19日、東京国際フォーラムで「日本財団ソーシャルイノベーションフォーラム」が開催され、「ニュースは誰が担うのか」をテーマに、新聞、テレビ、ネットメディア関係者がこれからのニュースのあり方を議論した。
■登壇者
奥村倫弘 ワードリーフ THE PAGE編集長 読売新聞記者を経て1998年にヤフーに入社。以来約20年にわたって、流通と生産の両面から日本のネットメディアに関わってきた。
郭晃彰 テレビ朝日 AbemaPrimeプロデューサー補佐 2010年テレビ朝日入社。情報番組でAD、ディレクターを経験後、社会部に異動。国土交通省や気象庁の担当記者を経て、16年春から現職。
杉本誠司 ニワンゴ代表取締役社長として登録会員5000万人達成。国政選挙でネット党首討論をプロデュース。ネット選挙解禁とともに政治とネットメディアの親和に貢献。
古田大輔 2002年朝日新聞社入社。15年10月にBuzzFeed Japanによる新メディアの創刊編集長に就任。
角田克 朝日新聞社 社長室 特別秘書役。社会部を中心に文化くらし報道部を経て現職。
牧野友衛 AOLジャパン、グーグルでビジネス開発やプロダクトを国内展開。2011年Twitter入社、事業戦略の立案と実施を指揮。16年9月よりトリップアドバイザー代表取締役。
Diana Garnett(ダイアナ・ガーネット) 歌手・タレント ワシントンD.C出身。日本の中学で英語を教えながら13年メジャーデビューを果たす。現在「囲碁フォーカス」(NHK Eテレ)司会を担当。
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奥村倫弘氏
奥村:芸能人の不倫など、20年前には新聞・テレビがトップで扱わなかったような話題がニュースアプリではトップに出て来るようになった。インターネットが登場してニュースの主人公が変わってきたという感覚を持ち始めていると思うが、ニュースそのものへの考え方も変わってきたのではないか。また、新聞・テレビもそれに影響を受けているのではないか。
角田:今では新聞が政治・経済から文化・芸能、スポーツまで幅広く扱っているが、明治の始めに新聞が盛んになった頃は、偉そうに政党政治を論じる「大新聞」と、街ネタや娯楽を扱う「小新聞」に別れていた。そのうち小新聞の読者が増え、政治・経済の記事を載せるようになり、今の朝日新聞や毎日新聞に至っている。
私が社会部出身ということもあるが、「えっ?」「へ~」「なるほど!」「まさか?」と、感嘆詞で受け止めるものが、その方にとってのニュースであるとも思う。当局が明らかにしていないもの、まだ世の中に知られていないものを調査報道的にお示しするというのが、基本的な新聞社のニュースであるべきだと思ってきたし、思いたい。
郭:その点について新聞との違いは無いと思うが、やはりテレビの場合、扱い方が時間帯によって変わってくると思う。例えば生番組の最中に起きている火事は生中継する場合もあるが、深夜に起きた火事はそうならないし、他に話題の量によっても扱いの大きさは変わってくる。地上波とAbemaTVとの間にも大きな差はないが、AbemaNewsチャンネルは24時間なので、事件・事故の現場から生中継や記者会見は全て流すこともある。
奥村:会見の一部始終を生中継すると言えば、ニコニコ生放送のイメージがある。
杉本誠司氏
杉本:ニコニコは"発信したい"という思いがある人が集まるプラットフォームなので、日本中が驚くようなことも、友達のお昼ごはんのおかずも、なんでもあっていいんじゃない?という考え方だった。ネット事業者には報道についての知見が乏しいということもあり、ニコニコニュースがスタートした頃には報道機関の言うような"これがニュース"というようなこだわりも逆になかった。政治家が何気なく発信していることであっても、人々やメディアが認識することによってニュースになる。つまり、これがニュースだと思う人が多ければ多いほど、最大公約数として「ニュース」「報道」と呼ばれるものになっていくものだと思うので、どういうものがそうなっていくのかという実験の面もあった。
また、本当に記者、編集者がいないと「ニュース」はできないのだろうかという問題意識もあった。話す内容の真偽は一旦脇に置いて、当事者が話すという事実関係だけ報道機関を介さずに機械的に出した時に、どうなるのか。編集や解釈といったバイアスを入れない状態で出したものはニュースにならないのか、という実験でもあった。
ニコニコニュースも"取材っぽいこと"、"編集っぽいこと"をする場合もあるが、本質的には"ノンジャーナリズム"と言って、なるべく手をかけないようにしてきた。最大公約数の大きいものを並べていくのがネットっぽいと。ただ、これが本当に出ていて良いのか、あるいは安倍総理の話よりも大きく猫の写真が出て来るのはどうかといった議論はする。記事が消費されるのをデータ・ドリブンでやってネットニュースはそうなりがちなので、「それはメディアじゃないよ」という言い方をされることもある。
