最盛期の1997年には約5377万部を誇った新聞の発行部数が4000万部を割り込むまでに落ち込んでいる。
街でアンケートを取ってみると、約7割の人が新聞を読んでいないと回答した。「携帯とテレビで情報が入ってくるから」(20代・会社員)、「ネットなら無料で情報をキャッチアップできる」(30代・会社員)、「あのでかいものを広げて読むこと自体大変じゃない?」(20代・会社員)、「いや~、ゴミになるから」(70代・無職)と、"新聞離れ"は老若男女問わず進んでいるようだ。
このまま新聞は消滅していく運命なのだろうか。そして、消滅してもよいのだろうか。26日放送のAbemaTV『AbemaPrime』では、Twitterで意見発信を続ける朝日新聞記者で『WEBRONZA』編集部員の鮫島浩氏、その朝日新聞に対して厳しい論調で知られる経済評論家の上念司氏、そしてスマートニュースメディア研究所の瀬尾傑所長を招き、およそ1時間にわたって討論してもらった。
■ビジネスモデルの模索や技術の獲得を怠ってきた?
番組が全国紙を対象に「将来、紙の新聞はなくなり、デジタル化へ移行するか?」と尋ねたところ、
・朝日新聞:紙の新聞はなくならないと思う。これまで同様、紙媒体にもデジタルにも力を入れていく。
・毎日新聞:紙媒体の新聞はなくならないと思う。紙かデジタルかの二者択一ではなく、媒体の特性にあわせてコンテンツづくりを行い、両者ともバランス良く注力していく。
・読売新聞:当社は紙の新聞を基軸にしている。読売新聞オンラインは紙の新聞と一体となって、読者に提供するサービス。紙の新聞と補完しあうものと位置付け。
・産経新聞:紙媒体がなくなることを想定した検討などは行っていない。紙媒体も電子媒体も産経新聞社にとって重要なメディア、そのために紙媒体と電子媒体の編集を一本化する統合編集を進めている。
との回答が得られた。(日本経済新聞は「回答を控える」。)
瀬尾:有料会員が約60万人を超えていて、最もデジタル化に成功しているとされる日経が「回答を控える」としているところが面白い。日経が成功している要因は、「デジタルファーストで行く」と経営戦略がはっきりしているから。朝刊で出していたスクープを前日の夕方にネットに流してしまう。その方が他紙にパクられることもないし、デジタル版の存在感も出せる。
新聞の危機といっても、ビジネスモデルや信用の問題より、"どこかで変えないといけないが、なかなか舵を切れない"という、"変えられない"問題の方が深刻だと思う。内閣府の統計でも若い世代は新聞を本当に読んでいない。ただ、紙で新聞の記事を読んでいる人は減っていても、ネットを通じて触れる機会はむしろ増えていると思う。要はスピード感を持って経営戦略を変革できるかどうかだ。
鮫島:状況は深刻だ。ただ、朝日新聞と読売新聞は同じようなことを言っているようで少し違う。読売新聞は紙がどうなるのかは言っていないが、朝日新聞は将来紙が中心ではなくなるかもしれないと言っていると解釈できる。
もともと新聞というのは、多くの人に安く読んでもらえるのが売りだった。それがインターネットの時代になり、みなさんがおっしゃるようにタダで読めるようになり、しかも情報が速く、内容も豊富だ。わざわざ紙の新聞を広げて読むという文化がなくなっていくのは当然のことだし、新聞が今の感じで続くと思っている記者とほとんどいないと思う。紙の新聞は高級品になっていくだろう。
だから強調したいのは、我々が紙の新聞を残すことを目的にしているというわけではないということ。記者の一番の仕事はジャーナリズムだ。極端な話、ジャーナリズムが生き残れば、なくなってもいいと個人的には思っている。
安部敏樹(社会問題を取り上げる会員登録制ウェブメディア『リディラバジャーナル』を運営):「ジャーナリズム」と言っても、別に霞を食って生きているわけではない。新聞の価値は、情報が毎朝毎晩ちゃんと届くというところ、つまり販売のビジネスモデルあったという話なのに、日本の新聞社や記者たちは「いい記事を書くんだ。スクープを取るんだ」ということしか考えずにやってきたと思う。だからインターネットで新しいビジネスモデルが出てきた時に出遅れた。
私も社会問題を調査してネットで報道する立場だが、それを継続させるためのビジネスモデルも作らないといけない。そこまで含めて「ジャーナリズム」だろうと思う。僕も"綺麗ごと"は好きだが、新聞の関係者の人たちと話をしていて思うのは、やっぱり"綺麗ごと"が好き(笑)。でも、綺麗ごとを言うなら、強く、ストイックじゃないといけないと思う。やっぱり不倫の記事の方をクリックするのが人間の性だけど、そうでない記事をなんとか知ってもらうためには、ビジネスモデル、技術的な知見を貪欲に取り入れることをしなければならなかったはずだ。それを怠ってきたにも関わらず、今でも「俺たちがやっていることは~」と言っているような気がする。
上念:やっぱり見通しが甘い。新聞販売店のビジネスモデルを考えた場合、クリティカルマスを下回ると配達ができなくなるので、やがては駅売りだけになる。でも駅売りはもっと売れないし、それもなくなっていくと思う。紙は高級品になるというが、その高級品を"押し紙"として死ぬほど捨てている実態がある。朝日新聞も3割くらいがそうだという話もある。そうだとしたら、もう紙を切り捨てるしか生き残る道はない。巨大流通網と印刷所、販売店を維持しようと思ったら、今までのようにやっていくのは無理だ。
■インターネットの情報の多様性に負けた?
