タクシー運転手の父をアメリカ兵に奪われ…補償をめぐって日米両政府と闘い続けた沖縄の若者
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 「国を相手にする怖さもある中で自分の好きな歌を歌って、負けねえよ、っていう…」

 沖縄の海に向かって歌う、沖縄県宜野湾市在住の宇良宗之さん(34)。父・宗一さんがアメリカ兵に襲われ人生が一変した。「泣き寝入りは絶対にしないという思いで、次のステップに取り組んでいこうと、そして、そういう姿勢を見せていこうという思いがあります」「加害者の米兵側が逃げられて、被害者側は放置されるような制度になってしまっていることに、どうしても納得いかないんですよ」。

 強い日差しが降り注ぐ8月14日、宗之さんは、国を相手に裁判を起こした。わずか146万円の見舞金で終わらせようとする「アメリカ」と、法律で認められた権利に向き合おうとしない「日本」。諦める被害者も多い中、アメリカ軍絡みの犯罪被害に対する補償のあり方をめぐって、両政府と10年以上にわたって闘い続けている。

■タクシー客の米兵が暴行

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 始まりは2008年にまで遡る。年明け早々の1月7日、午前3時半ごろ。宗之さんの父・宗一さんが運転するタクシーに、2人の米兵が客として乗りこんだ。しかし目的地に到着しても2人は降りようとはせず、「フレンド、フレンド(=友達が近くにいる)」と、別の場所を指示する。暗い住宅街を走り続け、30分ほどが経った時、「プリーズ、マップ、マップ」と言われた宗一さんが地図を取り出そうと、ダッシュボードに手を伸ばした瞬間、酒瓶で頭を殴打された。宗一さんがタクシーから逃げ出しても暴行は続き、全治1カ月の大けがを負う。「クラクションを思い切り鳴らしたそうなんですよ。もう逃げ場がないっていうことで。頭に包帯を巻いて、顔も膨らんでいるような状態で。歯も10本くらい飛び散って…。」(宗之さん)。

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 宗一さんは心にも大きな傷を負い、「心的外傷後ストレス障害」、いわゆる“PTSD”との診断を受けた。当時の診断書には、「夢で事件の場面を見ます。外国人を見ると怖くなります。犯人の服装が頭に残っていて同じような服を見るとドキッとしてしまいます」「早く仕事をしたいのに 忘れられなくて」という宗一さんの訴えが記されている。「当時の父親は、2人組の外国人を見るたびにフラッシュバックがあったようです」(宗之さん)。

 「日米地位協定」では、日本国内で事件・事故を起こしたアメリカ軍関係者に支払い能力がない場合、アメリカ政府が肩代わりする、としている。そのため、宗一さんは事件の翌年からアメリカ政府に対し被害の補償を何度も求めていた。しかし、アメリカ側からは何の回答もなく、家族に補償問題が重くのしかかったそして事件から4年後、宗一さんは仕事に復帰することも叶わぬまま、63歳で亡くなる。

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 宗一さんは、「歌手になる」という宗之さんの夢を応援していたという。「最初は反対されるかなって思っていたんですけど、“自分の好きな道を進んで行ったらいい”と」。仕事をしながら、少しずつステージにも立てるようになっていた時期に起きた事件。「父親の姿を見ていると、自信を失くしていく自分がいたんですよ」。心の病に苦しむ父親、一向に進まない補償、次第に歌から遠ざかるようになっていく。

■米軍からの回答は「見舞金146万円」

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 事件から9年半、宗一さんが亡くなってから5年が経った2017年11月、アメリカ政府から初めての通知が届いた。それは「最終的な解決として146万円を受け取ることに同意し、加害者・アメリカ政府を永久に免責する」という内容の“示談書”だった。宗一さんの体と心に傷を負わせた行為に対し、“見舞金”の名目でアメリカ政府が支払うのは、わずか146万1600円。その根拠さえ示さず、今後一切関与しないと一方的に突きつけてきたのです。

 「米軍側からは謝罪一つなく、見舞金だけで納得させようと、押しつけるような形なのが悔しかったんですね」。理不尽な回答から4カ月後、宗之さんは正当と思われる金額を求め、加害者であるアメリカ兵2名を相手に裁判を起こした。裁判で確定した補償額とアメリカ政府が支払う見舞金との差額を日本が肩代わりする制度、いわゆる「SACO見舞金」を受け取るための訴訟だ。

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 しかし、アメリカ軍絡みの犯罪に詳しい新垣勉弁護士は、この「SACO見舞金」の制度には課題があると指摘する。「被害者が加害者米兵を相手に民事訴訟を起こすことが不可欠の条件になっているが、米兵が海外に異動してしまうと裁判を起こさない被害者も多く、差額金支払い制度を利用することができないと、こういう状況が生まれる」。実際、SACO見舞金制度が設けられた1996年以降、アメリカ軍関係者が摘発された事件は沖縄県内だけで1200件近くに上るが、そのうち裁判に訴え、SACO見舞金を活用した例はわずか6件に留まる。宗之さんは、そんな苦難の道のりに挑んだのだ。

 そして2018年7月5日、裁判所は2名のアメリカ兵に2600万円の支払いを命じる。補償額が確定したことを父の墓前に報告した宗之さんは「諦めたことも一度ではなく、何度もあるんです。10年かかりまして、やっと判決だよということを報告できましたね」。

