K-1/Krush/KHAOSを運営するK-1 JAPAN GROUPが次世代ファイターを発掘する番組「格闘代理戦争」。「強い奴」を求めに魔娑斗、山本”KID”徳郁、青木真也に続き、小川直也の元を訪れた。
小川に「強い奴は強い奴が判る、どこかに強い奴はいないか?」と問うと「ここは柔道場だよ。何で?ここでは柔道を教えてるからK-1なんか育成してねえよ」と一蹴。
意図としては総合格闘技の経験のある小川直也であれば、適正のある人材に当てがあるのでは?との期待的観測での突撃取材だったが、その取材姿勢が小川の逆鱗に触れることになった。
そんな中、小川がアントニオ猪木率いるUFOに入団、1999年1月4日東京ドームの新日本プロレスのリングで橋本真也と対戦したセメントマッチに関する驚きの証言が得られた。
そんな場面で小川のプロレスからMMA参戦に至る「暴走柔道王」誕生秘話が明かされることになる。
―小川さん、総合出てパンチ、キックもそうですけど、ああいう立ち技打撃系もやってらしたと思うんですけど、そこは何故柔道からPRIDEとかに出たりそういうことができたんですか?
小川:総合のリングに上がらなきゃいけないならルールがあるじゃん? ルールに則ってやるために慌てて覚えたよ「ヤバイぞこれ」と思って
―それで覚えられるものなのですか?
小川:いや、覚えるんだよ。覚えられるじゃなくて、覚えるんだよ
―その時は必死で…?
小川:殺らなきゃ殺られるんだよ。プロ格闘家になったから。柔道家じゃなくなったから。
―その時はどこに行ったんですか?打撃を覚える時?
小川:色んなところに行ったけど、猪木さんに連れられて海外に行って、あちこち行ったね。「まずは頭真っ白にしてオレに着いて来い!」と言われて。
まずねUFCのチャンピオンのドン・フライのところに行ったんだよね。彼のジムに行って…かと思ったら翌日はヒクソン・グレイシーの所の柔術の教室に行って、だからあちこち行ったから何がなんだか判らないんで。
で、日本に帰って来たらキックボクシングのジムとか恵比寿にある伊原ジムとかね。プロレスラーって色々自分の中のストーリーを考えていく訳だよ、リングに上がるときに「ただ勝つだけでいいや」という格闘家とは違うから。一応、アントニオ猪木の弟子で行くからね。演出家がバリバリ入らないと駄目だね、レスラーだから。何かと「考えとけ!」と猪木さんに教わったから。
「俺の格闘技は違う。プロレスの血が入っている」とイノキイズムの伝承者という自負がある小川。2000年「PRIDE11」での佐竹雅昭戦を振り返り「佐竹とやったじゃん。1Rで一生懸命殴って倒そうと思ったけど、倒せなかったから。オレの得意分野じゃないかもしれないけど、あの試合はあの試合で倒せなくてガッカリしたんだけど…あれで悔しくて、立ち技を磨こうと。PRIDE GP一回戦はステファン・レコをはじめてパンチで倒せた、あれは気持ち良かったな」とK-1ファイターとの戦いを振り返りつつも、本編の「強い奴探し」の話題を振ると「失礼な奴だな。K-1なんていなんだよ!」と激昂。
そこは、かつて打撃を磨き柔道からMMAのパイオニアへと転身した小川にとっても「K-1ファイター育成」という番組コンセプトはあくまで門外漢という誠実さの現れかもしれない。
しかし興味深いのは、小川が突如肉体的にも絞り込み変貌を遂げた際にUFCの王者ドン・フライとヒクソン・グレイシーという当時最強の選手たちにレクチャーを受けていたという事実だ。そのネットワーク力や、小川のポテンシャルを見抜く才能など、「さすがアントニオ猪木」と言ったところだが、プロレスのリングしかも1.4東京ドームという晴れの舞台で、その技術を披露、実践した小川の狂気を改めて感じさせるエピソードといえるだろう。