“航路は開けど、視界は不良”…商業捕鯨再開も、クジラの街・下関の関係者に残る不安
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 「みなさんが沖にいる間に大きな動きがありました。調査捕鯨は中止ということで、商業捕鯨を実施するということになります」。

 今年3月31日、山口県下関市の港に、南極から捕鯨船・日新丸が帰ってきた。家族と久しぶりの対面を果たした乗組員の相坂亨さん(41)たちを待っていたのは、森英司・共同船舶社長による、国の方針の説明だった。昭和の終わりと共に中断された「商業捕鯨」が、令和の始まりと共に再開されることになったのだ。「商業捕鯨にむけて調査捕鯨をしてきた訳で、ただあまりにも急、急だった」と相坂さん。

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 相坂さんが家族との食事を楽しむのは半年ぶり。しかし、こんなに長く家を空けることは、もうない。商業捕鯨への再開について「誰も知らんやん。これ、まずいんじゃない?若い子らはよくわかっていなかった。30、40代の、結婚している人間の方は"どうしよう"というのが多かった。やっぱり収入面がどうなるかなと。漁師と言えば漁師なので、自分らで作って自分らで給料を稼ぐことは船乗りとして当たり前のことと思っているけれど…」と不安を覗かせる。妻の玲花さんも「ゆっくり休養できて、次の航海まで3か月間もある。でも昨年だったら、帰ってきて1か月後には出港しているんですよ。生活のスタイルがガラっと変わることが、正直不安ではあります」。

 "航路は開けど、視界は不良"ー。そんな31年ぶりの商業捕鯨再開までを追った。

■地元の懸念の中、IWCを脱退

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 戦前、戦後を通して、南極海の捕鯨船団の基地として発展してきた下関。多いときには30隻もの捕鯨船が港にひしめき、クジラの名前が付いたプロ野球球団もあった。今も"クジラの街"として、市内にはクジラ肉の販売店や加工会社が存在する。

 その下関で、クジラの資源管理を話し合う国際機関・IWCの総会が開かれたこともある。しかしIWCは反捕鯨国が多数を占めるため、1982年には商業捕鯨の一時停止を採択。日本もこれに従い、1988年に商業捕鯨から撤退した。その一方、クジラを測定したり胃の中身を調べたりすることで資源状態を調べ、商業捕鯨再開につなげることを目的とした調査捕鯨を南極海と北西太平洋で行ってきた。

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 調査捕鯨で捕獲したクジラの肉は船内で加工し、国内で販売する。調査捕鯨全体の捕獲頭数のおよそ半分に相当する、南極海で捕れたクジラの肉は、全て下関に陸揚げされてきた。市内のクジラ料理専門店で出され得るクジラ肉の8割は、この南極海のクジラ。味がよく、商品価値が高いのだという。専門店主の小島純子さんは「やはりミンクのエサはオキアミですので、それほど臭みもなく、やわらかい、そして旨みもある。そういったところで当店では主に南極海を使っていました」と話す。

 しかし、戦後貴重なタンパク源だったクジラの肉の消費量は1962年の23万トンをピークに、現在は3000~5000トン程度にまで落ち込んでいる。国民1人が食べるクジラ肉は、1年でたったの40グラム程度というのが現実だ。そこで市内の小中学校の給食にクジラを使った料理を積極的に出し、食育で地元の食文化を継承しようとしている。

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 IWC総会のたびに商業捕鯨再開を訴えてきた日本。しかし去年9月の総会でも否決された。11月、総会の結果報告のため、水産庁と捕鯨関係者が下関市を訪れた。水産庁の黒川淳一・国際課長(当時)が「国会の先生方には、10年前から"早く(IWCに)見切りをつけるべきじゃないか"と、厳しい意見をいただいています」と話すと、「議員さん方は脱退しろと言うけども、日本が国際会議から脱退してよくなったケースはないんです」(下関くじら食文化を守る会の和仁皓明会長)、「南極海のミンククジラの捕獲ができなくなると、流通量を確保できるか分からなくなり、市場が大変混乱すると懸念する。不安が不安を呼ぶということになると思います」(小島さん)と、懸念の声も聞かれた。

