「会見は政府のためでもメディアのためでもなく、国民の知る権利に応えるためにあるものと思いますが、この会見はいったい何のための場だと思っていらっしゃいますか」
26日午後の記者会見で、東京新聞の記者から出たこの質問。菅官房長官は「あなたに答える必要はありません」と回答を拒んだ。
この記者は「自分を含め特定の記者だけが質問中に進行役から『簡潔にお願いします』などと急かされる」と主張。一方、官邸は去年12月、この記者の質問に事実誤認があったとし、記者会に「正確な事実を踏まえた質問を」と要請している。
2017年8月以降、官邸から東京新聞へは計9回の申し入れが行われている。今回のやりとりの前、菅官房長官は「この場所は記者会見の質問を受ける場であり、意見を申し入れる場所ではない。『会見の場で長官に意見を述べるのは当社の方針ではない』、東京新聞からそのような回答がある」と述べていた。
官邸が質問を“精査”することについて、東京工業大学准教授の西田亮介氏は次のように苦言を呈する。
「質問の内容が適切か不適切かを判断する、いわば良い質問と悪い質問を政治側が判断するのはおかしい。そのような線引きは政治が『聞かれたくないことは答えない』ことを意味し、我々にとっての、社会にとっての“知る権利”の制限に繋がるため、ほとんど利点はない。誰が質問しているのか、どのような質問内容なのかに関わらず、このようなやりとりは好ましくなく、菅官房長官の回答は端的に不適切」
では、東京新聞の記者の質問は“みんなが知りたいこと”から外れた質問だったのか。こうした会見では、ある記者がそうした質問で長く時間をとると他社の質問時間が制限される懸念もある。西田氏は「合意された『みんなが知りたい質問』はなかなか存在せず、日本の記者会見は予定調和になりがち。記者が多様な質問ができる環境を保っておくことが好ましい」としつつ、「各社の割り当て時間に問題がある場合は、記者クラブなど同業者の間で調整を行うべき。政治側からどうこう言う問題ではない」との見方を示した。
さらに、こうしたやりとりが生まれる背景について、西田氏は平成の30年間で起こった“新聞ジャーナリズムの変化”も指摘する。
「平成の政治報道の主役は新聞だった。ところが、若い世代を中心に新聞を読む人が減っていて、影響力が弱まっている。新聞が担ってきた政治報道を今後どのメディアが担っていくのかが問われている。テレビの存在感は今でも大きいが、インターネットが肩を並べる存在になりつつある。相対的にマスメディアの影響力が弱くなる中で、政治は新聞(記者)に対して従来行っていた特別な配慮を行わなくなっている。やはり新聞が顕著で、これまでは好ましくない質問が出た場合でもかなり新聞記者を優遇していたが、今ではお互いに牙を剥いて戦い始めている」
インターネットの登場によって、政治側も自ら情報を発信できるようになった。そんな中の問題点として西田氏は「日本のメディア発展の経緯を見ると、新聞に代わる権力監視機能を果たすことができる政治ジャーナリズムは十分には発達していない。ノウハウや人材を新聞社が独占してきた経緯もあり、それをどうするのかが問われている」と述べた。
(AbemaTV/『けやきヒルズ』より)