予算なし、ビッグネームなし、劇場公開予定なし…から一転。大手シネコンでの拡大ロードショー決定、鬼才ポン・ジュノ監督、香川照之、高良健吾、池松壮亮ら“見る目の肥えた”各界著名人からの賛辞の嵐。異例尽くしの広がりと反響を生み出しているのが、片山慎三監督による長編映画監督デビュー作『岬の兄妹』(3月1日公開)だ。
足の悪い良夫が、自閉症の妹・真理子の売春を斡旋していくという貧困兄妹の生き様を、すさまじいほどのリアリズムとテンションで描き切る。過不足の無い演出・展開もさることながら、本作を支える大きな柱となっているのが、兄妹を演じた松浦祐也と和田光沙の成り切りぶりだ。戦慄と滑稽を同居させたようなゾッとする迫真演技を見せた2人に話を聞いた。
兄・良夫役の松浦は現在37歳。知名度は高いとはいえないが、知る人ぞ知る逸材。妹・真理子役の和田も、成人映画や低予算映画などに出演してきた新進女優。『岬の兄妹』を取り巻く現在の状況はもちろん初体験だ。松浦のアルバイト先の建築現場では「大工さんからサインを求められた。これまで頑張って映画に出てきたけれど、こんなことは初めて」(松浦)と反響の広がりを肌で感じている。
撮影が行われたのは今から2年程前。季節を通して撮るという片山監督のこだわりから、1年をかけて飛び飛びの撮影となった。大まかなストーリーを聞かされ、断片的に脚本が渡されるというスタイルゆえに「片山監督の思い出のホームビデオで終わるのではないか?と思う時もあった」と松浦。和田も「完成するかどうかもわからない中でやっていたし、撮影しても結局は完成しないというのは自主映画ではよく聞く話。次の撮影はあるのだろうか?という感じだった」と当時の状況を振り返る。
賛否両論が予想される挑発的な題材。だが演じた当人たちは気負いゼロ。売春する自閉症の女性というきわどい役の和田は「よりどころにしたのは、真理子を不幸に見せない、ということ。喜劇性を意識しながら真摯に取り組んだ」といい「あくまで映画というフィクションだし、批判を気にしていたら何もできない。作品を観てもらった上でのお叱りの言葉なら役者冥利につきる」と言い切る。松浦も「ATGやニューシネマにも弱い立場の人間が強く生きていくという作品はたくさんある。気持ち的には『この作品で世界を変えてやるぜ!』というような気負いもなく、いつも通り真剣に取り組んだつもり。だから批判に対する不安や心配はない」と同じ気持ちだ。
俳優陣の心意気を支えたのは、撮影現場に流れる信頼感。それが如実に表れているのが、真理子の売春に気づいた良夫が、入浴中の真理子を問い詰めるシーン。良夫の怒りと粗暴さが荒々しく表現される。大暴れした松浦だが「通常は決められたカメラのフレームの中で演技をするけれど、この現場は『必ず追うから何でもやれ』という考え方だった。和田さんもどんなに痛くても『どんどんやってください』と言ってくれる。こんなに気合の入った女優さんをほかに知らない」と舌を巻く。
低予算ゆえにスタッフの人数も少なく、そのためメイクのヘルプで参加したスタッフがカメラを回したり、衣装係が制作の仕事をしたりと、部署の垣根もゼロ。和田は「現場の皆で意見を出し合って、物語すら自分たちで作り上げていくようなスタイル。なんでも自分でやるというスタンスに適応できたのは、ピンク映画に育ててもらった下地があったからこそ」とこれまでの道のりに感謝。松浦も「何もわからないまま映画を撮っていた時の、あの楽しい自由な雰囲気に似ていた。その感覚の中にプロが集まってモノ作りを楽しんでいる。それを片山監督が上手くコントロールしてくれた」。形に捕らわれない風通しのよさがクリエイティブな刺激を生み出したわけだ。
