1月28日に開催された新日本プロレスの北海道・北海きたえーる大会で大波乱が起こった。それは、メインイベントのIWGP・USヘビー級選手権試合で王者・ケニー・オメガが、ジェイ・ホワイトの挑戦を受けた一戦で起きた。
1.4東京ドーム大会で、クリス・ジェリコの挑戦を退けたケニーと、棚橋弘至に敗れ、IWGPインターコンチネンタル王座奪取を逃したジェイの一戦とあって、戦前の下馬評は挑戦者の圧倒的不利だった。
ケニーは自身の率いるユニット「BULLET CLUB」入りを拒否し、オカダ・カズチカらの「CHAOS」に加入したジェイに、制裁を加えるかのような厳しい攻めで追い込んだが、終盤にフィニッシャーの片翼の天使をジェイの必殺技・ブレードランナーで切り替えされ、まさかの敗戦。この結果に場内のファンからは大きなどよめきが起こった。
しかし、試合後のリングには、さらなる新展開が待っていた。1.5後楽園大会でのケニーとCodyの言い争いを発端に、ユニット分裂の危機に直面していたBULLET CLUBのメンバーが登場し、Codyがケニーにクロスローズを浴びせたことで、BULLET CLUBは完全に空中分解。Codyはなおもケニーの頭を蹴りまくり、パイプ椅子を持ち出したところで、花道を全力疾走してきた飯伏幸太がリングイン。Codyたちは退散した。
飯伏がケニーに手を差し伸べるが、ケニーは背を向けたまま応じない。しかし、飯伏が「ケニー、ケニー」と何度も呼びかけた後に強引に振り向かせ、がっちりと抱擁。2人は抱き合いながら言葉を交わした。ケニーは飯伏の肩を借りて退場し、2人はノーコメントでバックステージに引き上げた。
ケニーと飯伏は、かつてタッグチーム「ゴールデン☆ラヴァーズ」として一時代を築いた。2008年にDDTの路上マッチで壮絶な闘いを繰り広げ、互いに理解し合った2人は、翌2009年1月よりタッグを結成。同年1月24日には早くもKO-Dタッグ王座を奪取した。
2010年から新日本プロレスに参戦したゴールデン☆ラヴァーズは、同年10月11日、新日本プロレス両国大会にて田口隆祐とプリンス・デヴィットの「Apollo55」が持つIWGPジュニアタッグ王座に挑戦し、タイトルを奪取。この試合は、東京スポーツが選定するプロレス大賞において、この年の最優秀試合賞を受賞した。 ジュニアタッグの試合がこの賞に選定されたのは、史上初の快挙だった。
ゴールデン☆ラヴァーズが最後にタッグを結成したのは、男色ディーノ、竹下幸之介組と対戦した2014年10月26日のDDT後楽園ホール大会。ディーノの男色殺法に苦しめられた2人だが、最後はコーナーポスト最上段から2人同時に450°スプラッシュを決める難易度MAXの「ゴールデンシャワー」で、ディーノから3カウントを奪取。ゴールデン☆ラヴァーズ最後の試合を勝利で飾ったケニーは、DDTから新日本プロレスに移籍。飯伏も新日本プロレスを主戦場としていたが、リング上で2人が交わることはなかった。
昨年のG1クライマックスの決勝で、内藤哲也に敗れたケニーを飯伏が控室で待ち受けて以来、再合体の機運が高まっていたが、実に3年3ヵ月の月日を経て2人の絆が復活した。BULLET CLUBの分裂が決定的となり、ゴールデン☆ラヴァーズ再結成の日は近いと見られる。今後のケニーと飯伏のストーリーから目を離せない。
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