今から82年前の1936年(昭和11年)5月18日、今なお語り継がれる「阿部定事件」が発生した。この日、東京・中野区で割烹料理屋を営む石田吉蔵(当時42)の、男性器を切り取られた死体が荒川区で発見された。殺害したのは、その愛人だった阿部定(当時32)と判明した。
定は事件を起こす1年ほど前、吉蔵が営んでいた料理屋に女中として住み込みはじめ、まもなくして吉蔵の愛人となった。しかし、店の従業員に関係が知られてしまったため駆け落ち。待合(今でいうホテル)に身を潜め、寝る間も惜しんで2人は夜な夜な結ばれあったと言われる。
「吉蔵を永遠に独占するためには殺害するしかない」。添い遂げることが叶わぬ恋に、定は次第に破滅的な思いを抱き始める。
そして18日午前2時過ぎ、定は寝ている吉蔵を腰紐で絞め殺し、持っていた包丁で吉蔵の男性器を切断。吉蔵の血液で「定吉二人」という文字を書き残し、朝を待って姿を消した。懐には、切り取った男性器を入れていた。
この猟奇的な事件にメディアはヒートアップ。吉蔵殺害から2日後、定が品川駅前の旅館で逮捕されると、新聞各紙はその一報を号外で伝え、国会審議もストップしたという。
逮捕直後の報道写真には、微笑む定の姿が収められた印象的な一枚もある。新聞各紙は「妖女"阿部定"遂に捕まる 刑事の前にニヤリ笑う」(読売新聞)、「稀代の妖婦阿部定 艶然・笑いながら自供」(報知新聞)、「愛し男を独占して 血に笑ふ魔性の化身」(東京日々新聞)などと、煽情的に報じた。
裁判で「吉蔵を殺して永久に自分のものにするほかないと決心した」と語った定は、「なぜ男性器を切り取ったのか」という質問に「一番かわいい大事なものだから、誰にも触れさせたくない。石田の男性器があれば一緒にいるような気がして淋しくないと思った」と答えたという。そして定は懲役6年を言い渡される。
1947年には事件に関する暴露本が出版されたことがきっかけでブームが再燃。刑期を終え、名を変えて生活していた定が名乗り出て、さらに注目が集まることになる。本人と対談した作家の坂口安吾は後に「世界もいらない、ただ一人だけ。そのあげく男の一物を斬りとって胸にいだいて出た。外見は奇妙のようでもきわめて当たりまえ。同感同情すべき点が多々あるではないか」と振り返っている。
一途に男を想う"究極の純愛"として語られることもあり、数々の映画や文学作品のモチーフにもなった阿部定事件。1998年には『失楽園』が人気を呼び、再びブームとなった。
しかし、80年以上経った今でも引き合いに出されるこの事件を現代の心理学で読み解くと、こうした"純愛"イメージとは別の側面が見えてくるという。
■悲しき阿部定の過去「男性への憎悪」が事件に遠因?
定は裕福な畳屋の4女で、厳格な父と、子煩悩な母のもとに生まれた。生後間もなく里子に出され、後に実父母の下へと帰る。そして15歳で初体験、16歳になると近所の男と継続的に性的な関係を持っていたという。以降、18歳で芸者・芸妓、20歳で娼妓、27歳で愛人稼業、29歳である人物の愛人になり、並行して別の人物とも関係を持つとともに、風俗稼業も行っていたという。
明星大学の藤井靖准教授は「二・二六事件の直後の時期で、世間はこれから戦争に向かっていくんじゃないかという空気感に包まれていたと思う。命の危機に直面するような時、子孫を残したいという本能から、人の心理は性的な方向に走る場合がある。男性器を切り取って持ち歩くほど、相手のことが好きだったと話す定の姿は、ある種、理想の存在。憧れにも似たような感情を持った人も多かったのではないか」と話す。
その一方、定の中に、実は男性への憎悪があったのではないかと推測する。
「定は15歳の時に懇意になった大学生と初体験をするのだが、実はそれがレイプに近いような形だったようだ。無理やり性行為を強いられた経験によって、男性に対する攻撃性を内に抱えたまま時を過ごしてきたということも背景にはあったのではないか」。
心の奥底に根付いた男性に対しての深い憎しみが、吉蔵の性的趣向によって目覚めてしまったのではないかというのだ。
「そもそも吉蔵は、首を絞められながら性行為をするという趣向を持っていた。首を絞めたとき、内に秘めてきた男性に対する攻撃性が発揮されたことによって、"殺してやろう"という瞬間的な殺意が生まれたんだと思う」。
■"純愛"では無く”自己愛”?最新心理学では?
精神科医の福井裕輝氏は、定の性格には相手に対する非常に強い執着心(独占欲)、見捨てられることへの極度の不安(依存的性格)、そして破壊的衝動という、「境界性パーソナリティ」の傾向があったのではないかと指摘する。
また、性依存症や犯罪心理に詳しい筑波大学の原田隆之教授は「この事件を純愛だと思ったことはない。そういう見方もあるのだなと逆に驚いた」と話す。
「この2人は知り合って1カ月足らずで、関係していたのは、たかだか2、3週間。昼も夜もセックスをしていたというが、愛しているというよりも性的な関係だけしかなくて、人間としての関係はなかったのではないか。定は"一緒にいたかった""独占したかった"と言っているが、ここにも矛盾がある。殺してしまったら一緒にいることはできない。男性器とは一緒にいたかもしれないが、それは物でしかない。自分のみが尽くして、相手を所有したいという自己中心性が伝わって来る」。
また、「彼女に攻撃性があったのかもしれないが、むしろ男性が被害者だとこれだけクローズアップされるのに、彼女が性暴力の被害者だったことはなかったことにされたことによる自尊心へのダメージが大きく、自分には値打ちがないと思っていたのではないか」と推測する。
「ロマンチックに脚色された部分を横に置いて、証言や鑑定書を読んでみると、独占欲、境界性パーソナリティ障害に加えて自己愛性パーソナリティ障害。笑っている写真も、自分がヒロインみたいな感覚だったのだろう。相手はどうでもよく、純愛ではなくて自己愛だ」。
■岩井志麻子氏「男の夢とロマンでできた物語になっている」
作家の岩井志麻子氏は「阿部定事件は、男の夢とロマンでできた物語になっている。男の人は女に求められていると思いたいし、男性器を求めて欲しいという思いがある。阿部定さんがそれを切り取ったことで、やっぱり女はこれが欲しいんだと、男たちの女神になった。逆に、女の人はそこまで定さんに思い入れがない」と指摘。
さらに1960年に起きた「ホテル日本閣事件」に触れ、「犯人は戦後初めて死刑執行された女性死刑囚で、吉永小百合さん主演の映画のモデルにもなった大事件だったが、今はであまり知られていない。この事件の犯人にとって男は恋愛の対象でもすがるものでもなく、金と欲望のための踏み台でしかなかったから男に嫌われた」とし、男女の受け止め方の違い、定と他の事件の犯人の扱いの違いに、事件の持つ意味が表れているとコメントしていた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)