郭:AbemaTVはサイバーエージェントと共同で運用しているので、彼らと仕事をしていて感じるのは、やはりIT企業の人たちとは格段にレベルが違うということ。僕は29歳なのでテレビ朝日では"ネット世代"の部類に入られているが、作ったものをどうやって知ってもらうかという部分は、SNSやYouTubeで展開する専門チームにお任せしている。また、AbemaTIMESというメディアで放送した中身を事後的に記事にしていて、それがポータルサイトやニュースアプリを通じてより多くの方に見てもらえる。テレビの内容を知ってもらえる機会はまだまだあると驚いている。オンエア後の拡散力を考えれば、地上波ももっとやればいいのにと思う。
郭晃彰氏
古田:スポーツ紙がテレビ番組で有名人の発言を書き起こして、それをYahoo!ニュースが取り上げるのが当たり前になっている。それを自社でやるという発想は非常に良いモデルだと思う。
牧野:Twitterには、著名人のTweetなどメディアにとって一次情報になりうるものがあるということと、メディアが話題にしてトラフィックにするために素材を展開するという二つの機能がある。話題を提供し、それについてみんなが話し合い、拡散し、それらがまとめられてさらに拡散する。そういう意味でTwitterはニュースについての話をする場所になっている面がある。
古田:新聞記者の仕事の一つに、街に話を聞きに行きましょうというのがある。例えば大雪が降ると電車に乗れなくてホームがすごいことになったり、タクシーに行列が出来たりするから、「必ず行ってこい」と。でも、今は電車が止まって困っている人のTweetは山ほどあるし、しかもみんな大喜利のように上手いこと言うので面白い。現場に行って話を聞いても、「いや~困ります」くらいしか返ってこない。「どうですか」「困りました」を並べた記事とTweetを並べた記事、どちらのクオリティが高くて面白いか。でも、「あいつら努力もせずに記事書きやがって」となってしまう。
角田:事故現場の生々しい写真など、ニュースの素材になるものはTwitterの方が報道機関よりも先だったりすることが増えてきた。私も社会部長のときには"街の声禁止令"を出したことがあるが(笑)、若い記者は「地取り」といって、現場近くの人に話を聞いていく初歩的な作業をするが、最近それが"いい素材"を持っているひとを探すという方向に変わってきている。当然、ネット上で探していくこともある。
牧野:最近でこそTwitter上の情報を取り上げられるのは当たり前のように見られるが、2011年頃まであまり情報源として見られるということは少なかったので、報道機関にどうすれば見てもらえるかという実験的な取り組みをやっていたこともある。そこでわかってきたのは、学生による投稿が取り上げられる傾向にあるということ。通学途中に見かけたことを投稿したものがとくネットのニュースやテレビに取り上げられている。彼らは投稿に慣れていて、投稿数も多い。そこで面白いのは、発信者としては日常の中で何かを発見したから投稿したというだけで、それがニュースだという意識がないこと。報道機関や受け手にとってのニュースと、発信者との考え方に違いがあると感じている。
奥村:学生と話をしていると、「友達に彼女が出来た」という話もニュースだと言っていた。それは明らかに新聞・テレビが言う「ニュース」とは違う。
牧野:その彼女が有名人だったら世の中的な「ニュース」なのでしょうが(笑)。当事者にとってのニュースと、世の中で価値のあるニュースとはずれが生じているということだ。
古田:BuzzFeed Japanは人によって違うイメージを持たれている。面白おかしい話題、クイズ、猫の画像もあるので、すごくくだけたメディアだと思っている人もいるが、ハードな調査報道もやっているし、他メディアの間違いをガンガン指摘してもいるので、ある意味で怖いメディアだと思っている人もいる。
奥村:BuzzFeed Japanのトップには猫の画像が来ることもあるが、なぜ朝日新聞の一面には載らないのか。
角田:紙面に載せるものは、これは全国版、これは地方版だけ、これは○○県版だけ…といったように判断していく。何を載せるのか本当に判断に迷った時にはデスク会を開き、「朝日新聞として明日みなさんにお送りするニュースはこれだ」というような線引きをやっている。編成局長が最終的に判断する場合もある。
角田克氏