 それでも日本は南極海での捕鯨を捨てることにした。去年12月、菅官房長官が会見で「来年7月から商業捕鯨を再開することとし、国際捕鯨取締条約から脱退することを決定しました」と報告。今年6月30日を持ってIWCを脱退、翌7月1日から 商業捕鯨を再開することを決定したのだ。

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 南極海と北西太平洋で行われてきた調査捕鯨では、年間637頭を上限にクジラの捕獲が許されていた。一方、再開される商業捕鯨は日本の領海とEEZ(排他的経済水域)のみで行われることになるため、操業海域は大幅に狭くなる。また、捕獲可能な頭数「捕獲枠」も、政府が決定する。小島さんが懸念した、南極海での捕鯨が不可能になり、漁獲高が減る可能性もあるのだ。

 黒川課長は「反捕鯨国は、商業捕鯨につながるようなものには一切議論に応じられない、もう嫌なものは嫌なんだ、ということしか言ってこない。すなわち、議論する気がないような状態ということが明らかになった。日本の商業捕鯨を再開する形であれば、国際法上、南極海は諦めざるを得なくなるが、そこはもう致し方ないのではないかということで、ある意味苦渋の決断をした」と説明する。また、関係者が注目する捕獲枠についても、「枠の算定に、ゆとりはほとんどない。きつきつのスケジュールの中で進んで行くかなと思う。関係者の方は当然心配だと思うので、そういった方々とも上手く意思疎通を図りながら心配しないでいただけるような形で進めていければなと思っている」とした。

■"クジラの街"を残すため、市長も国に訴え

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 商業捕鯨は沿岸と沖合で行われ、沿岸の6か所は、それぞれ地元の小規模業者が担当し、沖合の海域は、下関を出港する共同船舶が担当する。しかし、遠洋で調査捕鯨を行うために設立された共同船舶は、EEZでの捕鯨をほとんど行ったことがないという。森社長は「もちろん発見すればいくらでも捕る、だだ、漁場が分からない。どの時期にというのも全くデータがない」と困惑する。「ある意味、市場がないのになんで捕鯨をやるの?となる。素朴な疑問だが、突き詰めたら、その通りだと思う。今までの流通のあり方で良いのかも考えないといけない」。

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 そして、これまでの調査捕鯨では、年間数億円に上る赤字を国が補填してきた。これからはビジネスとしての捕鯨。事業は成り立つのだろうか。下関を出入港の拠点としてきた共同船舶も、今後は操業海域から遠くなる。「純粋に商業捕鯨となれば採算ベースにもなってきますので、わざわざ油をたいて下関まで2日、3日も走るのですかって言うのもあるんですよね。全量下関に持っていくことはないと思います」。

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 念願だったはずの商業捕鯨再開だが、下関の前田晋太郎市長にも笑顔はなかった。会見で「漁場が北側に向けられるということを考えると、下関の地理的なアドバンテージが若干失われる可能性があるのかなあと。位置的にはなかなか厳しいものがある」とコメント。農水省へ向かうタクシーの車内でも「日本は他国の食文化にいちゃもんをつけないでしょう?犬を食べても、"へー、犬って食べられるの"くらいで。そういうことを国際会議で言いますか?冗談じゃない。やっぱり日本全国、地方はみんな大変。人口が減って、もがいて大きな産業を取ってきたい、何かで1番になりたいって、自治体はみんな思っている。下関も、クジラに関しては絶対ナンバーワンでやっていくんだということは譲れない」。

 前田市長は下関を地盤とする安倍総理の元秘書。農水省では、「加工や流通、様々な面においてしっかりと受け入れできる体制は整っていますので、しっかり国のご指導を頂きながら、山口県と連携をとって、しっかり盛り上げて行きたいと思っているので温かいご理解をいただきたいとおもいます」と、引き続き下関を陸揚げ港にすることなどを陳情。「我々の今回の要望を温かく受け止めていただいたというふうに認識しております」とコメントした。

