滋賀県大津市で保育園児の列に車が突っ込んだ事故を受け、自動車運転や道路環境についての議論も広がっている。
「やはり娘の存在が私の活動の支えだ。16年が経つが、私の心の中に今でも娘は残り続けていて、生き続けている。娘のことを無駄にしないためにも、何をするべきなのか日々考え続けている」。そう話すのは、2003年に交通事故で娘の命を奪われた佐藤清志さんだ。当時6歳だった佐藤さんの長女・菜緒ちゃんは、幼児用自転車に乗って母親と横断歩道を青信号で横断中、左折してきた大型トラックにひかれて即死した。トラックは100mほど進んだところで停車。
運転手には禁固刑の判決が下されたが、裁判の過程で佐藤さんは「自分は本当に歩行者の目線で運転をしていたのか」と自問するようになったという。そこから「事故現場の交差点で二度と事故が起こってほしくない」と考えた佐藤さんは、信号を「歩車分離式」に変更してもらうために署名活動を開始、事故の翌年に実現させた。そして、交通事故防止や被害者・遺児を支援する活動を今も続けている。
■「"交通強者"は改めて考えてほしい」
9日放送のAbemaTV『AbemaPrime』に生出演した佐藤さんは「今回は大津だが、池袋、神戸の市営バスの事故があった。木更津でも、青信号を横断中の歩行者が被害に遭っている。やはり青信号を横断中に娘を亡くした遺族として、他人事とは思えない。やりきれない思いでいっぱいだ。そして、誰でも被害者、そして加害者になるということ。車を運転するということ自体がそもそも危険行為だということに気づかないといけない時期にきていると思う」と話す。
「青信号である以上、歩行者としては右折、左折してくる車を信頼し、人とも交差する中を縫って横断しなければならない。だから娘ような被害が出ると、色々なところで"青信号でも気をつけて渡らなければならない"という教育をしてしまいがちだ。それでは歩行者などの交通弱者は一体何を信頼して渡ればいいのか、ということにぶち当たる。一方、加害者側は"気が付かなかった"と安易に発言してしまいがちだが、それは確認を怠ったまま曲がったということの裏返し。改めて交通強者であるドライバーや大人の側がどうするべきなのか、一連の被害を通じて改めて考えてほしい」。
運転免許証を取得して間もないという慶應義塾大学の若新雄純特任准教授は「"道に出たら、誰も信じてはいけないし、一番疑わないといけないのは自分だ"と、徹底的に人を信じない、性悪説のスタンスで教習が行われていたことが印象に残っている。人間というのが不注意で、完璧ではない存在である以上、曲がるときにも細かな手順が必要だと指導されたことを思い出す。発信、加速と、車のテクノロジーはどんどん進化しているけれど、乗っている僕たちの反射神経や動体視力は、むしろ便利なものに囲まれた生活の中で劣化しているかもしれない。あるいは車に乗っている人を守る技術は進んでいるけれど、ぶつかられる側の生身の人間には変わりはない。人を信じないというのは悲しいことあだけれど、運転に関しては疑わないといけない」とコメントした。
■「歩行者優先の道路環境へ整備を」
長女の事故を機に歩車分離式の信号の整備を訴えた佐藤さんは、道路環境の面についても問題提起する。
「住宅街などの生活道路ではスペース的できないこともあるので、"車を入れない"という発想になりがちだ。しかしヨーロッパでは人と車が共存するためにはどうあるべきかと考え、"交通弱者を最優先にして入っていくようにする"、という考え方をする。娘の事故が起きた交差点も、大津のケースのように鈍角で、スピードを出していても曲がれるような構造だったので、被害が他にも出ていた。そのこともあって、後にしっかり角度を付け、スピードを出した状態では曲がりにくい構造に変えた。そういうこともできるのではないか」。
週刊東洋経済の山田俊浩編集長も「欧米では車に乗っていた側の犠牲者が多いが、日本ではそうではなく、轢かれた側の犠牲者が多い国。それはやはり道路環境が自動車運転であって、歩行者優先の発想になっていないからだと思う。欧米では住宅街の道路には減速させるためのスピードバンプが設けられているなど、物理的な仕組みも施されている。今回の事故が起きた交差点についても、縁石ではなくガードレールを設置することができるはずだ。あるいは警察の人形が置いてあるだけで人は減速するという、心理学的な仕組みもあると思う。わずかな人のためにお金をかけるのはどうなのか、という意見もあるかもしれないが、鉄道会社が転落防止のためにホームドアを推進してとしているように、道路環境整備を進めるべきだと思う」と指摘。若新氏も「同じ性能の車がどんどん安く作れるようになっているのだから、価格の中に一定の負担金を含めるべきではないか」と提言した。
また、佐藤さんは「車のCMで、社長が出てきて"FUN TO DRIVE"というフレーズが流れる。"楽しくなければ車ではない"ということを強調しているわけだが、私は被害者の立場として、とてもそんなことは思えないし、そういうことを言うこと自体が時代錯誤だと思う。自動運転や、予防的な安全機能に関しても、そういったものが付くこと自体、"ながら運転"などを助長してしまうような社会に進んでしまうのではないか」と警鐘を鳴らしていた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)













