
1996年7月に村上雅則氏、野茂英雄氏に次ぐ3人目の日本人メジャーリーガーになった野球解説者のマック鈴木氏が、自身の野球人生のターニングポイントとなった19歳時の肩の故障について、その原因は「ウエイトトレーニングにあった」と言及した。
マック鈴木氏は5月26日、AbemaTVの東京六大学野球 2018春季リーグ戦の中継に解説で登場。1992年、16歳で渡米して野球を続け、1994年に18歳でシアトル・マリナーズと2A契約を果たすも、19歳の時に肩を故障して手術を経験した。そんな自身の野球人生を振り返りながら、当時の日米におけるトレーニングの違いやパフォーマンスに対する影響について自身の経験を踏まえて話をした。
「マリナーズと契約してからは週6日、上半身と下半身を3日ずつに分け、ヘビーなウエイトトレーニングを行っていました。その結果、まず体が硬く、足が遅くなりました。遠投は軽く120~130m投げていたのに、投げられなくなり、ピッチングで足を踏み出した際の歩幅に関しては、6.5歩だったのが、5歩にまで縮まりました」と、ウエイトトレーニングによって自身に起こった変化について説明を行った。
さらに肩の痛みを引き起こした原因については、「体が硬くなっても、力強さは増しているので、実際には腕が上がらなくても力任せに投げられてしまう。その結果、肩に負担が集中して痛めてしまいました」と自分なりの見解を続けた。
その後のリハビリで投げ方にも変化が生じたマック鈴木氏は、自分の投球を取り戻せずに苦労することになったという。
「リハビリの過程でアメリカのピッチングコーチに色々教わっているうちに、日本で教わった投げ方ができなくなってしまいました。それまでは身長190cmでも、地面にひざが付くように深く沈み込んで投げていたのが、突っ立ったまま、上体の力に頼って投げるようになりました。するとフォームが不安定になり、自分でも『投げてみなければ分からない』という有り様でした」
現在は子煩悩な2児の父として知られることもあり、AbemaTVの視聴者から「子どもに野球を?」という質問が投げかけられると、「野球をやって欲しいというよりは、子どもたち自身が『何かスポーツをやりたい』となったときのために、食育と体づくりは準備としてしっかりやってあげたい」と、改めて子ども想いの一面をのぞかせた。
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