中越地震から13年 異例の全村避難を決断、そして帰村を実現させた村長の言葉 2017/11/06 01:00 拡大する 今から13年前の2004年10月23日午後5時56分、最大震度7を記録した新潟県中越地震が発生した。死者68人、重軽傷者は4795人に上り、余震の中、避難者は最大12万人を超えた。また、建物への被害は全壊3175棟、半壊・一部破損が11万8429棟に達した。 そんな状況下にあって、命を守るために力を尽くした人々がいた。山古志村の村長を務めた長島忠美氏もその一人。地震によって村へと通じる道は全て寸断され、14の集落が完全に孤立した。壊滅的な状態を目の当たりにした長島氏は、2167人の全ての村民を長岡市に避難させる"全村避難"をいち早く決断する。再び帰ることができるかどうかさえ分からない状況の中、村を捨てるも同然の、異例の措置だった。着の身着のまま村を後にした住民たちは、長岡市内の避難所での生活を余儀なくされた。長島氏は村への一時帰宅を要請し、貴重品などを持ち出すために2時間限りの帰宅が許された。車に乗り込み山古志村へと向かう村民の誘導も、長島氏自ら行った。 続きを読む