お笑い芸人の小籔千豊は「僕は大きい問題が起きた時に社説を読みくらべるが、意見が両極端で、そこまでは思わんなあ、片一方だけ読んだ人が引きずられたらどうなるねん、どっちも嫌やなと思うことがある。"こうでした"という事実と、"あなたどう思いますか"、で良いと思う。それを受けて、読者が周りの人と話すのがいい」、小川彩佳アナウンサーは「仕事柄、新聞を読み比べるようにしているが、それぞれ全く論調が違うので、一つだけ購読している人はどういう思考になるのか…と思うこともある」と話す。
瀬尾:講談社で週刊誌を担当していた頃は、いくつかの新聞を読み比べていた。そうすると論調の違いもわかるし、ファクトの違いもわかる。そこを見ながら何が事実なのかを考えていた。今はネットがあるので、新聞も含め色々な情報が比較しやすくなった。もちろん個人のリテラシーが高くないといけないが、その点ではいい時代になったと思う。
上念:私は『日経新聞電子版』『ウォール・ストリート・ジャーナル』『現代ビジネス』の有料会員で、紙媒体という意味では『月刊Hanada』を定期購読している。日経新聞を読んでいる理由は本当のことが書いてあるからではなく、どういう騙しのフラグが立ったかを研究するため。経済記事以外はすばらしい新聞だ(笑)。たとえばバーナンキ氏の来日講演などが翻訳されて記事になるが、内容が間違っていたりする。それもFRBのサイトで確認すれば一発で分かってしまう。こういうことが新聞を危機に陥れていると思うし、新聞やテレビがジャーナリズムを独占していた時代が終わりかけている理由だと思う。そして、ネットはデマが拡散しても、すぐに指摘や訂正が出る。これがすごく大事だ。「間違っていない」と言って、なかなか訂正しないのはダメ。朝日新聞だって慰安婦報道を30年間も訂正しなかったし、英文サイトにメタタグを入れて読めないようにするという、セコイこともやっている。全然反省していないし、そういうことでは信頼は得られないし、土下座し廃刊してやり直すくらいが必要だ。
鮫島:『WEBRONZA』というインターネットの媒体を担当するようになってから、朝起きて紙の新聞を読むのをやめ、世の中の多くの人と同じようにネットで情報を仕入れるようにした。紙新聞は昼から批評的に読むだけ。そうすると、朝から新聞を読んでいる人とは話が合わなくなってきて、議論と噛み合わなくなった。紙の新聞の場合、新聞社による「これが大事だ」という価値序列があって、1面から見てもらう。ここが新聞の売りでもあり、特徴だった。しかしインターネット上では情報は並列で、場合によってはAIが判断した、より好まれる情報から見ることになるので、価値は読者が判断しないといけない。どちらがいい・悪いではなく、どこで情報を取るかで人間は物の考え方が変わるし、今は現実にそうやって情報を得ている人が多数だということを新聞記者は知らないといけない。
上念:面白くするなら、他紙がやらないようなことをすればいい。朝日新聞は全く報じないと思うが、関西生コンの問題は、労働運動を偽装した企業恐喝だ。何十人も逮捕されていて、北朝鮮や広域暴力団も関係しているかもしれないと言われている。なんで新聞やテレビは報じないのか。JOC竹田会長の問題も、はっきり言えば電通に大きな問題がある。そういうところ切り込まないと、ジャーナリズムにならないと思う。
■読者のニーズを優先すべきか、知るべき情報を優先すべきか
安部:私は紙では読んでいないが、各紙のウェブ版で面白そうな記事があったら課金することはある。ただ、習慣として読むところまではいかない。そもそも記者が「面白い」と思ったものをそのまま書いているものくらいしか、いい記事がないし、そういう記事はむしろインターネット上に個人発信でもいっぱいある。
そもそも新聞からは、どういう編集方針で、取ってきた情報をどう扱うのかという大事なプロセスが全然読者に伝わってこない。新聞によって何でこんなに論説が違うのか、あるいは朝日新聞として出ていても、それぞれ思っていることがちょっと違う、それなら個人ブログでやれよ、という感じがする。僕のメディアの場合、課金してもらう前にまず7000字くらい読んでもらい、納得したら買ってもらう。やはりどういう方針で、調査したものをどういうポリシーの元で、ということを見せないと、新聞社に記者が集まっている意味がないと思う。
