200万人以上が参加した香港のデモや、世界5000以上の都市で一斉に行われ、400万人以上が参加した気候変動問題に関するデモ。また、韓国で行われた、文在寅大統領の退陣を要求するデモには300万人以上が参加したと言われている。そして、その中心にいるのは若い世代だ。しかし日本では、デモそのものに疑問を抱く声も少なくない。街で聞いてみても、「デモで常識を覆そうっていうのはムリじゃないか」「シンプルに邪魔。迷惑にならないようにしてほしいなって」「相手が動いてくれたら意味あるけど、あまりそういうことはないと思う」と、冷ややかな意見が7割以上を占めた。
国連でスピーチを行った16歳の環境活動家グレタ・トゥーンベリさんに共感、環境問題に関心を持つ大学生や高校生を中心としたデモを主催した「Fridays For Future Tokyo(FFFT)」のメンバー、梶原拓朗氏は「ドイツは一都市だけで100万人集めている。でも、叫びながら渋谷の人たちを見ていたら、ほとんどが素通り。焦った。誰かがポンと言えば何十万人も集まるような世界じゃない。本気でマーチ(行進)しても響かない社会に対して、流れを作らないといけない。企業さんとかNGOさんと連携しつつ、流れをつくる必要がある」と話す。10万人単位が集った海外のデモに比べ、渋谷のデモに集まったのは若者を中心に約2800人。別のメンバーの男性は「友達を誘っても"怖いからいいや"とか、"予定があるから"みたいにかわされちゃう。大多数が無関心だし、"意識高いね"で終わっちゃうことがもどかしい」と語った。
そこで7日放送のAbemaTV『AbemaPrime』では、日本のデモをテーマに議論した。
■箕輪厚介氏「SEALDs的なデモがめちゃくちゃ嫌いだ。マジでウザい」
デモを始めとした社会運動に詳しい高千穂大学の五野井郁夫教授(政治学)は、「日本では2011年の東日本大震災と福島第一原発事故の後、それなりに社会運動が盛り上がっていったし、飛行機が止まったりする他国に比べればストライキもないし、デモもまだまだ活発ではない。ただ、昔はデモもとても多かったし、ストライキで国鉄が止まっていた。やはり80年代以降、日本は非常に豊かになったし、中曽根政権が労働組合をずいぶんと潰した。そしてバブル景気もあったので、"もういらないかも"と下火になっていってしまった。よく"デモはルールの外側にある"というような言い方もされるが、そうではない。民主主義には間接民主主義と直接民主主義があり、選挙で変えていく政治と、そうではないところで変えていける政治が憲法上も認められていて、そこで努力していくものにデモや抗議行動がある。それが忘れられてきたのが現状だ。たとえば女性が我慢している社会は、男性にとっても不幸な社会。それに対して声をあげていくのは全然変なことではない。しかし、それがまだ"ちょっと変なことなのかな"というふうに思われてしまっている」と説明する。
これに対し、幻冬舎・編集者の箕輪厚介氏は「努力だけでは格差がどうにも埋められないとなった時に、不満を持った人たちが平和的な手段としてデモをするのはわかる。香港のデモも有効な手段だろう。だから世の中が平等・均一になるとデモが少なくなるというのもわかるし、日本も格差や分断が広がっていると思うので、これからデモが増えるだろうなというのも分かる。ただ、日本のデモ、特にその象徴的なSEALDs的なデモがめちゃくちゃ嫌いだ。マジでウザいし、渋滞になる。はっきり言って"自己満"、くだらない。メディアが取り上げるほどのメッセージもないのに、ワーワー太鼓を叩いているのは本当に反吐が出るほど嫌いだ」と激しく批判。
カンニング竹山も「主張している意見は別として、若者たちが頑張って訴えるということ自体はいいことだと思って見ていたけれど、途中から政党や昔活動していた人たちが乗っかってきているのを見て、"もう嫌だ"という気持ちが芽生えたし、"もったいないな"という感じもした。政党や宗教団体が入ってくると、普通の人はちょっと敬遠したくなるし、香港についても、"警察もやっているから"と若者たちが暴徒化してしまうと、昔の日本の安保闘争のようになってしまう気がするし、その先には不幸しかないんじゃないか」と話す。