その自由さの一方で、片山監督の演技を見抜く目が現場のメリハリに。「テストなしで本番に突入することもあれば、帽子の角度でNGが出たり、『どうする?帰るか?』というセリフも何度もやり直した。求められたのはリアル。作為を持った演技をしようものならすぐ にバレる」と松浦。和田も「完成したものを観て初めて腑に落ちるところが沢山あった。片山監督の掌の上で転がされていたことを思い知らされた」と確固たるビジョンに畏敬の念。しかし、学生に捉えられた良夫が人糞攻撃で危機を脱するという展開に対して「さすが!面白いものを持ってきたな!やりましょう!」(松浦)と二つ返事で共鳴する俳優陣たちのセンスもなかなかのもの。
良夫が自らの人糞で学生を撃退するシーンで、松浦は「兄が自閉症の妹に売春を斡旋するという重いテーマだけれど、僕らの中ではユーモアを持ってやっていた部分がある。その“おかしみ”みたいのが脱糞シーンで醸し出せれば」と狙いを明かす。俳優陣が意識した喜劇性は、風通しのいい撮影環境と片山監督の明確な演出も相まって、重い見た目の中に絶妙なバランスで宿る。だから『楢山節考』『うなぎ』で知られる今村昌平監督の作品群を指す“重喜劇”という言葉がしっくりくる。
ゲリラ撮影で大人に怒られたり、怖い人たちがたむろする歓楽街でいつでも逃げられるような万全の態勢で撮影を敢行したり、自主映画あるあるを一通り体験しながら完成にこぎつけたわけだが、出来上がったものにかつてないほどの手応えを感じている。「俳優のマネジャーさんはたくさんの映画を観ているので辛口な人が多いけれど、初号試写の際に大絶賛している姿を見て『これは…』と思った」と松浦。和田も「とにかく『衝撃だった』とたくさんの方々から反響がありビックリ。いい意味なのか悪い意味なのか分からないけれど『衝撃的』と言われる」と笑う。
ただ業界内の本作に対する注目度の高さや反響に対して、意外なことに2人は冷静。これまで「泥水を啜ってきた」という松浦は「僕は過去に5回くらい先輩俳優から『これでお前は売れる!バイトはするな!』と言われてきました。そして妻にも『もうパートはしなくていいぞ!俺が食わせてやる!』と2回くらい啖呵を切りました。でも一度もブレイクしていません。今回も大きなことは言わないでおきます」と苦笑いも「好きで映画をやっているだけ。死ぬまで映画に関われたらそれでいい」と声を弾ませる。和田も「作品の規模に関わらず、面白いものを作りたいという気持ちだけ。まずは完成した映画を沢山の人に観てもらいたい。そこでどんな意見が生まれようとも覚悟はできています」と映画の公開に期待を寄せている。
劇場公開が決まると、2人は自然発生的に誰に頼まれるでもなく、都内劇場のロビーで本作のチラシを配って地道なPR活動を行っている。演じることへの愛、作品に対する愛、映画というジャンルに対する愛。『岬の兄妹』にまつわる異例尽くしの一端を、松浦と和田のピュアな思いが支えているのは間違いない。
ストーリー
港町、仕事を干され生活に困った兄は、自閉症の妹が町の男に体を許し金銭を受け取っていたことを知る。罪の意識を持ちつつも互いの生活のため妹へ売春の斡旋をし始める兄だったが、今まで理解のしようもなかった妹の本当の喜びや悲しみに触れ、戸惑う日々を送る。そんな時、妹の心と体にも変化が起き始めていた...。ふたりぼっちになった障碍を持つ兄妹が、犯罪に手を染めたことから人生が動きだす。地方都市の暗部に切り込み、家族の本質を問う、心震わす衝撃作。
テキスト:石井隼人
写真:You Ishii
(c)SHINZO KATAYAMA