鮫島:やはり何が大事なのかといえば、私はこの時代を切り開くキーワードは「多様性」だと思う。関西生コンをみんな報じる・みんな報じない、そのどちらもおかしい。関西生コンの問題を一生懸命やる会社があってもいいし、それぞれが大事だと思うものを一生懸命やればいい。かつては"新聞を読めば世界が分かった"という時代もあった。しかし、もはや新聞だけで情報を得ている人はいないし、テレビだけで情報を得ている人もいないだろう。色々なメディアが、それぞれ自分の得意分野を一生懸命にやることが、ジャーナリズムにとっては大事だ。だから新聞社は自分の新聞だけを読めば全てが分かると傲慢になってはいけない。編集局長が"こういう新聞を目指すんだ"ということをしつこいくらいに示し、日々発信することが求められている。
ただ、幅広く、多くの方に納得してもらうものを作るのか、それとも特定のファンに読んでもらうのか、そこは新聞社も迷っている。やはり何百万部もあると、多くを見ざるを得ない。その結果、誰もが中途半端に思うような内容しか作れないというジレンマもある。誰もが中途半端に満足するようか内容では誰もお金を払ってくれない。社会にもっと多様性が広がれば、このジレンマはより大きくなるだろう。"絶対に応援する"というファンがいる、というやり方も考えないと、ジャーナリズムの経営は厳しい時代だ。やはり多くの人に読んでもらうのは限りなく安く提供する一方、強いファンの方にお金を頂いて、それを取材費にするとというような、新しいモデルを作らないと生き残れない。
瀬尾:そこは少し意見が違う。どういう価値観を持っているかとか、どういうビジョンがあるかというのは、読者にとってどうでもいいと言えばどうでもいい。大事なのは、見方は多様だが、ファクトは一つだということ。新聞に限らず、メディアは間違えることが当然ある。あるワシントン・ポストの記者が「ジャーナリズムは"歴史の第1稿"」という言い方をしていたが、歴史を記録すると同時に、それは直すことがあるということだ。そのために必要なのは、後から検証できるよう記録を残すということだ。だからアメリカなどの新聞社では、匿名ではなく誰が言ったコメントなのかが分かるようにしているし、記者は署名で記事を書く。そうやって、外から検証可能な記事を作っていくことも大事だ。
安部:メディアの生き残り戦略としては鮫島さんのおっしゃる通りだと思う一方で、知るべき情報があるという論点で言えば、かつては新聞がテーマとして選んだ問題がみんなに共有されるという機能があったと思う。それが今はSNSなどによるフィルターバブルによって、自分の関心のある情報しか入ってこなくなっている。例えば関西生コンに強い興味を持つと、それに関する一方的な情報ばかりが入ってくるようになって、その分、他の情報は入ってこない。そんな時代に、昔のようにみんなが合意形成することができるのかという問題がある。
上念:それはどうだろうか。新聞は昔から商業主義で、売れる記事なら何でも書いた。例えば「賠償金も領土も取れないポーツマス条約を締結してしまったのはとんでもない、交渉した小村寿太郎はとんでもない奴だ。ぶっ飛ばせ!」みたいな記事を書いて、それが日比谷焼き打ち事件の原因にもなった。対米開戦だって朝日新聞もめちゃくちゃ煽っていた。結局その反省もなしに、今でも売れればいいや、みたいな感じでやっている部分もあるのではないか。モリカケ問題もひどかったが、それでも売れないんだからしょうがないじゃないか。
それから、どうしても言いたいのは、経済報道の問題だ。これまで朝日新聞や日経新聞も含め、メディアは弱者に非常に冷たい報道をしてきたと思う。金融緩和の結果が出て、200万人も就業者が出ているのを、なぜ正当に評価せずに今でも反対し、アベノミクスには効果がないと言い張るのか。「弱者に優しい社会を」と言いながら、弱者に冷たい記事を書いている。これはもう社長が詫びを入れて、「金融緩和は評価します」と言わないといけない時期に来ている。
