平成最悪の犠牲者数を出した去年7月の西日本豪雨。1級河川の小田川や支流が氾濫し52人が犠牲となった岡山県倉敷市では、被害が大きかったエリアに特別警報が出されたあと避難指示が出るまでに2時間50分もかかったことが問題視された。また、愛媛県西予市では、野村ダムの緊急放流が避けられないことが伝えられてから避難指示が出るまで、2時間40分もかかった。
これら市町村のトップが出す「避難情報」のタイミングが問題視されたことから導入されたのが、最近耳にすることが増えた「大雨警戒レベル」だ。6月7日に西日本を中心に降った雨で、初めて広島市や山口県周南市、愛媛県宇和島市などが避難勧告を出し、日本で初めて「レベル4」が運用された。
しかし、果たして「大雨警戒レベルの導入で自治体の悲鳴は消えるのだろうか。取材を進めると、自治体が抱える拭えない不安も見えてきた。
■避難勧告が大幅に遅れる理由
人口およそ2万4千人の広島県熊野町。去年7月の西日本豪雨では複数の住宅が土砂に巻き込まれ、12人が犠牲となった。町には独自の避難勧告のマニュアルが作られていたが、避難勧告を出したのは、基準に達してから3時間後のことだった。
「申し上げにくいところではあるんですが、統制がとれないような状況になっていました」。そう振り返るのは、当時対応にあたった民法好浩氏だ。初めて経験するような大雨だったが、役場にいた防災担当者は民法氏を含め3人だけ。そこに助けを求める電話が次々とかかってきた。「ちょっとしたパニック状態になっていました」「優先度も決められず、場当たり的な対応になっていた」。
三村裕史町長は、人手不足と相次ぐ電話対応の他にも理由があったと明かす。「いろんな条件が重なるんですが、避難勧告を出すことによって避難所が空いてないとか、職員が配置されていないとかとうことで、来られた方の苦情の処理に忙殺されるんじゃないかということで」。避難所に職員の配置が完了しない段階で避難勧告を出すことで混乱を招く可能性があると考えたのだ。
豪雨から9か月が経った今年4月。再び役場を訪れると、危機管理課に民法氏の姿はなかった。1階の住民課に異動したのだ。課のメンバー4人のうち、民法氏ら同僚3人が4月に異動、残ったのは入庁2年目の中原泰弘氏だけだ。「そりゃショックですよね。えっ?てなりました。自分だけが残るわけですからね」と苦笑する。このことについて、三村町長は「市とか県のように何十人とかいる組織じゃないんで、そこをうまく考えていかないと、特定の人間だと危機管理課だけが対応するということになりますのでそれは避けたい」と苦悩を滲ませる。
豪雨で被害が起きるたび、気象庁などは観測の精度を上げ、新しい情報を出してきた。増え続ける気象情報に、市町村が翻弄されるケースもあるという。
例えば西日本豪雨では、気象庁は7月6日午後10時40分、岡山県に「特別警報」を発表した。特別警報は2013年に導入されたもので、出した時点ですでに何らかの災害が発生している可能性が高いとされ、避難指示を出す状況を超えている。
ところが倉敷市が避難指示を被害の大きいエリアに出したのは、その2時間50分後だった。防災担当を統括する、河野裕危機管理監は「岡山県では初めて出されて"身を守る行動"と言われますけれど、も実際にそれが出てどうすればいいのかっていうのが私としても経験がございませんでしたのでわかりませんでした」と振り返る。河野危機管理監は、定年を1年後に控えた去年4月、はじめて防災担当の部署にやってきた。
最終的に倉敷市真備町は4分の1が浸水し、51人が犠牲となった。当時、伊東香織市長は記者の「避難指示の出すタイミングに問題はなかったか」との質問に、「市としてはその時時点でできるかぎりのことをやった」と涙ながらに答えていた。
西日本豪雨を受けてできた国の有識者会議では、市町村の実態から「行政主導の防災」には限界があるとして、「住民主体の防災」に転換する必要があるとの提言をまとめた。これを受け、国では住民がわかりやすく情報を受け取れるよう「警戒レベル」を導入することにした。
これまで市町村が出していた3種類の避難情報と気象庁が出す情報はあわせて5段階にレベル分けされ、気象庁から出される警戒レベル1~2は大雨や洪水の注意報など、まだ危険性が高くない状況で、市町村が出されるレベル3は住民が避難を開始するものとされた。また、避難勧告を出しても、「まだ避難指示がある」と多くの人が逃げない現状があると考え、別々だった避難勧告・避難指示は、同じレベル4の中に入れた。
ガイドラインが新しくなったことを受けて、国は全国各地に担当者を派遣、市町村に説明会を開きました。ところが、市町村側からは「警戒レベル4で全員避難と呼びかけても、住民全員分を受け入れるための避難所がない」「避難所の開設が間に合わない。住民にはどのように説明すればいいのか」といった声が上がった。これに対し、国からは「避難所が足りない、空いてなくても知人の家などに避難するなど住民それぞれに考えてもらうのがいい」と主張した。
■議論が先送りされる市町村の負担軽減策
4月中旬。福岡市の会議場で行われた説明会。2時間に及んだ説明の後、いくつかの自治体の防災担当者が、内閣府からやってきた菅良一氏らに詰め寄っていた。
