997年12月21日に日本で開催された「UFC JAPAN」のヘビー級トーナメントに参戦。マーカス・コナンと行われたトーナメント決勝戦で桜庭が腕十字で一本勝ちを収め、日本人初のUFCトーナメント王者となった。この試合後、桜庭は「プロレスラーは本当は強いんです」という格闘技史上に残る名言を放った。
桜庭のUFCへの参戦はこの大会のみだったが、その後、PRIDEでグレイシー一族を倒すなどの活躍が国内外に格闘技ムーブメントを起こし、MMA(総合格闘技)の発展につながった功績が評価され今回の殿堂入りとなったとみられる。UFCの殿堂にはパイオニア部門、現役選手部門、貢献者部門、試合部門の4つがあり、桜庭はパイオニア部門での受賞。殿堂入り式典は7月6日にアメリカ・ラスベガスで開催される。
殿堂入りを受けて桜庭は、「最初に殿堂入りのニュースを聞いた時は驚きました。自分は最高の格闘家を目指すだけでなく、総合格闘技が持つ興奮、そして素晴らしさを世界に伝えたいと思い、ここまで戦ってきました。この殿堂入りはPRIDE時代から総合格闘技を新たなスポーツへと押し上げてくれた日本の総合格闘技関係者に捧げたいと思います」とコメントしている。
■強さを追求しながらもファンを楽しませる桜庭のファイトスタイル
小学生の頃に当時ブームを呼んだタイガーマスクに憧れ、高校、大学とレスリングを経験した桜庭は1992年7月にUWFインターナショナルに入門。1993年8月13日の日本武道館大会でスティーブネルソンを相手にプロデビューを果たす。1996年のUWFインターナショナル崩壊後はキングダムへと移籍し、1998年には高田延彦主宰の高田道場に移籍。1998年3月15日に開催された「PRIDE.2」のヴァーノン・"タイガー"・ホワイト戦でPRIDEに初参戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収める。
1999年11月21日の「PRIDE.8」のメインイベントでは、当時不敗神話を誇っていたグレイシー一族の一人、ホイラー・グレイシーにチキンウィングアームロックを極めて快勝。初めてグレイシー一族に勝利した日本人プロレスラーとなり、「桜庭と同じ時代に生きて良かった」と多くのファンをいわしめた。
2000年5月1日に東京ドームで行われた「PRIDE GRANDPRIX 2000」の決勝大会では、ホイス・グレイシーと対戦。15分無制限ラウンド・レフェリーストップおよび判定無しで行われたこの試合は1時間を超す長丁場となったが、桜庭のローキックでダメージを負ったホイスが立ち上がることができず、タオル投入によるTKO勝ちで90分に及ぶ死闘に終止符が打たれた。
同年8月27日西武ドームの「PRIDE10」ではヘンゾ・グレイシーを、12月23日さいたまスーパーアリーナ「PRIDE.12」ではハイアン・グレイシーを破り、グレイシー一族を相手に4連勝を果たした桜庭は「グレイシー・ハンター」の異名を取り、桜庭の活躍と共にPRIDEは大きく成長を遂げた。
マスクやコスプレをしての入場や、試合ではモンゴリアン・チョップやダブル・フットスタンプなどのプロレス技を使用するなど、強さを追求しながらもファンを楽しませて飽きさせないように魅了していく桜庭のファイトスタイルが高く評価され、2000年のプロレス大賞では最優秀選手賞を受賞した。
2001年以降は度重なる怪我に泣かされながらも、三度にわたりヴァンダレイ・シウバ と激闘を繰り広げ、さらにミルコ・クロコップともドリームマッチを行うなど桜庭は常に最前線に立ち続けてきた。2012年からは新日本プロレスに参戦し、グレイシー一族のダニエル・グレイシー、ホーレス・グレイシーと抗争を展開。今年からはDDTの若手主力のプロジェクト・DNAに参戦し、若手の壁になるだけでなく「悪魔仮面」ことケンドー・カシンと異色タッグを結成するなど話題を振りまいている。
偉大なる足跡と功績を残してきた桜庭も40代後半となり、体力的な衰えは否めないが、引退については今のところ考えていないようでモチベーションが続く限り現役を続行するというコメントをしている。我々にたくさんの夢と感動を与えてくれる桜庭和志は、今後どのような活躍を見せてくれるのだろうか。