1日に発表された新元号「令和」は、日本の古典、いわゆる"国書"を典拠にする史上初の元号となった。
共同通信による緊急電話世論調査では、新元号について「好感を持てる」と答えた人が73.7%、「出典元が国書であることを評価する」と答えた人が84.6%に上っている。
「元号に関する懇談会」のメンバーで作家の林真理子氏は「万葉集から選ばれたということで、私も作家の一人として、これで万葉集ブームが起こるんじゃないかと思って、とてもうれしく思っている」、京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授も「伝統を重んじると同時に新しいものにチャレンジしていく、日本のこれからの姿にぴったりの元号ではないか」とコメント。
また、自民党の小泉進次郎衆議院議員は「すばらしいことだと思う。もう一回、万葉集に関心が持たれるきっかけにもなると思うし、総理が言われたように、万葉集の中には当時の農民の方、貴族、そういった方を含めて色々な立場の方の歌が詠まれている」と話している。
記者会見で安倍総理が「我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書だ」と説明した「万葉集」は奈良時代に編纂された歌集で、天皇や皇族、防人、農民など、様々な階級の人が詠んだ約4500首が収録されている。「令和」はこのうち巻五、梅花の歌三十二首の序文からの引用となっている。
『はじめて楽しむ万葉集』などの著書もある、万葉学者で奈良大学文学部の上野誠教授は「来たな!という思い。自分のところにボールが回ってきたような気がした。自分がこの時代に生きていなかったら味わえない。研究室の電話が鳴りっぱなしで、スターになったらこうなるのかという経験ができた(笑)」と話す。
「万葉集は情感を学ぶもので、理屈を学ぶものではない。実際に読むと、どうやって恋をするかとか、相手のことをどう思うかとか、"軟派"なものだ。和歌がいいのは、"この土手に登るべからず警視庁""狭い日本そんなに急いでどこに行く"とか、五音と七音にすれば何となくそれらしくみえるという、非常にハードルが低くて、みんなが参加でき、そして個性も出せる文芸だ。今も新聞には俳句と短歌の欄があって、あわせて1000万人以上の人たちがそれを見ているし、誰でも作ったことがあると思う。日本は詩の国だと思う」。
選考過程では国書に由来する「英弘」「広至」(中国にも典拠)、「令和」、そして従来のように漢籍からも「久化」「万和」「万保」の候補に上がっていたと報じられている。米CNNがアメリカ人研究者の見解として「新元号は日本の政治の右傾化を反映している。これは保守層有権者への配慮だ」と伝えたように、国書を典拠としたことに対する批判的な見方もある。
上野教授は「万葉集ではない方が良かったという人もいるが、だったら書経とか易経とか詩経を皆が読んでいるのか、という話になる。万葉集は源氏物語と並んで、先生と一緒であれば読むことのできる並ぶ国民文学。そこから取るということで元号が身近になる。また、この序文自体が漢文である中国の『文選』という書物の『帰田賦』から取っている、という点からの批判もある。しかし古典というものは、過去にあるものをちょっとずつ変えながら作っていくもので、いきなりピカソやダリのようなものが出てくるというのは近代的な考えだ。『帰田賦』だって、その元がある。"重ね絵"のように作っていくものだし、それが日本の文化の素晴らしいところだと考える。日本はオリジナルを作るのは不得意で、"改良型"。逆にいうと、それが良でもあると思う」と指摘する。
「元号は元々中国の皇帝制度から生まれたものだが、今は本家本元の中国でもやっていないし、朝鮮半島でもやっていない。もうこうなったら日本の古典でもいいのではないか、と思うし、どの国だって自分の文化が一番だと考えている。中国に行けば論語を小学校から暗唱させ、これが最も優れた古典だと言っている。それぞれの国が優れたものを大切にしていくということを右傾化というのは当たらないと思う。また、日本書紀や古事記にすると、中国や韓国との軋轢が生じる可能性があった」。
さらに上野教授は、万葉集が生まれた時代と現代に共通点も見いだせると指摘する。
万葉集が編纂された時期は、中国は唐が栄華を誇り、朝鮮半島では三国時代の只中にあたる。一方、日本国内では政変が続き、天然痘による疫病、飢饉も発生した。ここが中国の台頭、北朝鮮問題・日韓関係の悪化、そして東日本大震災や西日本豪雨など自然災害に襲われた近年の状況とも符合するというのだ。
「中国のパワーが強大になり、朝鮮半島情勢が複雑化すると、日本としては大変だ。朝鮮半島が常に分裂したり一緒になったりしていく過程では日本との関係も安定しなかった。これが今の日本と全く同じ状況だ。そして、和歌はきれいで伸びやかで優雅な感じがするが、疫病や飢饉で政情が極めて不安定な面があった。長屋王の変では時の宰相が取り囲まれて自決しないといけないような状況に追い込まれた。決していい時代ではなかった。しかし、そんな時代でも、みんなでピクニックする時には風がやわらかで、暖かい日がいいよね、と。それも人情だし、万葉集の世界だ」。
万葉集は、幕末にも流行を見せたとされている。中国の儒教の流れを汲み、上下の身分関係を重んじる朱子学が幕府公認の学問だった時代、盛んに万葉集や古事記を研究し、日本本来の文化や思想を探求する国学は、志士たちの尊皇攘夷思想に影響を与えた。
「外国から圧力がかかってくる時には、"自分は何だ"というのが出てきて、押し返そうというのが出てくる。その力に万葉集がなっていく。いわばソフトパワーだ。だから万葉集が意識されるということは、社会が非常に苦しく、日本人が押されている時だと言えるかもしれない。今、社会はグローバル化、英語、AI、と言っているが、考えてみると日本人になることの方が難しいのではないか。お出汁でお料理ができるか。着物の着付けができるか。お花を活けられるか。お茶ができるか。ちゃんと敬語が使えるか…という具合に、勉強しないと、日本の伝統文化がわからなくなっている」。
その上で上野教授は、「令和」に込められた意味について、次のような解釈を披露した。
「原文は、自分たちが行った宴会の条件がいかに良かったかということを表している。その時に詠んだ32首を束ね、最初に置いた序文だ。ピクニックをするならどういう日がいいか。暖かくて風がやわらかで、そしてお花見だったら、梅の花が真っ白に咲いていて、いい匂いがしていたらもっといい。どんなに苦しい時代でも、宴会の時は楽しくというのが人間は基本なのではないか。しかも、これは大陸との玄関口であった九州の太宰府で詠まれた歌だ。また、この時代で知られている元号には"天平"があるが、当時、日本は世界のどこにもないような巨大金銅仏である奈良の大仏、そして非常に微妙な表情を描き出した阿修羅像などを作った。漢字、儒教、律令、そして仏教と、ベトナム、朝鮮半島、日本などの東アジアが中国の文化を受け入れていく中で、"いや、俺の所は違うよ"、というものが出てきて、それが各国の文化として花開いていった時代だ。深読みだが、これからは天平のように、世界と交流しながら地方も元気に、という意味も込められているのではないか。元号によって国のあり方を明確に示そうとしたり、政治を強く意識したりしないといけない時は、国が大変な時だと言えるかもしれない。お隣の韓国ではデモをして政権を倒し、新しい政権のもとで裁判が行われ、大統領が牢獄につながれている。そういう状況から見ると、お花見で楽しく歌を詠むことの幸せ、ということもあるかもしれない」。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)
















