
アイスリボンの個性派レスラー、松本都が団体からの退団・独立を発表した。円満退団で、「独立」という表現が使われたのは今後、起業して“実業家レスラー”になるプランがあるためだ。
都はプロレスを題材にした映画出演がきっかけでレスラーに。体は小さく、運動神経もいいとは言えないが、尋常ではないバイタリティでファンの支持を勝ち取った。一時は新団体「崖のふちプロレス」を旗揚げし代表に(所属は自分1人)。アイドルユニットでメジャーデビューしたこともあれば、後輩レスラーのユニットをプロデュースしCD発売を手がけたことも。ライブとプロレスを融合させた自主イベント「みやここフェス」も開催している。
もともとが日大芸術学部出身、大槻ケンヂと戸川純を愛する、いわゆるサブカル寄り”の女性であり、リングでフリースタイルラップ対決を展開したことも。キャリアを重ねるうちに「やりたいこと」がどんどん増え、スケジュール的にも活動規模としても所属の枠を取っ払ったほうがいいという判断に至ったようだ。
「私は人をプロデュースすることに才能があると思ってるんです」
独立発表の会見で、都はそう語っている。プロデュースやイベント開催に加えスナック経営(新宿ゴールデン街を希望)、スポーツジム経営も考えているということで、とにかくアイディアと野心が止まらない状態だ。会見にはアイスリボンの佐藤肇社長、松本の同期である取締役選手代表・藤本つかさも出席。佐藤社長は「独立するほうが向いている選手」と語っている。今後も都はアイスリボンの主要大会に参戦予定。道場で行なわれている定期大会にもスケジュールしだいで登場するようだ。
「私は11年間在籍したアイスリボンが大好きです。アイスリボンがなかったら女子プロレスに興味を持つことはなかった」(都)
独立は以前から考えていたが、決まったのは急なことだったという。藤本に相談したのが1か月前、社長と話したのが2週間前で、11日に会見をして15日の横浜大会が所属ラストマッチというタイトなスケジュールだ。
それでいて、今後の活動に関する具体的な活動は、ライブイベント『ミニみやここフェス』(8月10日、新潟・ArmBARにて開催)のみ。会社登記をはじめ様々な作業が間に合っていない状態だ。

もともとは8月にデビュー11周年を迎えてから独立を発表しようと考えていたのだが「ゲッターズ飯田さんに相談したところ、8月より7月か12月がいいということで」前倒しにしたとのこと。フットワークが軽いと言えば軽い。
12月よりも7月を薦めたのは藤本。先延ばしにして迷うよりも、思い切って早くやったほうがいいという判断だった。同じ企画から同日にデビューしてもうすぐ11年。何度もケンカして仲直りして、リング上でも組んだし闘った。藤本曰く「腐れ縁」。その性格は誰よりもよく分かっている。
今後、都がフリーとして活動していくにあたり、藤本は会見で「松本都取扱説明書」を読み上げた。本人ではなく周囲に向けたアドバイスが必要だというのが、松本都の松本都たる所以だ。
「試合では全然動かないくせに美味しいところだけ持っていくタイプです」
「協調性はありません。掃除もしません。本人はしていると言い張りますが、雑巾を滑らせているだけです」
いかにも取扱注意な都だったがトリセツ10カ条目は「プロレスのことを深く考え、広く勉強しています。みなさんが思っているより、意外といい奴かもしれません」。読んでいる藤本も、それを聞く都も思わず涙を流した。
2011年には退団→崖のふちプロレス旗揚げ、今年5月にも団体追放からの復帰という歴史があり「追放されて復帰してから独立なのか」と選手たちを戸惑わせたりもしている都。藤本によれば「独立しようかな」という話は毎年のようにされてきたそうだ。
そんなわけで会見では「いずれアイスリボンに戻りたくなったりもするのでは?」と都に聞いてみると「それはその時になってみないと分からないです」。もう二度と戻らない覚悟だとキッパリ言い切れない素直さに苦笑しつつ、その取り繕わないところが持ち味だと再確認させられた。
佐藤社長からは、マスコミに向けて「本人からあまり無理なお願いをされたら断ってください」との伝達もあったと書けば、都がどれほどのエネルギー的な何かを持つ人間なのか伝わるだろう。藤本は「選手としては誰にでも負けるし、誰に勝ってもおかしくないタイプ。そのままでいいと思います。アドバイスしても今さら変わるわけがないので(笑)」。
都がいなくなって、アイスリボンは少しばかり寂しくなるだろう。しかしその分、他の団体かライブハウスかゴールデン街、どこかしらが騒がしくなる。松本都の“松本都っぷり”が届く範囲がさらに広がると思うと、ついニヤニヤしてしまうファンも多いはずだ。
文・橋本宗洋
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