トップアスリートが引退を決断するとき、そこには多くの葛藤がある。
まだやれる――。自身も周囲もそう感じていたとしても、客観的に見つめる“もう一人”の自分が、決断を促す。シュライカー大阪の稲田瑞穂は、「日本代表に呼ばれない現実」から目を背けなかった。
フットサルが好きだから、優先順位が変わるだけ
「自分のなかで去年の終盤から今シーズンの最初の方で調子もよくて、手応えもありました」
大阪のサイドアタッカーであり、切れ味鋭いドリブル突破を武器にチャンスメイクする稲田は、昨シーズンのFリーグ優勝を争うプレーオフで異彩を放った。王者・名古屋オーシャンズに挑んだプレーオフ決勝の第1戦を3-2で勝利した大阪は、第2戦の終盤まで0-3と、ビハインドを背負っていた。優勝にはあと3点が必要――。そんな場面で口火を切ったのが稲田だった。左サイドを突破してゴールをこじ開けると、その直後には、味方のシュートのこぼれ球に反応して、続け様の得点で1点差に迫ることに成功したのだ。
結果は2-3で敗れ、2戦合計スコアで並びながらリーグ戦の順位によって優勝を逃したものの、稲田は大舞台で、記憶と記録に残る爪痕を残した。自他ともに認める活躍もあって、稲田自身「日本代表に呼んでもらえるかもしれない。チャンスがあると思っていた」というが、その後の代表活動に招集されることはなかった。
「自分のなかでは全力を出し切りましたが、実力不足で呼ばれませんでした。9年間、Fリーグでやってきたなかで『日本代表』がかなり多くの部分を占めていました。小さい頃からの夢でしたから。もっと長くプレーできたらよかったのですが、自分自身で区切りをつけようと考えました」
稲田は今年34歳。サッカーよりも“ピークが後ろ”とされるフットサルでは、30代前半で「プレーの衰え」を理由にFリーグを引退する選手が多いわけではない。事実、ベテランの域に入ってきた稲田は、左右の足で巧みにボールを操る“二刀流ドリブル”を武器に、右サイドでも左サイドでも存在感を放っていた。経験値も上がり、味方を助けるサポートの質も円熟味が増し、チームに不可欠な選手の一人であることは間違いなかった。しかし稲田は、日本代表に選ばれない現実を悟ったことで、トップの舞台を去る決断を下した。
12月13日、クラブを通して発表されたリリースには「Fリーグからの引退」と記されていた。あくまでもFリーグで蹴ることをやめるだけ。稲田はそこで「生涯現役」を宣言した。
「優先順位が変わるだけ。フットサルは好きですから。これからは、フットサルとサッカーをやっている子どもの成長を見ていきたいですし、家族に迷惑がかからずに活動できるチームがあれば、蹴り続けたい」
その言葉には、日本代表に選ばれなかった稲田が引退を決めた、もう一つの理由が含まれていた。
「子ども(長男)が1年生で、フットサルとサッカーをしていて、その成長も見ていきたいなと。これまでは土日は遠征でつぶれてしまうことも多かったですし、家族との時間を増やしたい」
平日は練習や仕事があり、土日は試合でつぶれる。Fリーグ2年目の年に誕生した我が子の成長を、この9年間は満足いくまで見てあげることができなかった。そんな葛藤も、稲田が引退を決断した大きな理由。選手、仕事、家族。そうしたものを天秤にかけたときに何を大事にするか。これからは家族との時間を増やしながら、子どもの夢に寄り添っていく。日本代表志向から、家族志向へ。それが稲田の選択だった。
とはいえ、稲田の戦いは続く。リーグ戦は残り4試合。現在3位の大阪がこのままプレーオフに出場すれば、準決勝、決勝を含めて最大8試合でピッチに立つ。その後には、日本一を決める全日本選手権もある。「残り1試合でも多くチームでプレーして、2つの頂点にいきたい」。稲田は最後、どんな生き様を見せるのか。
(AbemaTV/「Fリーグ2019-2020」より)
文・本田好伸(SAL編集部)