購買支援サイト「価格.com」を企画・運営する株式会社カカクコム。今でこそ、商品を購入する前にネットで口コミや値段を調べるのは当たり前になったが、どのような経緯で購買支援サイト「価格.com」が誕生したのだろうか。
今田耕司、飯尾和樹、いとうあさこがMCを務める『いの一番』が、AbemaTV(アベマTV)のバラステ枠(毎週日曜よる放送中)で放送された。当番組はさまざまな職業や趣味を最初に始めた人・ブームの第一人者「いの一番」をゲストに招き、その成功の秘訣からプライベートまでを聞いていく。ゲストには、日本で初めて購買支援サイトを作った槙野光昭氏が登場した。
槙野氏が作ったのは、パソコンから保険まで多種多様な商品・サービスの価格情報や、クチコミ・レビューを提供する購買支援サイト「価格.com(カカクコム)」。この価格.comの前身となる「¥CORE PRICE¥」を今から約20年前、当時23歳のときに創設し、28歳の2001年に約25億円で売却。同サービスは現在、時価総額5000億円近くにもなる企業に成長している(※時価総額は2018年7月のデータ)。起業した当時について槙野氏はこう語る。
「もともと、パソコン関連の営業職だった。当時、秋葉原の店でライバル社製品の価格情報を調べていたら『これ(価格情報)ってメーカーも消費者もほしがっている情報だし、一人で調べて新聞でも作れば、今の給料より少し多くなるんじゃないか』って思った」
そこで槙野氏は、店舗に足を運び、価格情報を1つ1つ調べてメモを取る作業を始めた。しかし、店員に不審者扱いをされてしまい、数回で断念。その後は「ネットで価格調査をするようになった」という。
「僕は就職してやっとパソコンをいじったような。もともとパソコンスキルに長けていたわけではなかった。当時は本当にアナログで価格情報のまとめ方も、当時はエクセルに商品の型番や価格を記入し、表を作っていただけ。そんなにハイテクなことをしていない。ただ、なるべく安い店舗の価格情報を抜粋するように意識していました。『このサイトに来れば、日本一安い価格が調べられるよ』というユーザーの目線を大切にしていました」
それでも最初の2年間は、たった一人で運営。広告が入らず無収入が続いた。実家住まいだったものの質素な生活が続き、ビジネスとしての手応えもそれほどなかったが「これしかない、やるしかない」と自分を奮い立たせ、やり続けた。すると、2年が過ぎた頃から徐々に「広告を載せてくれないか」という要望が入り始め、サラリーマン時代の給料よりも少し上の収入が得られるようになった。
軌道に乗ったかと思われたが、ここで再びピンチが訪れる。創設して3~4年が立った頃、アメリカから資本金10億円の大手価格調査会社が日本に上陸してきた。「このときは焦りました」と槙野氏は当時を振り返る。
「アメリカの大手価格調査会社の社員、イスラエル人だったかな。対面したときに『君は僕らと同じことをやっているね』と言われて。最初は価格.comを買収したい様子だった。しかし、最終的には『パテント(特許)に気をつけろ』と言われて、半ば脅されたような気持ちになった」
その後はお互いに火花を散らした時期もあったが、結果、価格.comは勝ち残ることができた。
勝ち残った理由として槙野氏は「ユーザーに支持されていたところが大きい」という。ユーザーを大切にしたサービスならではの強みが、時価総額5000億円近くにもなる企業の礎(いしずえ)になったのかもしれない。