地上波未公開シーンを含めた完全版「しくじり先生 俺みたいになるな!!」が、AbemaTV(アべマTV)で放送された。
番組には“担任役”としてオードリーの若林正恭、“生徒役”として平成ノブシコブシの吉村崇、ハライチの澤部佑、女優の岡本夏美、モデルの中野恵那、お笑いコンビの霜降り明星が出演。今回は「キャパオーバーで飛んじゃった先生」として、キングコングの梶原雄太が登場した。
1999年に西野亮廣と「キングコング」を結成し、驚異のスピードでアイドル級の人気芸人になった梶原。しかし、あまりの忙しさとプレッシャーに押し潰され、ある日突然消息不明になってしまった。
失踪直後、丸3日間の記憶がまったくなく、周りの人からは「兵庫県のカラオケボックスに1人でいた」と聞かされたという。携帯電話の電源はオフにしていたため、梶原は「隠れていたんですかね……」と自身の行動を推測した。
当時の新聞では「梶原がインフルエンザをこじらせ休養」と報道されていたが、実はこのとき、誰も梶原の居場所が分からない状況だった。
誰にも連絡を取っていなかったが、「親には連絡を入れなくては」と思い、携帯電話の電源を入れると、ちょうどそのタイミングで着信が来た。それはFUJIWARAの藤本敏史からの電話で、冷静でなかった梶原は反射的に出てしまった。
藤本に「休め」と言われ、医療機関への受診を勧められた梶原。病院に行ったところ、「心身症」と診断された。これは人によって症状が異なるが、梶原の場合は対人恐怖症、記憶喪失、自虐症の症状があったという。
そこから雲隠れ生活が始まるが、西野にすら連絡は取らず、会社からもとっくにクビにされていると思っていたため、「芸人やめたし、次何しよう」と考えていた。
「西野くんが待ってくれてるで」母からの一言
しかし、失踪から2カ月後、梶原の調子もかなり戻ってきた頃、母親から連絡が来た。「西野くんが待ってくれてるで」と言われ、梶原はそこで初めて、西野がピンの活動もせずに休んでいることを知った。
後日聞いた話によると、西野は「ピンの仕事をしてしまうと梶原が戻って来づらいから」という理由で活動休止をしていた。
梶原は悩んだ末、西野に連絡を取り、直接謝りに行くことに。「絶対殴られると思ってた」といい、その覚悟で西野の家へ震えながら向かった。
部屋で待っていた西野は「上半身裸でキャップを横かぶりしてギターを持っていた」と、奇妙な姿だったそうで、梶原は「今から何をされるのか」と余計に震えたという。
西野は何もしゃべらなかったが、梶原は「お邪魔します!」と入り、西野の前に滑り込みで土下座。「本当にごめん! 許してください!」と全力で謝った。すると、西野はギターをジャカジャーンと鳴らし、「ええで」と一言。この流れに、スタジオは「西野~!」「桁違い!」と大盛り上がりだ。
続けて西野は「お前、バイクの免許取ったらしいな」などと、知るはずのない情報を次々と言ってきたという。
雲隠れ生活をしている間、梶原は元ババリア・三浪昇と頻繁に遊んでいたのだが、三浪が梶原の近況を周りに言いふらしていたのだ。
梶原は三浪の「俺、口固いで」という言葉を信頼して遊んでいたため、瞬間的に腹は立ったそうだが、三浪が情報を伝えてくれたおかげで梶原の安否が周囲に知らされ、結果、西野が梶原を待つことにつながったという。
そして梶原は、仲間が温かい言葉をかけてくれ、「戻ってこい」ではなく「休め」と言ってくれたため、芸人に復帰することができたと語った。