こうした見方について、元SEALDsのメンバーで、普天間基地の辺野古移設をめぐる住民投票の実施に向けてハンガーストライキを行ったこともある大学院生の元山仁士郎氏は「2014年に特定秘密保護法に関して初めてデモをやったが、それ以前は"なんの意味があるの?こいつらマジうぜえ"と本気で思っていた。でも徐々に"やっぱり必要があるのかな。声を上げる時もあってもいいのかな"と思うようになり、自分自身が参加しやすいデモや、友達を呼びやすいデモを企画し始め、かれこれ5年くらいやっている。SEALDsが掲げていたビジョンは、日本国憲法をしっかり守ってほしいという立憲主義や、武力ではなく対話による安全保障、それから今回の増税にも関わってくるが、税金を障害者や高齢者、子どもたちや学生たちのために使う生活保障を掲げ、声を上げていた。"これだけは譲れない"、"ここで何か言わないと、自分自身に対して申し訳ない"とか、グレタさんのような年下の世代に対する責任、行動としてデモやハンガーストライキをやってみようということ。ただ、日本では多くの人が香港や台湾ほど差し迫った問題はないと考えているし、"何となく生きていけるよね。自分や周りの友達は大丈夫なのではないかな"という感じで漠然と生きている」と説明した。
■カンニング竹山「結論から言えば、負けたのではないか」
しかし箕輪氏は「(元山氏の主張には)全く共感できないし、何がやりたくてデモをやっているのか、全く伝わらない。デモをやりたくてデモをやっているとしか聞こえてこない。バカなの?デモをやることが人生の大事な部分を占めているのか」と重ねて質問すると、元山氏は「そんなことはない。これだけはやっぱり言っておきたい、ということで、その都度参加したり、企画したりしてきた。初めてデモを企画したのは2014年2月、特定秘密保護法が前年の12月に可決されたことに対して一部修正・廃案を求めるためだった。そして2015年のSEALDsは、安保法制の廃案を求めていた。その都度タイミングによって訴えることも違うし、デモが目的だとも思っていない」と反論。
これに対し、五野井氏は「香港の場合、選挙をしても自分たちの意思が通るような構造になっていなので、デモやストライキをやるぐらいしか自分たちの意思を政治的に表現する手段がないというのが現状だ。元山さんについても、沖縄で活動してきて、声をあげないとどうしようもないという状況があるから声をあげた。そして行動している。みなさんおそらく誤解されていて、共産党や立憲民主党が仕組んでいるのではないかと思っているかもしれないが、全然そうではない。どちらかというと元山さんみたいな人たちが声をあげると、知らぬ間に政治家が参加しているということだ」と補足。
「それこそ箕輪さんが嫌いなダメなデモとか、そういうツケをSEALDsの彼が全て背負ってしまった感じもする。本来、デモやストライキは民主主義のコスト。ゆったり鷹揚に構えていれば、ひろゆきさんがフランスで見ているように、"デモがあっても全然大丈夫"という感じになる。しかし、日本の我々は渋滞になると面倒くさいし、カリカリしてしまう。そしてデモ嫌いになってしまう。安保法ではうまくいかなかったけれども、他のデモや抗議行動で結構成果が出ていることもある。例えばレインボープライドが続いた結果、渋谷区ではLGBTQの結婚が認められるようになったし、成果も出てきている。そして、実は古いタイプのデモは少数派になっていて、どちらかというとフェスのようになっていて、サウンドカーを出して路上をレイブパーティーにし、踊ってしまうみたいな感じが今の主流だ。ちょっと"パリピ"っぽくなってしまっているが、そういうデモをテレビではあまり報じず、昔ながらのおじいさんやおばあさんがシュプレヒコールを上げる、ステレオタイプなものばかりが報道されてしまう。東京レインボープライドなど、いくつかのデモは参加しやすいものだ」(五野井氏)。
また、カンニング竹山が「しかし、結論から言えばムーブメントを起こせず、選挙でも全て負けているではないか。日本中には響かなかったと結論付けられても仕方ないのではないか」と疑問を投げかけると、五野井氏は「短期的には負けだと思う。しかし、SEALDsなどの活動が元になり、野党が共闘して一人区を立てるようになったし、政治の再編の流れも出てきた」とした。
■夏野剛氏「"そこまでして訴えるべきか?"というテーマが多い」