 事件から11年、補償問題はようやく動き出したかに見えたが、10カ月が経った今年5月、事態は急変する。

■日本政府「“遅延損害金”は対象外」

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 「SACO見舞金を支給することになっておりますので、その手続きについてご説明に伺いました」。しかし、弁護士事務所にやってきた沖縄防衛局職員の説明は宗之さんにとって受け入れ難いものだった。

 「遅延損害金」が引かれていることを指摘する弁護士に対し、防衛局側は「(SACO見舞金は)判決額との差額ということですけれども、従来から話しているように、(確定した補償額に含まれた)遅延損害金は見舞金の対象ではありません」と説明、確定判決から米側の補償額と遅延損害金などを差し引いた額を支払うと提示してきたのだ。

 民法上、支払いが滞った場合に加害者側は裁判で認められた損害賠償額に一定の利率をかけた利息分を支払わなければならない。これが「遅延損害金」だ。前出の新垣弁護士は「被害者救済のために、加害者に対してペナルティーを科して早めに被害補償を行わせるというのが本来の遅延損害金の目的なんですね」と説明する。つまり、事件から10年近く待たされた宗之さんたち家族が当然要求していい権利だということだ。「政府の方は、国はもともと責任はないんだから、被害者救済のための単なる見舞金なんだから、元金を払うか、遅延損害金を払うかは自由な裁量なんだ、こういう立場だった」。損害賠償額の半分を超え、900万円にものぼっていた遅延損害金。日本政府はこの部分を支払わないだけでなく、事件を起こしたアメリカ兵に請求すべきだと突っぱねたのだ。

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 どんなに補償が長期化しても、日本政府が遅延損害金の支払いを認めたことは一度もないという。「(アメリカ兵2人の)所在地すらわからないし、どのようにして請求したらいいのか、まったくわからない」(宗之さん)。被害者を救済するためにあるはずのSACO見舞金が高い壁として立ちはだかった。解決の糸口を見出せない中、宗之さんは“ある人”の元へと向かった。

■妻の命を奪われた男性との出会い

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 東京湾の入り口に位置する神奈川県横須賀市は、アメリカ海軍と海上自衛隊がある軍港の街。日米安全保障体制を象徴する場所でもある。基地のすぐ近くにある“どぶ板通り”を軍服のアメリカ兵が見回りをする姿は、沖縄と似た雰囲気も感じさせる。

 この街に、宗之さんの会いたかった人がいた。山崎正則さんだ。宗一さんの事件の2年前、妻・好重さんの命がアメリカ兵に奪われた。好重さんは3カ月前に引っ越したばかりのマンションから仕事に向かう途中、歩いて5分のところにあるビルの前で空母「キティホーク」の乗組員だったアメリカ海軍兵士に殺害された。殴る蹴るの暴行は10分間にわたって続き、肋骨を複数折られ、内臓は破裂。失血死だった。「事件から1週間くらい過ぎたところで、初めてお棺に入ったところを見た。顔がめちゃくちゃで、誰だかわかんないくらいだった。泣いたよ。ガンガン泣いた」。

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 バスの運転手として働いていた山崎さんと職場の同僚だった好重さん。出会って7年目のことだった。「定年になったら旅行に行こうかとか、いろんなことを言ってましたから。それができないのが残念だなって…」。遺影が立てられた仏壇は、好重さんが山崎さんの両親のために買ってくれたものだ。

 日米両政府に対し、事件を起こしたアメリカ兵の監督責任を追及する闘いを続けてきた山崎さんに、宗之さんは疑問をぶつけてみた。「勝ち負けにこだわるよりも…補償を求める闘いをやってみることに意味がある?」「ありますよ。米兵が謝罪したって意味もない、防衛省が謝罪したって心がこもってない。私の事件が起きた時だってね、金はいらないから好重を返してくれって言ったんですよ。そんなことできないでしょ。できないなら、金で償うしかないんですよ。そういうことを考えれば、遅延損害金は闘わなきゃダメ」。

 しかし、補償に区切りがつくまで9年もかかった山崎さんの場合でも、遅延損害金は支払われなかった。それでも山崎さんは「遅延損害金のことは、これからの米兵事件をなくす意味もある。もし国が支払ったら、日米地位協定を根本的に変えるぐらい大きなことだ」とし、沖縄の法廷で証言する、一緒に闘おうと激励してくれた。宗之さんも、「僕も山崎さんの言葉を聞いて活力といいますか…。僕は今回、最後までやると言えます」と力を込める。

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 「おとなしそうな感じがしたんだけど、意思は強いね。私もできることはやりたいな、応援したいなって」(山崎さん)。この出会いから1カ月、宗之さんは遅延損害金の支払いを国に求める裁判に踏み切った。「国に、確定判決を得た通りに動いてほしいというのが強い思いなんですよ。そこにしっかり向き合って、認めてもらいたいなと思っています」

 再び歌の練習を始めた宗之さん、一度は諦めた夢を改めて追いながら、国を相手に、闘いに挑んでいる。
 

(琉球朝日放送制作 テレメンタリー『動き出した補償 ~泣き寝入りしてたまるか~』より)

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