
『週刊文春』による不倫報道を受けた会見で、「ご迷惑をかけた償いとして、音楽生活の引退発表とさせていただきます」と発表した小室哲哉さん。耳鳴りなどの体調不良、そしてKEIKOさんを支える日常も重なり、昨年8月ごろから引退を考えていたことだとも説明した。さらに、「音楽性が本当に優れているものなのか。定年に近い人間が、現代のめまぐるしい状況のエンターテインメント業界の中で何の役目があるのか。引退みたいなものがどんどん頭をもたげてきた」と、自身の仕事に対する"自信喪失"があったことも吐露した。
音楽業界関係者からは引退を惜しむ声が相次いでおり、小室さん、KEIKOさんとともにglobeの結成メンバーだったマーク・パンサーさんは「車内の学生達の会話からニュースを聞いた…先生が引退…落ちる…いやっ、落ちてはいけない!グローブのともし火は消さない!!信じ続けて突っ走る!!」とツイートしている。

19日放送のAbemaTV『AbemaPrime』に出演した音楽評論家の鹿野淳氏は「自分で辞め時を選べるミュージシャンは数少ない。革命的なレジェンドである小室さんが一線から身を引くのはとても残念だが、ご自分でそれを選択したことはむしろ素晴らしい音楽家である証明であるとともに、人間としても理想的な引き際ではないかとも思った」と話す。
1990年に「ロッキング・オン」に入社、2000年には音楽雑誌『ロッキング・オン・ジャパン』の副編集長に就任するなど、"小室ファミリー"がブームになった1990年代以降の音楽シーンを深く取材してきた鹿野さん。「YOSHIKIさんとユニット『V2』を組んだりしていた関係でお付き合いはあったが、ロックジャーナリズムにとっては反面教師というか、大衆の代表としてあまりにも大きく、ロックというカウンタカルチャーのいわば矛先だった」と振り返る。
小室さんの音楽について鹿野さんは「一言で言えば、小室さんがヒットを量産するまで、日本の音楽の中心は演歌に端を発する、切なくて、心の孤独や冬景色などを合わせていったものにルーツを持つ歌謡曲だった。そこに、クラブやディスコ、ヨーロッパで流行っていた音楽を持ち込んで、"ポップミュージック"に変えていった立役者だと思う。ハイな感情を巻き起こし、でも日本人が好きなセンチメンタリズムも持ち込む。そこが今までの歌謡曲とは異なっていた。また、昔から日本の音楽はリズムが音の邪魔をしないスムーズであるものが良いとされてきた。そこにテクノやハウスなど、リズムが主役になる音楽に良いメロディを当てていく改革を起こした。それから転調。ガラッとコードが変わった違和感によって、1曲聞いただけなのに2曲、3曲聞いたような感覚になる。今やアニメソングなどでは当たり前のように多用されている、そうしたアレンジを大衆化させた先駆者だ。ネットの中で生まれてくる音楽も、辿っていくと小室さんがいる」と評する。
1996年4月15日付のオリコンシングルランキングを見てみると、
1位『Don’t wanna cry』(安室奈美恵)
2位『I'm proud』(華原朋美)
3位『FREEDOM』(globe)
4位『Baby baby baby』(dos)
5位『Love & Peace Forever』(trf)
と、"小室プロデュース"作品が上位を独占している。そんな小室さんが、会見では自身の才能の"枯渇"に言及した。
鹿野さんは「枯渇してるかしてないかというより、小室さんが曲を書けば受け入れられ、売れる時代があった。CDが売れなくなって、誰かが小室さん以上に記録を伸ばすことはもうないだろう。日本のCDセールスにおいてはMVPだった。そんな時代が長く続くはずはないが、全盛期の自分が心の中に残っていて、今の状況を受け入れがたかったのだろう。1日に3曲から5曲くらい作っていた時期もあったと思うが、量産できない。いろんなことに疲れて、あれだけ時代ともシンクロしていたのに、今はズレも感じている。おそらく10年以上前から、挫折・屈辱感と、それへのリベンジという感じだったのではないか」と指摘。その上で、「プロデューサーがアーティストを越えるということはほとんどないが、小室さんは間違いなく越えていた。今のアイドル界における秋元康さん以上のバリューだったと思う。そういう方が刹那的な音楽シーンの中でもこれだけ長く現役でやっていたことのほうが異常だ」と、小室さんの残した功績に賛辞を送っていた。(AbemaTV/『AnemaPrime』より)