瀬尾:モリカケの問題は別にして(笑)、財務省が公文書を改ざんしていたのは重大な問題だし、それより前に大阪地検特捜部が証拠を改ざんし、不当な逮捕が行われた。それらをスクープしたのは新聞だ。働いている人は困ると思うが、極論すれば紙の新聞はなくなってもいい。ただ、新聞社による「調査報道」や、発表によらない、独自調査しないと出てこない情報を発掘する機能は次の世代に残さないといけない。
鮫島:それは二つとも朝日新聞のスクープだった(笑)。
■これからの新聞社、記者の役割とは
直近では、5大全国紙の中でも部数の減少が著しいとされる産経新聞が新卒採用を例年の20分の1となる2名に抑制、50代の社員180人を対象とする早期退職を募るなど、大幅な人員削減を打ち出したことが業界内外に衝撃を与えた。
その一方、台頭するネットメディアには続々と記者たちが流出している。今年に入って『ハフポスト日本版』に転職したばかりの中村かさね記者(元毎日新聞)は、"組織の論理"によって伝えたいことを伝えられない不満が募っていったと明かす。
上念:取材を考えても、一般人と差がなくなってきている。たとえば新聞やテレビが小保方さんをもてはやしていた時に「STAP細胞はインチキだ!」と見抜いたのは、一介のブロガーだった。それから新聞が後追い取材し、そして本人の会見に至った。あの会見には200人もの記者が集まったが、結局は匿名の、いちブロガーがきっかけだったというのが象徴的で、もう新聞はまともな調査報道ができないんだなと思った。オフレコ情報を取ってくる"夜討ち朝駆け"だって、働き方改革でできなくなってきているし、セクハラ、パワハラの問題も出てきた。
小籔:でも、叩かれていて、先細っているのに、まず鮫島さんが顔出しで出てきたこと自体偉いと思う(笑)。
鮫島:上念さんがおっしゃった通りだし、新聞記者が個人の資格で発言することも少ないということが、色々な意味で新聞社に対する誤解を招き、批判を浴びる要因になっているとも思う。新聞社に対する不信感、読者からノーを突きつけられているということをまず受け止める。そこから始まると思う。
そして、テレビ局や新聞の組織ジャーナリズムと個人のジャーナリストは対立するものではない。昔と違ってNHKだけ見ていればいい、朝日新聞だけ見ていたらいいという時代は終わった。みんながそれぞれの立場で色々なことをしながら、全体として社会をチェックし、少しでも公正になるようにやっていく。世の中を良くするために、みんなで隠された事実を暴く。難しい問題が起きた時には、色々な意見を出して、揉み合いながら、何となくこの辺が答えかな、とやる。
安部:そうだとしたら、やはり新聞社は軽減税率の適用を受けるべきではない。ネットも新聞も対等に行こうというのに、新聞だけが国から補助を受けるというのは、何を言っているの?と思ってしまう。
上念:政治がメディアをコントロールしようとしているが、新聞もあれだけ増税しなきゃと言っていたのだから、税金は払わないといけない。
安部:そもそも記者クラブにはいれていることだって、本当の新聞の価値ではない。プロセスを透明にして審査性にしたほうがいいのではないか。
瀬尾:本来、会見に出るのは新聞社の記者の仕事ではない。通信社が何社かあって、第一報はそこの記者が流し、新聞社の記者はそれを受けて、それがどういう意味を持つのか、裏側には何があるのか、これからどうなるのか、と分析するのが仕事だ。経営が厳しいというなら、みんなで会見に行って無駄な競争をしているような部分は捨てて、強みのあるところで勝負すべきだ。STAP細胞の時には化学の事がわかる記者が少なかったし、原発事故のときもそうだった。教育し、外部の人材も入れるべきだ。
上念:たとえば日本経済新聞には鈴置高史さんという、朝鮮半島情勢では誰も勝てない、非常にクオリティの高い記事を書く人がいる。そういう、署名できる専門を育てないといけないのに、どこかジェネラリストっぽい人が匿名で書いているばかりだ。まさにモリカケ報道もその典型だった(笑)。
安部:日本には本当の意味でのジャーナリズムの学校があるわけではないし、新聞社に入ってから、その会社流の教育を受けているだけだろう。
鮫島:私の場合も新聞記者になって25年、大半を政治記者として過ごしてきて、たくさんの政治家を担当してきた。どん臭い記者だったので、失敗もした。経費もかかったと思う。ただ、様々な厳しい局面を見てきて、政治はこうやって動くのかという、一般の方がなかなか体験できないことも体験させていただいた。
