4年前、日本サッカー界に大きな衝撃が走った。高卒1年目の新人がとんでもないプレーを連発したからだ。
鎌田大地。
ガンバ大阪の下部組織出身だが、怪我の影響もあってジュニアユースからユースには上がれず。京都の東山高校ではキャプテンを務めたものの、全国的には無名の存在だった。実際に3年時に正式オファーは1つしかなかったという
2015年、サガン鳥栖に入団するとJ1第11節の松本山雅FC戦でデビュー。その試合でプロ初ゴールを決めると、その勢いは加速していく。
当時、サッカー通のお笑い芸人・ワッキーは、自らのツイッターに興奮を抑えきれない様子でこう投稿している。
「サガン鳥栖の鎌田大地選手がマジでいい! ちょっとこんな新人 見たことないかもっ…もうA代表よんでほしいくらい…」
ピッチを上空から俯瞰したような広い視野で、FWの動き出しやDF、GKの位置、空いているスペースを見極める。そして、ここしかないという場所へ、これしかないというボールを蹴り込む。
糸を引くようなグラウンダーのパスから、ふわりと浮かせて空間に落とすパス、矢のようなライナー性のパス……。何種類ものボールを、ピッチの状況に合わせて的確に蹴り分ける技術は突出していた。
どこかふてぶてしさを感じる振る舞い、ドリブルしている時の上体が立った姿勢、ゴールを生み出す非凡なパスセンス。そのうち、鎌田はこのように呼ばれるようになった。
「中田英寿の再来」
1990年代の後半から2000年代の前半にかけて日本サッカーを引っ張った中田もまた、衝撃的なデビューを飾った選手だった。「世界の中田」になったレジェンドのように、「世界の鎌田」になることを誰もが期待した。
2年半後、鎌田はドイツ1部リーグのフランクフルトへ移籍した。しかし、1年目は欧州リーグへの適応に苦しみ、ほとんどの時間をベンチで過ごし、出場はわずか4試合にとどまった。
2年目、出場機会を求めてベルギーのシント=トロイデンVVへレンタル移籍。プロになってから主に中盤でパサーとしてプレーしてきた鎌田だったが、新天地ではストライカーの役割を与えられた。
ここから鎌田のゴールラッシュが始まる。GKとの1対1では、最後まで動きをよく見て、タイミングを外してシュートを流し込む。今までパスで生かしてきたキック技術が、フィニッシュのために発揮されるようになったのだ。
天才パサーから冷徹なフィニッシャーへ。ベルギーリーグでは24試合12ゴール。これはチームでトップタイの数字で、得点ランキングでも堂々と5位にランクインする。
日本サッカーにとって、「決定力不足」は長年の課題だった。それを解決するかもしれない22歳は、今回のキリンチャレンジカップで初めてA代表に招集された。
3月22日のコロンビア戦でA代表デビューした鎌田にとって、26日にノエビアスタジアム神戸で行われるボリビア戦は2戦目となる。コロンビア戦では10分ほどのプレー時間をもらったものの結果は残せなかった。
「目に見える結果が欲しい。あとは、自分がどれだけチャンスを作れるかだと思います。そこまで持って行けるといいかなと」
ボリビア戦でゴールネットを揺らした時、「鎌田大地」のすごさを日本中が知ることになるだろう。
文・北健一郎(SAL編集部)