父と息子、二人三脚で…母の命を奪った「がん」と向き合った19歳の記録
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 「充実した治療生活を送れるように、父ちゃん応援しているから」「はぁ…。なるべく4年で卒業したいので、頑張って単位を取りたい…」

 「AYA世代」と呼ばれる、15歳から30代後半の若いがん患者。闘病生活の中、進学・就職や結婚など、人生の大きなイベントと向き合うことも強いられる。病気とは無縁だった大学1年生から「AYA世代」になった、中村嶺也さん(19)を取材した。

■「お金のことはそんなに心配しなくていいから」

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 「ここに白い塊があって、脳の上からも横からも真ん中。松果体というところがあってね。子どもに多いからいわゆる小児がんと言われているようなもの。」(小児科部長の石田裕二医師)

 私たちが中村嶺也さん(19)に出会ったのは昨年11月。静岡県長泉町にある、静岡がんセンターの診察室だった。嶺也さんの脳に見つかったのは、3センチほどの悪性腫瘍、がんだった。手術で取ることのできない場所にあるため、抗がん剤と放射線による治療を行うことになった。

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 告知後、長い沈黙のあと、父・成次さん(60)が「ま、先生いっぱいいるから相談して。お金のことはそんなに心配しなくていいから」と声をかけるが、嶺也さんは一言「…うん」と言うだけ。19歳の青年には、簡単に受け入れられる現実ではなかったのだ。

 宣告から1週間、抗がん剤治療の開始に向け、嶺也さんの試練がスタート。実際の投与が始まると、嶺也さんは「(身体の調子が)いつもと違う。重たいとも違う…言葉にできない感じ」。

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 進行が早く、珍しい部位に発症することも多いため、治療が難しいと言われている、AYA世代のがん。静岡がんセンターは、AYA世代専用の病棟を全国で初めて設置し、精神的なサポートも行う。成次さんも「充実した治療生活を送れるように、父ちゃん応援しているから」と元気づけると、嶺也さんは「充実した治療生活…。何かよく分かんねえな(笑)」。

■父と息子、二人三脚での治療

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 いつもおいしいご飯を作り、勉強を教えてくれた母・真砂江さんを小さい頃に亡くしている嶺也さん。成次さんは、男手一つで2人の息子を育ててきた。現在は、富士山の麓でキャンプ場を経営している。「ご飯を作ったりするのは大変だったけど、振り返れば育っちゃったかな、という感じ」。

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 嶺也さんが病気になってからは、朝早くに仕事を済ませるようになった。病院までは車で1時間。この日は治療と学業をどう両立させるか、石田医師と相談を行う。「大学によって単位の取り方や考え方もかなり違うので、社会的に何か応援できることがあれば、診断書書くとか…」。石田医師がそう話しているとき、嶺也さんが「貧血っぽいです」。この先どうなるのか、大きな不安がのしかかる中、成次さんの押す車椅子に乗せられ、病室に戻った。

 ため息をつく嶺也さん。心の成長や親離れが重なる年ごろでもあり、家族になかなか不安を打ち明けられないのもAYA世代の特徴だ。

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 間隔を空けて行われる抗がん剤治療の合間、一人暮らしのアパートに戻る。頭部を拭ったタオルには、たくさんの髪の毛が付着する。副作用だ。「分かります?最近はこんな感じで。これならいっそのこと一気に抜けてほしい」。

 母を早くに失った嶺也さんの夢は、社会福祉士の資格を取ることだ。治療中も可能な限り授業に出席してきたが、治療との両立は難しい。

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 「21日の週に試験があるから避けたいと言っていたよね。28日の週に最後の3回目の治療を…」と話す石田医師に、「27日も28日も試験があるんですよ」と交渉する嶺也さん。一人一人の生活を可能な限り尊重して治療を進める方針のAYA病棟。石田医師も、「じゃあ30日でいいよ」。嶺也さんの要望を受け入れた。

 2018年のクリスマス。AYA病棟ではクリスマス会が開かれていた。いつも仕事で家にいなかった成次さんと嶺也さんが、クリスマスを一緒に過ごすのは何年ぶりだろうか。

■治療は新たな段階へ…手紙に遺された母の思い

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 「こんなに小さくなっている。7ミリくらい。とてもよく薬が反応している」(石田医師)。3センチもあった腫瘍は、4分の1ほどになった。