福岡県筑前町の防災担当者は、国の有識者会議の報告書の『住民が「自らの命は自らが守る」意識を持って自らの判断で避難行動をとり、行政はそれを全力で支援する』という一節の「全力」という言葉に引っかかっていた。消防庁の職員と「行政は全力で支援しますと。危ない場所でも助けに行けと。やれる範囲でやれと」「いまやってますか?」「やれるところはやってますよ。行政が全力で支援するとなると"助けに来い"となる。言葉のニュアンスですよ」と押し問答を繰り返した。
今回のガイドライン改正は、行政の"過保護"が、逃げない住民を増やしているのではという反省に基づいているという。行政が「全力で」支援すると書けば、また住民は甘えるのではないかと、不安は尽きないのだ。
実はおととしの九州豪雨のあとも、避難情報を出す市町村の負担の大きさが指摘されていた。有識者会議でも、一回目の会合で、「避難情報を出すのを国や県が手助けしてもいいのではないか」という意見が出ていた。
内閣府特命担当山本順三大臣(当時)は「避難勧告あるいは避難指示を各市町村の責任でだすわけなのですが、少し考えろと」「国土交通省あるいは気象庁と連携しながらでありますが、各整備局あたりで総合的な判断をして、一斉に勧告なり指示なりが出せるような、そういうシステムを考えたらどうだね」と発言。山崎登委員(国士舘大学教授)も「私も市町村をどのようにサポートするかということが、とても重要な課題だと思います」「比較的まだ余裕があるのは都道府県だと思います」「災害のときに、防災担当者はそんなにどこの市町村でも潤沢にはいませんが、そこがものすごく忙しくなるのです」と指摘していた。
しかし2回目、3回目の会合ではこの論点は話題は上がらず、結局、市町村の負担を抜本的に軽減する策は先送りされてしまった。
有識者会議のメンバーだった東京大学の片田敏孝教授は「会議は3回しかない。そうなると国民の命を守るためには何が重要かということが中心に議論されてしまって、問題が先送りされているのが現状」として、「膨大な情報がどんどん発出されるようになってきて、自治体の防災担当はその情報を読み解かなければいけない」「相変わらず、日本の防災は市町村単位に限定された防災を基本としています。やはりそれはもう見直す必要ときに来ているのではないか。災害が広域化、激甚化している中でこういった対応の必要があると思う」と訴えた。
この点について、国はどう考えているのだろうか。前出の内閣府(防災担当)の菅良一氏は「もし国が判断する、ということになると、市町村さんは責任をあまり取らなくていいのかな、となりますよね。市町村さんに発令の責任があるからこそ、彼らはしっかり住民にも周知すると思う。本音ベースでも、国がやるってなると全体的に自治体の防災面が脆弱化するなと思ったりしますね」と話す。
■変わり始める自治体も
そんな中、別の業界から専門家を招き、職員の考え方を変えようとする自治体も出てきた。
人口およそ13万人の福岡県飯塚市では、元幹部自衛官として災害派遣やPKO活動で指揮官などを務めた吉田英紀氏を防災危機管理監に起用している。吉田氏は退官後、防衛省などが主催する研修を受け、内閣府地域防災マネージャーになり、4年前に飯塚市に招かれた。
「本当の敵は災害なんだけれど、(住民は)行政がまるで敵のような眼をして囂々と文句を言います。大半の住民が過保護です。なんで過保護になったかというと、行政にも責任があるんですが、今までの災害は今の想定外の災害とは違ったんです。ある程度、行政が守ることができました。そして、守る人と守られる人の構図ができた、今の災害は地球温暖化で想定外の災害が起きている。もう行政は守れない」。吉田氏は入庁したばかりの新人たちを前に、そう防災の心構えを説く。
もはや防災担当部署だけで災害対応に当たるのは無理だと考えている吉田氏は、「行政は完全性を追求し、ある程度証拠が揃わないと行動に結びつかない。しかし自衛隊や消防は先を予測して行動する場合がある。そういうことができる組織でないと、躊躇なく避難情報は出せないと思う」という考えから、市の防災訓練では防災担当以外の部署に役割を与え、「こういう場合はどう行動するのか」と次々と質問をぶつけ、考えさせる。
しかし福岡県の60市町村のうち、吉田氏のように国からの認可を受けた防災専任職員を雇用している自治体は9つだけ、全体の15%にとどまるのが実情だ。
6月7日、はじめて大雨警戒レベル4を運用し、町内全域に避難勧告を出した広島県熊野町。去年の反省から、熊野町は避難情報を出す基準をシンプルにし、土砂災害や洪水の危険度が、気象庁の示す「レベル4相当」になったら自動的に避難勧告を出すようにルールを変えた。
役場内のパソコンで気象庁が出すリアルタイムの土砂災害の危険度を見続けていた、前出の防災担当・中原泰弘氏は「避難勧告等を的確にしなければいけないというプレッシャーはあった」と振り返る。三村町長は「すっきりして良いんじゃないかと思っています。今までの発令基準は溜まった雨量だとか、今後の天気の予報だとかを総合的に判断してきたわけですから、それだと判断が遅れるという面がありますので」と話す。
つまり、このルールであれば、気象庁が直接「避難勧告」「避難指示」を出すのと変わりはない。
多くの自治体は、被災して初めて課題と直面する。そして新たな豪雨のたびに、別の自治体で悲鳴が上がる。今年も市町村の負担を抜本的に軽減する策は先送りされ、大雨のシーズンを迎えた。