(記者会見で退団を発表した梅田とDDTの高木社長) 

 DDT所属のプロレスラー、梅田公太が退団を発表した。ラストマッチは7月21日の後楽園ホール大会。その直前に開催されるビッグマッチ、大田区総合体育館大会(7月15日)では梅田&岩崎孝樹vs樋口和貞&中津良太のタッグマッチが実現する。同日デビューの盟友にしてライバルによる闘いだ。

 24歳という若さで退団する理由は、熊本の実家に戻って家業を継ぐというもの。以前、ケガで長期欠場していた際も実家で仕事をしていたという。

「これはもともとあった話で、プロレスと家業、どっちを取るかと。家のことも大事だと思っていて、継ぐことになりました」(梅田)

 プロレスに対してネガティブな気持ちがあってやめるということではなく「プロレスは大好きなので、残りの期間、精一杯やりたいです。退団するけれどもモチベーションは下がってないので」と梅田。「僕がやりたいのはプロレス」としながら「ケガした時にいろいろ世話になったのは家族ですし」とも。

「いつかこの決断をする時がくると覚悟していました。それはそれで受け入れて、終わりではないので。新しい一歩を踏み出して次どうなるのかという楽しみが大きいです」

 実家に戻り、プロレスから離れる梅田だが、引退ではなく退団という形をとったのは“大社長”高木三四郎のアドバイスからだったそうだ。会見に同席した高木は、以下のようにコメントしている。

「最初は本人から中途半端にしたくない、引退という形でという申し出があったんですが。今後どういうふうになるか分からないですし、この若さでやめるという選択を取るのはどうなのかなと。それで“一回、退団という形にしたらどうか”と伝えました」

 本人、あるいは実家の環境が変わることもあるだろう。ましてまだ24歳だ。「もう一度、リングに上がることができるかもしれない」となった時に引退した身では、プロレス再開へのハードルが高くなってしまう。そこで引退ではなく退団、つまり「DDTはやめたがプロレスラーはやめていない」という形を高木がすすめたのだ。DDTの九州ツアーなど、フルタイムのレスラーとしてでなくともリングに上がる機会はあるだろう。

「家業を頑張ってほしいという気持ちの半面、またやりたくなったら、いつかまた一緒に出来たらという思いもあります」(高木)

 梅田自身も、プロレスそのものをやめるわけではないというところが前向きな気持ちの源になっているようだ。梅田は2014年11月、DDTの若手育成ブランド「DNA」でデビュー。キックボクシングベースの蹴り技を武器に台頭した。バラエティ色も強いDDTの中で“剛”のファイトスタイルが持ち味だ。

 昨年は上野勇希、竹田光珠とのトリオでKO-D6人タッグ王座を獲得。ニュースター発掘を目的とする「マジ卍トーナメント」にも優勝した。全敗に終わったが、多様なスタイルの強豪に挑む「狂犬七番勝負」を敢行し、経験値を高めてもいた。将来、DDTを背負って立つ選手に成長するのは間違いなかった。同世代の先輩で、現在のDDTのエースである竹下幸之介は、かつて「DNAで唯一、気になるのは梅田」と語っていた。

 それだけに退団は惜しい。しかし梅田公太というレスラーの将来を誰よりも楽しみにしていたのは本人だろう。その本人の決断だ。そして本人が言うように「やめるわけじゃない」。レスラーであり続ければ、プロレス界に何らかの形で関わることがあれば、いつか何かが起きる。プロレスはそういう世界だし、いつか梅田が「やれる」ことになった時に放っておくDDTではない。それは間違いなく言えることだ。

文・橋本宗洋