 成次さんは嶺也さんの手を握り、「富士山の6合目まできたから、7合目、8合目、9合目、10合目と頑張ろう。サンタさんのプレゼントだなあ。1番のプレゼントだね」。

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 治療に光が見え始めたその頃、もう一つ嬉しい報せが舞い込んだ。大学側に成次さんが「日にちを決めてうまくローテーション組んでいけば単位をとれるかなと思っているが…」との相談に、「現段階では出席が基本になってしまうので出席できなかった分に対しての対応が現状ではやっていない」と答えていた大学側が、レポートでも単位をとれるよう、配慮してくれることになったのだ。

 そして残った腫瘍を取り除くため、嶺也さんの治療は新たな段階へ入る。今度は、長期入院が必要な「陽子線治療」だ。外に出られない日々が続き、食欲も出ない。弱音を吐こうとする嶺也さんに、成次さんは「…大丈夫でしょう。負けない。勝てるでしょう」と励ましの声をかける。

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 一時退院した2月のある日、成次さんは嶺也さんと兄の翔吾さん(22)を連れ、7年前まで家族4人で過ごした実家に帰った。柱には、身長を測った跡が残る。

 成次さんが見せてくれたのは、家族でオーストラリア旅行に行った時の写真と映像。「これが最後の家内の。グランドキャニオンで子どもたちを。"調子が悪い時に行かなくてもいいんじゃないの?"という話をしたら、"今行かなきゃいけないの"という話になって」。乳がんを宣告され、闘病生活を送っていた真砂江さんは、子どもたちが大きくなってからでは遅いということを知っていたのだ。やがて、真砂江さんのがんは脊髄や肺へと転移していった。

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 家族のアルバムには、この時の母の日記が挟まれていた。

 『夢が叶った。その子たちが大きくなり、悩みを抱える頃になったらこの広大な大地に連れてきて、共に大地を眺めることが出来たら。この広大な大地にとってはほんの一瞬に満たなくとも、こんな大切な1日を無事過ごす事ができて、何と素晴らしい人生だろうか…。』

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 「(このときが)一番楽しそうだった」と話す翔吾さんに、成次さんは「そりゃあそうだよ。楽しいのを皆に見せたかったんだから」。嶺也さんも「いやあ、記憶が蘇った…。久々に母ちゃんの字を見たなっていう。勉強教えてくれていた時も、こういう字をしていたなって」としみじみした表情を見せた。

 今年3月。「順調で、あとは定期的に」。そう話す石田医師に、「本当に4か月、ありがとうございました」と握手を求めた成次さん。「2年生からも頑張ると思うので。また4月に」と笑顔の嶺也さんに、石田医師は「自分らしく、自分らしく。人と競争することばっかりじゃないからね」。

■「支えられていることを忘れずに生きたい」

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 友人とスノーボードを楽しめるまでに回復した嶺也さん。がん再発のリスクは10%、5年間は経過観察が必要だ。そして嶺也さんが住む家に成次さんが持ってきたのは、大学の成績表。不安げな表情で目を落とすも、「落としていないですね。多分大丈夫。ありがとうございます」と頷く嶺也さん。「不可はないね!おめでとうよかったね。治療のし甲斐があった」と息子の手を握る成次さん。

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 5月6日。真砂江さんの命日に、今年も家族そろって来ることができた。嶺也さんは「病院の方たちも最善を尽くしてくれて、学校の方では単位を配慮してもらって、家族にもいろいろなところで支えられて人の力を感じた。支えられていることを忘れずに生きて、いつかはその支えを返せたらいいなと思っている」と、夢と向き合うスタートラインに立てたことを母の墓前に報告。成次さんも「お母ちゃん、また来るよ」と声をかけた。

 夢に向かって、一歩一歩。たとえ壁があっても、父と子は光を信じて、進む。

(静岡朝日テレビ制作 テレメンタリー『AYA世代の闘い ~がんと向き合う19歳~』より)

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ANN各局が週替わりで制作するドキュメンタリー。
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