一方、訴えている内容と、その方法の違いにデモに対して嫌悪感を抱く人もいるようで、「デモに参加したいと思うか」についてアンケートを取ってみたところ、「参加したくない」が67%、「参加したい」が3%、「どちらとも言えない」が30%という結果だったという。
そんな否定的な意見を国会周辺で行われた反政府デモの参加者にぶつけてみると、共通するのは、デモは問題を知ってもらうための手段という考え方。そして、それを入口に社会を変えることに繋がるという考え方だった。平日の日中という事もあり、参加者のほとんどは高齢者だったが、「庶民の意識がそこまで成熟した状態になっていない。デモだけではダメ。ただし、逆に言えば、(デモを)し続けないとそれがなかったかのようになるし、知ろうとする人にも伝わらなくなるのでデモは大切な行動の一つ」と指摘。ある参加者は「特に若い人が諦めないで行動するということを始めてもらったら実感できると思う。できればバーチャルな世界だけでなくてリアルの世界できちんと意思表示しないと、私たち自身が、皆さん自身が暮らしにくくなってしまうんじゃないかなと思う」と語った。また、あいちトリエンナーレの補助金交付中止に対して抗議しているという人は「文化庁の補助金不支給の問題は補助金行政の透明性もしくは行政の信頼性そのものを疑わせるような重大な問題だと思う」と訴えていた。
慶應義塾大学の夏野剛特別招聘教授は「これだけのネット社会で交通を妨害してまで訴えるべきものなのかと言われれば、そうじゃないものが過半だし、ただアテンションを得ようというものも多すぎる。それが受け入れられていないということだ。特定秘密保護法?そこなのか?と思うし、社民党や共産党に乗っかっている気もする。そこじゃねえだろうと。例えば、年金で言えば、僕の下の世代は、払った額以上はもらえない。これについて言ってやろうとは思わないのか?そっちだったらもっと共感得られるのに、高齢者が来ないからやらないのだろう。弱者や高齢者ばかりに税金やっていたら産業は発展せず、税金の原資もなくなる。そうではなく、強者を育てて、そこから剥ぎ取らないといけないし、若い人の生活保護の審査は厳しく、そのためにどれだけ公務員のリソースを割いているかを考えれば、ベーシックインカムやれというデモをやればいい。表現の自由もあるし、マスメディアもうるさいので、警察も認めるので実施しやすい環境ではあるが、あまりにも細かく、響かない主張でやり続けると、デモそのものが信頼を失ってしまう。そこを考えずにやってきた部分があるのではないか。まともなことを訴えるか、まともな対案を示したら良いと思うし、それと連動した示威行為としてデモがあるのがいい。LGBTのキャンペーンは、それが計算されていた気がする」と指摘。タレントの池澤あやかも「"安倍やめろ"とか、とにかく"反、反、反"というイメージが強くて、共感よりも対立を呼んでしまうものが多い」と印象を語った。
さらに箕輪氏は「メッセージが明確で、ファッション性があれば盛り上がると思うが、それ一辺倒になっている気がする。先日、映画『ジョーカー』を観たが、まさに生まれた時から不遇で、あらゆる不幸を味わった人たちが不満を爆発させるのがデモや暴動で、それが世の中を変えることはあると思う。その意味では僕は恵まれているし、ルールの中で努力をすれば報われる、だから頑張ろうと思うが、だからこそ想像できないこともあると思う。だからこそ、自己満足のデモが横行するとまたやってるなと思ってしまう」と指摘。
元山氏は最後に「2011年に沖縄から東京に出てきた時、サウンドカーを持ってきて、ラップやスピーチをしている脱原発デモを見て、"こんなデモもあるんだ"と目を開かされた。SEALDsでもそのスタイルを受け継いでいるところはあるし、自分としては音楽を使って文化と政治を近づけ、訴えやすく、響きやすくしたい。できるのであれば、それぞれが企画してそれぞれの問題についてかっこいいデモをやればいいと思う」と話していた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)
▶映像:スタジオでの討論の模様(期間限定)
■Pick Up
・キー局全落ち!“下剋上“西澤由夏アナの「意外すぎる人生」
・「ABEMA NEWSチャンネル」がアジアで評価された理由
・「ABEMA NEWSチャンネル」知られざる番組制作の舞台裏