小野寺防衛大臣は2日、2004~2006年にイラクに派遣された陸上自衛隊の日報のべ376日分、およそ1万4千ページが陸上幕僚監部内で見つかったと発表した。昨年の国会では野党側の質問に「不存在」と答弁していたもので、その存在を一転して認めることになった。
そんなイラク戦争が開戦した直後の2004年、現地で人質事件の被害者となり、日本中から注目を集めたのが今井紀明さん(32)だ。
外務省が勧告を発出、渡航を自粛するよう促していたが、当時18歳だった今井さんは世界的な問題となっていた「劣化ウラン弾」の脅威を伝えるために入国。その直後に今井さんを含む日本人3人が現地の武装集団に身柄を拘束される。しかし、最初は人質にされているという感覚もなかったという。
3人の映像は世界に配信され、武装集団は日本政府に対して自衛隊の撤退を要求、答えない場合は殺害するとの声明を出した。日本で自衛隊の撤退を求めるデモが起きたことも一つの要因とされ、決断を迫られた小泉総理は「3人の無事救出に全力を挙げる。今の時点ではこれが一番大事だと思う」とコメント。メディアも一進一退の交渉、3人の最新状況について報道を続けた。拘束から8日後、3人は無事解放された。
■凄まじい人格否定と、誤報に基づく誹謗中傷も
「僕らが解放された瞬間、テレビも入っていて、状況がわからないまま撮られたりしたというのも結構あった。僕らにとってあの事件はわからなかった」。そんな帰国した3人を待っていたのは壮絶なバッシングだった。
外務省が渡航の自粛・退避勧告を出す中で渡航し人質となったことで、日本の国際的立場を左右する事態にまで発展したことから、3人に対しては、メディアからも「自己責任」という言葉がぶつけられた。小泉総理も当時、「政府の退避勧告を多くの日本国民に真剣に受け止めて頂きたい」とコメント、麻生太郎総務大臣も「行かない方がいいという話をし続けたと記憶していた」と指摘していた。
インターネット上では誹謗中傷が書き込まれ、政府が人質解放に20億円もの税金を支払ったとの噂や、"自作自演"という噂も流された。今井さんにも「凄まじい人格否定と、誤報に基づく否定」の手紙が届くようになった。
「ちゃんと生き残れてよかったとは思っているが、事実に基づかない誹謗中傷も受けたので、すごくしんどかった。後ろから突然殴られた経験もある。(海外でも)日本人からあいつと関わるなと言われていたのでしんどかった」。
3人は反論することさえできず、引きこもることしかできなかった。事件の影響で今井さんの兄は職を失ったという。
今井さんの事件以後も、中東へ渡航した日本人が拘束・殺害されるケースが相次いだ。2004年には橋田信介さん・小川功太郎さん、そして香田証生さんがイラクで武装勢力によって殺害、2014年には後藤健二さんと湯川遥菜さんがシリアで「イスラム国」の戦闘員によって殺害された。また、2015年には安田純平さんがシリアで拘束され、現在も消息不明のままだ。
今井さんは「特に印象深かったのは、香田証生さんの事件。"帰ってくるな"、"死んだらいい"という声がすごく大きかった。僕自身も立ち直れないくらいショックが強かった」と振り返る。
2014年、今井さんは自身のブログで事件のことを振り返り、迷惑をかけたとして謝罪のコメントも出している。当時に戻れるならイラクに行くかという問いには、「若い人に社会課題を考えて欲しいという思いはあるので、同じことをしたと思う」としながらも、「多くの方に動いて頂いた事件だったので、そこは本当に申し訳なかった」と話す。
■「"自己責任"が人を切り捨てる言葉に」
事件後数年にわたり対人恐怖症やパニック障害に悩まされたという今井さん。2006年に立命館アジア太平洋大学に入学。その後、商社勤務を経て「僕はかなり人に助けられた人生だった」と、26歳の時に認定NPO法人「NPO法人D×P(ディーピー)」を設立した。以後、定時制・通信制に通う高校生と社会を繋げ、就職までサポートする活動を続けている。2016年度は個人や企業から5000万円の寄付を受けた。現在、スタッフが24人、ボランティアが250人ほど在籍し、全国で3000人ほどの子どもをサポートしているという。
「通信制高校の子の2人に1人は進学も就職もしない。不登校、引きこもりの経験者、家庭の事情でご飯を食べていないなど、経済的に厳しい子も多い。でも、一人にフォーカスして、ちゃんと支援すればクラウドファンディングでやりたいことを達成したり海外に行ったりする。プログラミングができる子もいる。僕らの社会が才能を見つけていないだけで、大人が支援を続ければ、社会で活躍できる」。
今井さんとともに人質になった2人も事件を乗り越え、再出発を果たしている。イラクで支援活動をしていた高遠菜穂子さんはPTSDを克服後、再びイラクに渡り、医療支援などを続ける。また、フォトジャーナリストの男性も世界の紛争地や日本の被災地へ向かい、シャッターを切り続けている。
誹謗中傷の相手と文通を始めたところ、「4通ぐらいやり取りをした人は、最初は"バカヤロー"だったのが、最後は"頑張れ"って言われた」という経験も明かした今井さん。改めて"自己責任"という言葉について訊ねてみた。
「事件後、人を切り捨てる言葉として使われるものだと感じるようになった。それで本当にいいのか。社会を窮屈にしているだけなのではないか。僕たち自身が不寛容さで社会を苦しめているのではないか。そこを見つめ直した方がいいのではないか」。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)