政治家と対等に向き合い、批判すべきときに批判するためには、政治の世界に詳しくないとできないし、実績も知識も経験も必要だ。そういうプロの記者がいない社会は、権力に舐められてしまう。それを戦後の日本で担ってきたのは新聞社だということは事実だが、今後も新聞社が権力をウォッチする強い記者を作り続けられるかどうか微妙だ。やはり、コストも時間もかかるし、政治に詳しい記者を育てようと思ったら5年、10年では無理だし、本当に政治を読める記者は10人に1人が育てばいい方かもしれない。
安部:確かにマスメディアには「第四の権力」、ウォッチドッグとして権力を監視する機能がある。もちろんそれは必要なことだが、今や社会の問題の多くは権力の暴走によって起きているのではない。むしろ複雑な社会の仕組みや、制度をパッチワークのように組み合わせてきたことで、その狭間で困っている人たちが出てきているということ。それは誰かを悪人にして責めたところで、建設的な解決策は出てこない。ジャーナリズムの捉え方をアップデートして、背景の構造を理解し、骨太に報道していくことが必要だ。
上念:「権力の監視」と言うが、新聞が具体的に何をしてきたのか。政治家の家に上げてもらって、お酒を飲んで、子どもの家庭教師をして、親密になって。たまにリークの情報を取る。それだって政治家にコントロールされているし、お互いに持ちつ持たれつだ。これが本当に権力の監視なのか。インターネットがこれだけ発達したので、まずいことが見える。アイヌ新法も沖縄の運動も、チュチェ思想研究会の介入、外国の干渉があるかもしれない問題だと思う。差別のような問題は解決しなければならないが、不当な形で内政干渉してくる外国の権力の監視もやっているのかというと、非常に心許ない。そういう意味では新聞に頑張ってほしいし、個人的には望月衣塑子さんにそれは無理だと思う。記者会見ではなく、選挙に出て言ってほしい。会見場にいる記者もみんな迷惑がっている。
鮫島:朝日新聞の名刺の威力だって、20年前と今ではずいぶん違う。私も若い時は週末になると政治家の地元に行ったし、家族にも接近した。ありとあらゆる手を使いながら、情報を取った。それも今はプライバシー意識も高まりで難しくなった。政治家の方も、新聞やテレビに頼らなくても自分でどんどん発信するようになったので、新聞社を軽視する。だから若い記者の能力が落ちたというより、新聞を取り巻く状況が厳しくなったからだとも思う。
たから、これまで通りのやり方ではいけない。この記者、このジャーナリストに取材をしてもらいたいと思ってもらうことが非常に大事な時代になった。有名になった東京新聞の望月衣塑子さんのところには、きっとたくさん情報が集まっているだろう。また、森友問題も防衛省の日報隠し問題もフリージャーナリストが報道を引っ張っていて、ネットから色々な新しい情報が出た。すばらしいことだと思う。それに正直、新聞社は対応しきれていないという批判は受け止めないといけない。そして、新聞社は既得権益を守り、そういう人たちと敵対するのではなく、どのようにして権力を監視する人を増やし、全体としての取材力がアップさせられるかを考えるべきだ。
■視聴者の意見は…。
視聴者からは「時の政権を批判してばかり、どうでもいいネタでいつまでも引っ張って時代に合っていない」「勘違いの"正義"や、国民の知る権利をだしにして、事実を的確に伝えることがない。報道しない自由を駆使しすぎ」「個人の感想や主観で記事を書いたり、疑惑だけで魔女狩りみたいな記事を書いていたりしたら誰も読まなくなる」といった冷ややかな意見、そして「新聞社が無くなったら、テレビのニュースもネットのニュースも無くなるだろう」「取材力っていう意味では新聞を信用している」「新聞はクソだとか言ってるのは都会の人が多いのでは。ネットは都会では強いかもしれないが、地方では弱い」「切り取られたテレビ報道よりもマシ。ネットはみんなが見ているから、話題が同じになる」といった意見も寄せられていた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)
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