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(エンディングでは最上九(左)をエースに育てると宣言)

 昨年から今年にかけ、マット界で最も精力的に活動してきた選手の1人が藤田ミノルだ。団体を渡り歩き、プロレス大賞ベストタッグを受賞。新日本プロレスに殴り込みを果たしたこともある藤田は、現在フリーとしてさまざまなリングに上がっている。結婚して地方在住だった時期もあるが、数年前から家族と離れて関東に戻り、プロレスに専念。もはや存在そのものが“ザ・プロレスラー”だ。

 ガンバレ☆プロレスでは大家健の天敵として団体の停滞を指摘し、プロレスリングBASARAでは代表の木高イサミをサポート。後輩にあたる“デスマッチのカリスマ”葛西純が持つFREEDOMS王座に挑んだ際にはファン参加の「チケット即売会&決起集会」を開催した。フリーではあるが、自身がメインを務める以上は集客にも責任を持つというスタンスからだ。

 葛西戦、イサミ戦、ガンプロでの今成夢人戦に勝村周一朗戦と、今年の藤田は名勝負を連発してきた。11月3日のDDT両国国技館大会にはBASARA代表として若い下村大樹とチームを組み、KO-Dタッグ王座に挑戦している。ここで藤田が掲げたテーマは「シモム(下村)を男にする」。フリーだから自分が目立てばいいというわけではなく、参戦する団体全体を活性化する方法を常に考えているのが藤田ミノルというレスラーなのだ。

 3カ月ほど前からは、千葉を拠点とする2AWで「藤田プロレススクール」というユニット(企画)を始めた。藤田と旧知のレスラーたちが教師となり、2AWの選手たちにプロレスを指導するというもの。いわゆる軍団(ユニット)抗争のようでいて、相手を育てるという目的がはっきり打ち出されているわけだ。

 2AWの前身はKAIENTAI DOJO。常設会場の2AWスクエアも、KAIENTAI時代から使われてきた。今年に入って代表が退団し新団体を旗揚げ、残ったメンバーで作られたのが2AWだった。藤田はかつてKAIENTAI DOJOに所属しており、2AWは変則的な“古巣”となる。

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(笑いの要素も織り交ぜつつ、旭とテクニカルな闘いを繰り広げた藤田)

 藤田プロレススクールは専用のツイッターアカウントとハッシュタグを作り、SNSでも「先生」たちが選手を“指導”していった。11月19日には、2AWスクエアで藤田プロデュース興行が開催された。その名も「秋の特別授業」。何かまた藤田が楽しそうなことやってるな――嗅覚のいいプロレスファンは2AWに駆け付けた。

「第1試合、第2試合」ではなく「1時間目、2時間目」と呼ばれ、オープニングセレモニーは「全校朝礼」、2時間目の後には「中休み」が入った、この特別授業。だが“企画モノ”なのは表面だけだった。

 この日、藤田は旭志織とシングルマッチで対戦。15年以上のキャリアを持ち、業界屈指のテクニカルな試合ぶりで人気の旭は「生徒」とは言えなかったが、藤田には旭と闘う意味があった。

 両者は序盤からプロレスならではのグラウンドの攻防を展開。反則も含めての技術戦でファンを唸らせた。試合はモダンタイムス・タイムス(3連続逆さ抑え込み)で旭が勝利。藤田に勝つことで、旭の実力があらためて示されたと言っていい。試合後の藤田は、旭に2AW無差別級タイトルへの挑戦をうながした。曰く「後輩に道を譲るとか言って、楽してんだろお前は!」。

 ベテランに奮起を求めた藤田は、メイン勝者の学級委員長こと最上九を「一年かけてチャンピオン、エース、誰もが認める看板にする」とも。バックステージでは「選手たちに可能性を感じるし、それを埋もれさせちゃいけない。もっと多くの人に見てもらわないと」と語っている。

「常設会場を持つ団体って今までもあったけど、結果どうなってますかって。それでも意地を貫くならなんぼでも協力するし」

 藤田プロレススクールとは、つまり流浪のフリーレスラーとなった藤田の“古巣”への思いを形にしたものだ。だからこそ、藤田が連れてきた“教師”にはヤス・ウラノに関根龍一とKAIENTAI DOJOのOBが多い。

 吉田綾斗やタンク永井のように体格に恵まれた選手もいれば、若い女子選手も成長している。ベテランも有望な新鋭もいて、常設会場という城まである。確かに可能性は充分だ。予期せぬ“再旗揚げ”で始まった2AWをどれだけ前進させられるか。藤田は「まだまだこんなもんじゃない」と言う。

 平日にもかかわらず、2AWスクエアはほぼ満員となった。やはり“藤田プロレススクール効果”か。これからは、それを2AWの地力にできるかどうかが問われる。

「やるからにはしっかりやりますよ。でも天邪鬼だから、気が向かなくなったらいなくなるだけ」と藤田。しかしその真意は「俺が盛り上げなくても大丈夫な団体になってくれ」に違いない。藤田の立場は立場はあくまでフリー。しかし団体への献身では決して所属選手に負けていない。

文・橋本宗洋

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