今年で27回目の開催となり、プロレス界の夏の風物詩として認知されている新日本プロレスの真夏の祭典「G1 CLIMAX」。そのG1において、通算5回の最多優勝記録を持ち、「ミスターG1」の称号を欲しいままにしてきた蝶野正洋がG1 CLIMAXの中から、厳選したベストバウト5試合を選出する『蝶野正洋がガッデム!選んだG1BEST BOUT』(7月29日21:42~ AbemaTVで放送)。
放送では、蝶野がこれまで繰り広げられてきたG1の歴戦の中から名勝負を5試合選び、その魅力を語っているが、ここでは蝶野が優勝を果たしたG1 CLIMAXの激闘を改めて振り返ってみる。
1991年の第1回大会は、Aブロックが武藤敬司、藤波辰爾、スコット・ノートン、ビッグバン・ベイダー、Bブロックが蝶野正洋、橋本真也、クラッシャー・バンバン・ビガロ、長州力の計8選手による2ブロック・リーグ戦で開催された。
リーグ戦で長州から初勝利を収めた蝶野は、Bブロック代表決定戦で橋本と対戦。リーグ戦では時間切れで決着が付かず、最終日に行われたこの再試合も凄まじい耐久戦となり、どちらが勝ってもおかしくい試合だったが、STFを掛け続ける蝶野の執念が勝り決勝進出となった。
Aブロック代表の武藤との決勝戦は、勝利を確信して繰り出した武藤のムーンサルトプレスを膝剣山で阻止した蝶野が、これまでほとんど繰り出したことの無いパワーボムで3カウントを奪取。大方の予想を覆した蝶野の優勝に両国国技館は大盛り上がりとなり、興奮した観客が投げた大量の座布団が会場を飛び交った。
翌1992年の第2回大会は、新日本プロレスと当時アメリカのメジャー団体だったWCWの提携により、復活したNWA世界ヘビー級王座の新王者決定戦も兼ねて開催された。両団体16選手による日米対抗トーナメントを勝ち抜き、優勝戦に駒を進めたのは、新日本プロレス代表の蝶野正洋とWCW代表のリック・ルード。
日米対抗戦の優勝戦ということで、武藤、橋本、長州らがセコンドに付き、観客も蝶野の勝利を信じて両国国技館は盛り上がりまくり、蝶野が得意のフライングショルダーで3カウントを奪うと会場は大爆発。蝶野はG1 CLIMAX2連覇を成し遂げるともに、栄光のNWA世界王者となった。
■3度目のG1制覇後にヒール転向「黒のカリスマ」に
1993年の第3回大会では、準決勝で馳浩に破れ、3連覇は達成できなかった蝶野だが、日本人12選手による2ブロック・リーグ戦で開催された1994年の第4回大会では、佐々木健介の別キャラクターであるパワー・ウォリアーと優勝決定戦で対戦。
渾身のSTFでパワー・ウォリアーを下し、3度目のG1優勝を果たした蝶野は試合後に「俺がG1男の蝶野だ!オラ!よく覚えとけオラ!」と叫び、これをきっかけに蝶野はヒールに転向。以後、黒いコスチュームとなった蝶野は「黒のカリスマ」と呼ばれるようになった。
その後、1996年の第6回大会の決勝で長州に破れ、優勝を逃してからG1の決勝戦の舞台に立てなかった蝶野だが、「新日本 vs 外敵」がテーマとなった2002年の第12回大会の決勝戦では、外敵の高山善廣と対戦。怒濤のケンカキック10連発で高山を破り、8年ぶり4度目のG1優勝を飾った。
そして、2005年の第15回大会では、リーグ戦全勝で決勝戦にあがってきた藤田和之と優勝を争い、シャイニングケンカキックで藤田を下した蝶野が、史上最多となる5度目のG1制覇を成し遂げた。
これまでG1を2大会連続で優勝した選手も、蝶野と天山広吉の2人しかおらず、いかにG1で優勝することが難しいかを物語っている。
「ミスターG1」蝶野が選んだG1 CLIMAXの名勝負をしかと見届けよう。
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