突然の活動休止発表から約4カ月。日本代表の10番を背負う仁部屋和弘が、沈黙を破ってついにFリーグのピッチに帰ってきた。サポーターの温かな声援を受けて再びピッチに立った彼は、どのような思いで再スタートを切ったのだろうか。
“体”が動かないからこその“気持ち”
仁部屋といえばFリーグが開幕した2006年に19歳という若さで地元・大分の10番としてプレー。持ち味のドリブルでいとも簡単に相手をかわして行く姿に、多くの観客が魅了されてきた。通算で歴代11位の282試合に出場し、歴代6位の157ゴールを挙げるなどFリーグ有数の選手だ。
また日本代表としては2008年2月に行われた候補合宿に初選出。2012年に行われたタイ・ワールドカップでは惜しくも落選となったが、その後10番を継承。2014年に行われたAFCフットサル選手権の連覇に貢献するなど、世界を相手に日本のエースとして活躍してきた。
つまりサッカーで言えば同じ10番を背負う香川真司や本田圭佑といった代表チームの中心を担う選手。そんな仁部屋の突然の活動休止発表だけに、フットサル界には大きな衝撃と悲しみが押し寄せた。今年の5月9日にクラブが発表したリリースでは「家庭の事情」とされており、仁部屋は「必ず戻ってきます」との言葉を残して休止期間に入った。
月日は流れ、その後も仁部屋に関する情報が届かないことから“現役引退”も囁かれるようになった。しかし9月15日、大分県総合体育館で行われたヴォスクオーレ仙台戦後、仁部屋は久しぶりにサポーターの前に登場。そこで約4カ月ぶりとなる活動再開を発表した。
迎えた9月30日、アウェイで行われた立川・府中アスレティックFC戦の遠征メンバーに仁部屋が名前を連ねる。さらに前半16分、ベンチ前のサイドラインに背番号10を背負った仁部屋が登場すると、サポーターによる「仁部屋コール」の中、再びFリーグのピッチに立った。
「新鮮というか、2回目のデビュー戦のような感覚」の中、復帰戦に臨んだが現実は残酷なもので、そこで見せた姿は本来の仁部屋とは程遠いものだった。ボールに触る機会は少なく、得意のドリブルも仕掛けられず。数回のアップダウンで表情はやや苦しくなり、およそ1分間のプレーを終えて、最後は自らベンチに交代を申し出た。
最初のプレーについて「1分ですか? 3分くらいかと思っていました。『なんでまだ使っているんだろう?』って感覚でした」と振り返る。後半も3分間の出場が2度あったが、目立ったプレーを見せられず。今までの仁部屋のプレーを100とするなら、この日見せたものは10にも満たないものだろう。
それだけ誰が見ても明らかなコンディション不良。休止中は「数日は一歩も外に出ないこともありました」と言うように、フットサルはおろか体を動かすこともなかっただけに当然の結果といえる。
100%の状態に戻してからプレーすべきではないかとも思われるが、伊藤雅範監督は「使いながらコンディションを上げていく」ことを決断。そこには「最後の部分でクオリティを示せるような選手。大事な時に点を取ってくれると信じています」と仁部屋に対する大きな期待があるからだ。
そういった周囲の期待に応えるべく、仁部屋が導き出したのは“体”が動かない今だからこそ“気持ち”の部分の大切さだという。
「体は二の次で、常にチームが勝つために。練習から、僕が入ることで強度を落としてはいけませんし、そのために気持ちは常に試合というか、それくらい強く持っていきたいと思います。とにかくチームが勝つことを一番に考えてやりたい」
この日敗れた大分は順位を下げて5位となったが、昨季をクラブ史上初の最下位で終えたことを考えると大躍進。さらに3位までに与えられるプレーオフの出場権も十分に狙える位置にいる。仁部屋も「プレーオフに進まないといけませんし、プレーオフでは優勝するチャンスもあります」と今季のチームの戦いぶりに手応えを感じている。
そして「プレーオフ出場のための力になっていけるように頑張っていきたい」と意気込む。この言葉から、気持ちの部分でチームを引っ張ることも含め、コンディションを戻してプレーでチームを引っ張っていきたいとの思いが感じられた。
かつてチームをプレーオフに導き、優勝まであと一歩のところまで押し上げた伊藤監督の下、大分は走力を取り戻して結果を残している。そこに「大事な時に点を取る」仁部屋のクオリティが備われば、初優勝も夢ではなくなるはずだ。エース・仁部屋復帰の大分が、これからのFリーグをおもしろくする。
文・川嶋正隆(SAL編集部)
写真・Hiroshi Gunki