今年10月に華々しく開幕した麻雀プロリーグ「Mリーグ」。21人の初代Mリーガーの中で最年少なのが26歳の松本吉弘だ。約2000人の麻雀プロの中で、20代代表としてドラフト指名された松本は、闘志溢れる打ち回しでベテランプロを圧倒し、35歳から45歳が最盛期と言われる麻雀界で、未来を背負うホープとして期待されている。そんな松本だが、進学校で学び、名門大学を出て、商社に勤めつつも、父親の反対を押し切って麻雀プロになった。AbemaTVの麻雀ニュース番組「熱闘!Mリーグ」では、松本と父との関係に迫った。
松本が生まれ育ったのは祖父の代から会社を経営する厳格な家庭。神奈川県内屈指の進学校で学び、野球部でも活躍すると、プロスカウトからも注目された。青山学院大学に進み、卒業後は商社に就職。いわゆるエリート街道だ。だが、松本には悩みがあった。「みなさんも幼いころ、何になりたいという目標があったと思うんですけど、僕はそういうのを聞かれた時に1回も答えられなくて…」とこぼした。順調な人生に見えても、夢がなかった。そんな時に心を動かされたのが麻雀だった。
麻雀を覚えたのは高校1年生の時だ。「先輩に教えてもらいました。麻雀プロが初めて『これなりたい』と思った職業だったんです」大学時代にプロの資格を取ると、その熱い思いから勤めていた会社を3年前に辞め、麻雀プロ1本の生活を選んだ。だが、このことは家族には黙っていた。後にこのことを知った父・圭生さんは激怒した。姉が薬剤師、兄は銀行員。「いい学校にも入れていただいて、習い事とかもして。お医者さんとか弁護士さんとか、そういう世間ではステータスのある職業について欲しかった気持ちは、昔から父や家族にはあった」と、家族の思いは分かっていた。結局、松本は家を飛び出した。
子を思う父であれば、ごく自然の反応だっただろう。圭生さんは「反対でした。やめなさい、もういいかげんにしろ、と」と息子の選んだ道を否定した。趣味で麻雀をすることはあるにしても、よもや麻雀プロになろうとは…。「その道で食べられるわけないから辞めなさいと、私はその一点張りでしたね」と当時を振り返り、苦笑いした。松本は、将来会社を継いで欲しいとさえ思った父の思いに反した道を選んだだけに、並々ならぬ決意で戦っているのだ。
決意だけでしても伝わらない。ならば結果を出すのみ。「父は麻雀を知らなかったので、成績や結果など、メディアの情報で示すしかないと思っていたので、死に物狂いでやりましたね」と、とにかく努力し戦った。有名タイトルを次々と獲得すると、先輩プロからは「成長の度合いがすごい」「今後の麻雀界を引っ張っていってもらわなきゃいけない、麻雀界の宝」と、絶賛する言葉が相次いだ。
若くして残した結果は、父の胸にも響き始めた。麻雀を知らなかった圭生さんが「彼が試合に出ているという時間帯は気になりますね」と、Mリーグの中継をスマートフォンで見るようになった。少し前までならば考えられなかったことだ。「麻雀プロ」というものを職業として認め始めた父に、松本はまだ面と向かって伝えていなかった自分の決意を伝えることにした。
対局で感じるものとはまた違った緊張感を覚えながら、父の待つ部屋に入ると「自分のやりたいことが見つかったので、改めて麻雀で、Mリーグでやっていきたいという気持ちを伝えに来ました。一番見て欲しい人でもあって、応援してもらいたい人でもあるので、応援をよろしくお願いします」と、はっきりと口にした。これに圭生さんも「まあ仕方ないなと思ってましたから、人に迷惑かけないで、しっかり生きてほしいと思います。陰ながら応援するよ、頑張って」とほほ笑んだ。
父から教えられた大事な言葉は「周りに感謝するのを忘れずに謙虚に生きていきなさい」というもの。松本は「ずっと小さいころから言われて来たので、父の言葉を胸に刻みながら、今までもこれからも、ずっとそれを、ポリシーにして生きていきたいなと思います」と力強く語った。ようやく父に自分の仕事を認めてもらえた。今度、この部屋を訪れて伝えるのは、初代Mリーグ王者となった報告だ。
◆大和証券Mリーグ2018 7チームが各80試合を行い、上位4チームがプレーオフに進出するリーグ戦。開幕は10月で翌年3月に優勝チームが決定する。優勝賞金は5000万円。ルールは一発・裏ドラあり、赤あり(各種1枚ずつ)。また時間短縮のために、全自動卓による自動配牌が採用される。
(C)AbemaTV