朝日新聞でも、SNSを分析して世の中の関心がどこにあるのかを大いに参考にしている。社内にも議論があって、なぜ1面には政治・経済の「大新聞」的なものがトップに来やすいのか。"1面こそ、読者の切実な関心である介護や待機児童の話に面積を取るべきではないか"というような意見が外部の有識者から寄せられる。読者からも"変わらずやりつづけるのがいいのか、そろそろ考えても良いのではないか"と意見を頂戴する。新聞・テレビはマイナスイメージも含めて「旧来型メディア」と言われるので、私たちも入っている新聞協会なんかは「基幹メディア」と言い始めた(笑)が、世の中の変化に合わせて私たちも生きていかないといけない。現時点では猫が新聞の一面に来るかは分からないが、朝日新聞デジタルは違う方針でやっているので…。
古田:朝日新聞デジタルのかなり目立つ位置に猫が掲載されたことはある(笑)。例えば朝日新聞デジタルでは、女子高生のスカートの長さについて、お金と人をかけて調べたとても面白い企画を載せた。しかし、それがニュースなのかと問い始めたら難しいし、猫の可愛さを愛でることと本質的に何が違うかというのも難しい。
さらに言えば、例えば作家の辺見庸さんが指摘しているが、1936年、日中戦争が始まろうかという緊迫した時期に、当時の新聞社は号外まで出して「阿部定事件」をひたすら報道していた。今の新聞は「小新聞」「大新聞」から両方を取り入れた「中新聞」だが、人の興味を引くものを取り扱うという意味では、当時も今も変わらないのではないか。
郭:恋愛の話をどう考えるか。僕は入社1年目の頃は情報番組のADをやっていたが、寒い中、市川海老蔵さんが入院する病院の前でずっと待っていることに疑問を感じた。社会問題を報道がしたくて入社したのになんでだと(笑)。でも、ワイドショー部門の偉い人に「芸能人の恋愛は教科書だ。恋愛の仕方を教えてくれる人はどこにもいないから、芸能人の話のディティールが教科書になるし、ニュースにもなる」と言われて納得した部分はある(笑)。
古田:芸能人の恋愛は教科書になりますかね?(笑)ちなみにBuzzFeed Japanはゴシップを扱わないと決めている。当然アクセスは稼げるが、世の中は良くはならない。「飛んでもない奴だ、叩き落とせ!」みたいな報道で誰が喜ぶのかと思う。ポジティブなインパクトが重要だし、可愛い猫を見てほっこりする気持ちは最高(笑)。
角田:芸能人の結婚・離婚などは夕刊の第2社会面に10行くらいで載せているが、誰を載せて誰を載せないかというのは当日の担当デスク間で結構な議論がある。載せすぎると「なんで紙面を割いて女子アナの結婚を載せるんだ」という批判が読者から結構来る一方、関心のある人も増えているので載せる判断をすることも多い。
奥村:やはり新聞社だけが作ってきたものだけがニュースではなく、投稿するものもまとめる人もいれば作る人もいる。役割がいろいろ別れてきている
杉本:やはり読者をすっとばして発信者だけで議論をしてしまうと、なんでこれがニュースになるんですか、ということになって結局混乱してしまう。作り手が読者、視聴者の層を想定して、こういう人たちがいるから、それに向けて我々はこれをニュースと考えて作っています、ということではないのか。これからは、その作業をしていく必要があるのではないか。
古田:ニュースとは何かを定義しないといけないという雰囲気が出てきたのは、ここ最近のことだと思う。十数年前までは、新聞、テレビ、雑誌が流しているもの=ニュースだ、という感覚がなんとなくあった。僕は2002年から13年間新聞社にいて、しかも若手の頃の上司は角田さんだった(笑)。でも、角田さんとニュースとは何かと議論したことはないし、新聞記者でそういう議論したひとはいないのではないか。なぜなら、自分たちの仕事がニュースだというのを当たり前だと思っているから。
角田氏、古田氏、牧野友衛氏
新聞に載っている4コマ漫画はニュースなのか、商品紹介だけの記事がニュースなのか。そう考えていくと、新聞そのものがニュースだとは思えない。あるいはテレビのお笑い番組やドラマはニュースじゃないとすると、情報バラエティ番組はどうか。テレビ局の人は「あれはニュースではなく情報バラエティです」と言うと思うが、視聴者にその区別は付いているだろうか。情報バラエティ番組だからといって、真偽があやふやなものを出していいということにはならない。決して嘘は流さない、きちんと精査して出すということになるだろう。
結論としては、定義付ける必要はあまりないのではないか。これがニュースだということを考えて仕事もしていない。きっちり定義づけてしまうと、究極的には"ニュースじゃないものはそこまで厳密にしなくていい"ということになってしまう可能性がある。それは読者に対して不誠実だと思う。テレビ・新聞が取り上げているもので"危ない"と思うこともある。情報発信する側が品質を担保して出すということが重要なんだろうと思う。(後編に続く)