先月から公開されている映画『ワンダー 君は太陽』。ヘルメットをかぶって暮らしている主人公、10歳の少年オーガスト・プルマンは、顔の頬骨やアゴの骨が未発達のまま生まれ、目が垂れ下がってしまう「トリーチャーコリンズ症候群」を抱えている。自身の見た目に悩み、苦しむ少年の姿が描かれている。
しかし、これはスクリーンの中だけの話ではない。現在、筑波大学大学院に通う石田祐貴さん(25)も、その当事者の一人だ。「もう慣れたのでショックではないが、パッと僕と目が合った瞬間、大人でものけぞる人はいらっしゃるので、あぁ…と思う」。
5万人に1人の割合で生まれる可能性がある「トリーチャーコリンズ症候群」の主な原因は遺伝子の突然変異や異常といわれている。1992年に大阪で生まれた石田さんは、生まれた時から耳がほとんどなく、これまで10回ほど形成手術を受けてきた。現在、石田さんの後頭部には補聴器が埋め込まれている。
幼い頃は「宇宙人」「変な顔」等、面と向かって心ない言葉をかけられた。そんな時に石田さんを支えたのは「私はあなたがこの状態で生まれてよかったと思っている。それがあなただから」という母親の言葉だったいう。
石田さんは幼少期を振り返り「相手も子どもなので、小学校時代はさんざん言ってくるし、指も差される。上手にコミュニケーションをとることに壁がどうしてもあった。中学に上がると、見た目というより耳が聞こえないことでのコミュニケーションの難しさを感じていた」と話した。高校は聴覚特別支援学校へ進学した。自分と同じ、聴覚に障がいのある友達が周りにできたことで、スムーズに人間関係が作れるようになったという。また、内気だった自分を変えるために積極的に行動を起こした。卓球部に所属して全国大会へ出場、さらに彼女もでき、充実した日々を過ごした。「辛いことでも経験することで成長できる部分があると考えている。自分が変わることで周りが変わってくれる。見た目は変えられないけど、周りの目は変えることができる」。
2011年には桃山学院大学に入学。コンビニのアルバイトの面接は落とされても諦めずに10店舗以上受続けた。「大学時代は部活もやって、サークルもやって、バイトもやってと色々なことをやってきた。もちろんうまくいかないことや辛いこともあったが、人と関わること全てが楽しかった」。
「トリーチャーコリンズ症候群」に対する理解を深めるため、石田さんはよく街を歩く。
「やっぱり心を許せるのは、物心が付く前に一緒に遊んでいた友達が多い。小さい頃から僕のことを知っていて慣れているので、大人になっても気にしない。だから人々が僕の顔を見ていれば、次に同じような症状を持った人を見た時の驚きが少なくなると思う。僕のことを初対面で見て、驚かない人はいないと思う。ある意味、人の反射として仕方のないことだと思う。ただ、関わる時には普通に接して欲しい。その上で、"人として合わない"と思ったらそれはそれでいい。そして知識があれば、初めて見た時の反応が違うと思う。知ってもらうことで、同じ悩みを持つ人が過ごしやすい社会にしていけたら」。
疾患や傷跡による「見た目問題」の啓発や解決に取り組むNPO「マイフェイス・マイスタイル」代表の外川浩子氏は「石田さんと小学校で特別授業をした。教室に入ると、最初は石田さんの顔をみて一瞬固まる。それでも1コマ終わると慣れてしまって普通に接することができるようになる。私たちが活動を始めて15年くらいになるが、見た目問題を抱えた方々が自分で情報発信したり、メディアに露出してきたので、人々の見る目も変わってきた」と話す。
「見た目問題」の今後の課題について外川氏は「石田さんは耳に障害があったので高校から特別支援学校に通えたが、例えば顔に生まれつきアザがあるだけで機能的には問題がない場合、普通の学校に行くしかない。外見だけでは障害のカテゴリーには入らず、公的な支援の対象にはならない。見た目に症状がある人たちは日本には100万人以上いるはずだが、接客業ではなかなか採用されないので、サービス業でそういう人たちを見かけることはほとんどない。それでも先月末には全国で初めて墨田区議会で陳情が採択されたので、少しずつ変わっていくと思う」と話した。
作家の乙武洋匡氏は「"見た目問題"と言ってしまうと、石田さんのような人たちが問題を抱えていると捉えてしまいがちだが、それは間違い。僕らが見た目で人を勝手に判断してしまうという問題で、それは多数派のおごりが原因だ。例えば石田さんのような顔立ちが多数派だった場合どうなるかを考えるべきだ」と指摘、「僕や石田さんみたいな性格の人はガツガツ露出できるが、そういう人ばっかりではない。じゃあその人たちに対して、どう接したらいいだろうと考えてほしい」と訴えた。
ノンフィクションライターの石戸諭氏は「障害という言葉の意味を変えることが大事で、むしろ障害を作り出しているのは、ルールを作ってきている多数派の人たち。特にメディアの人間は障害者と一括りにしてしまうが、それぞれに抱えている問題は違うんだということを語れるようになれば」とコメントしていた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)