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 下関市長を務めたこともある、"水産族議員"の江島潔参議院議員(自民党)は、商業捕鯨再開の舞台裏をこう話す。「特に外務省なんかにはすごいアレルギーがあったんですよ。水産のボリューム、クジラのボリュームは非常に小さくなっていから"捕鯨はやらなくて良いじゃないか""何でわざわざトラブルを起こさないといけないんだ"と思っている人がいるのは事実。政府の中にも。私も安倍総理に何度も相談しながら、最終的にGOサインをいただいて進めていたので、この判断はやっぱり安倍総理でなくてはできなかったでしょうね」。

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 商業捕鯨再開の日まであと20日。相坂さんは家族サービスにつとめていた。しかし、6月に発表されていると聞かされていた捕獲枠はいまだわからないまま。元気そうに見えるが、「何頭捕るのか分からないので、先が見えないじゃないですかそれなりに準備って必要やないですか」と不安そうな表情も見せる相坂さん。計画が立てられないまま、出港の日は迫っていった。

■迎えた出港の日、関係者に残る不安

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 そして迎えた商業捕鯨再開前日、日本はこの日を持ってIWCを脱退した。下関では出港を控えた乗組員らを激励する催しが開かれ、関係者およそ100人が駆けつけた。江島参院議員は「クジラ食文化はどこの国に恥じることのない権利。科学に基づいて持続的な利用を訴えてきた。どこの国にも後ろ指を指されることのない捕鯨を続けていこうというのが私どもの信念だ」と挨拶。

 しかし、肝心の捕獲枠は未だに示されていなかった。再開を喜ぶ関係者とは裏腹に、乗組員たちの表情は硬いまま。「南極海で商業捕鯨ができるのが良かった」「200海里の内側、EEZの中しかできない、今までこの付近で捕獲を行ったことがあまりないので、実績の面で不安というのはやっぱりあります」(第3勇新丸船長)、「クジラを捕る技術については今まで培ってきた技術があるので不安はない。クジラがいるのか、ちゃんと商業ベースで捕れるのかが不安」(同機関長)。

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 翌1日、式典に臨む共同船舶の森社長が「まあ、不安も希望もありますが、頑張っていきたいと思います」と話す中、出港2時間前になり、ようやく国から捕獲枠が発表された。式典でぶら下がり取材に応じた吉川貴盛農水相(当時)は「昨日6月30日にIWCから正式な脱退を致しました。そういうことを鑑みて、本日から商業捕鯨が再開するのに合わせまして、朝8時に公表をさせていただいたということでございます」と説明。調査捕鯨と比べておよそ4割も少ない数字に農林水産省は、IWCの計算方式により算出した、100年捕ってもクジラ資源に悪影響を与えない頭数だとした。

 「ちょっと厳しい数字かなというのが第一印象ですよね。今の世代は良いんでしょうが、将来を考えた場合、さすがに南氷洋とは言いませんが、捕獲できる海域が広くなれば操業自体はやりやすくなるんですよね」と森社長。前田市長は「今後も商業捕鯨再開後の一層の鯨肉の安定的な陸揚げ、新たな産業・観光振興、さらなる経済振興のために商業捕鯨の基地化、母港化に向けた取り組みを推進していく」と呼びかけた。

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 商業捕鯨再開にあたり、国は軌道に乗るまでの数年、19億円の補助金を出すことを決めた。下関はこれからもクジラの街であり続けることができるのか。31年ぶりの晴れの出港の日、下関は濃い霧に包まれた。「まあ捕獲枠もそんなに多くないので、あとは天候次第」と相坂さん。「バイバイ、ガンバレ!」と声をかけて送り出した玲花さんは「来年がどうなるかというのが家族としてはわからないので。社長が挨拶されていましたけど不安と期待と両方ですかね」と話していた。

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 そして出港から3日目、1頭目のクジラが捕獲された。しかし7月30日、商業捕鯨再開後初の陸揚げが行われたのは下関ではなく、仙台だった。

(山口朝日放送制作 テレメンタリー『視界不良 ~揺れる商業捕鯨再開~』より)

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