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(自分なりのスタンスを語りながら、必ず「そうじゃない人を否定はしないですけど」と付け加えていた)

「インディーでプロレスやってる人間なら、藤田さんの凄さが分かる」

 DDTのタッグ王者・佐々木大輔は、11月の両国国技館大会で対戦する際に藤田ミノルをそう評していた。フリーとして2AW、BASARA、FREEDOMSなど数多くの団体に参戦している藤田は、間違いなくインディーマット最重要選手の一人だ。

 1977年生まれの42歳。大日本プロレスでキャリアをスタートし、ZERO1-MAX時代に日高郁人とプロレス大賞ベストタッグを受賞したこともある。一時期は福岡で家族と暮らしていた。女子プロレスラーだった妻との間に2人の子を授かり、安定した生活をしようと考えていたそうだ。柔道整復師の資格を取るための勉強をしながら、プロレスは地元の大会などに限定的に参戦していた。

「若い時に東京で頑張って、田舎に帰って働きながらできる範囲でプロレスをやる。そういう生き方もアリだと思うし、そのモデルケースになろうと思ったんですけどね……無理でしたね。何か耐えられなかったんでしょうねぇ(苦笑)。同じところにとどまっていられないというか」

 団体をいくつも移り変わって、現在はフリー。家族と別れ、関東に拠点を戻してのレスラー生活は楽しげであり、同時に自分の生きる道を定めて退路を断った人間ならではの迫力も感じる。

「フリーでやっていく自由さと厳しさでいえば、それは厳しさのほうを強く感じますよね。その厳しさをどう乗り越えるか。乗り越える術が“自由さ”なんじゃないですかね。実際、タブーもないんですよ。気に入らないヤツがいたら悪口言うし(笑)」

 生き方だけでなくファイトスタイルもまた自由だ。今年で言えば葛西純とのデスマッチ王座戦、女子レスラー・春日萌花との男女シングル対決どちらも名勝負。木高イサミ、旭志織との緻密なグラウンド戦も印象深い。春日戦は、某メジャー団体のベテランレスラーにも褒められたそうだ。

「いや驚きましたね。ビックリしすぎてどこがよかったか聞くの忘れちゃいましたけど。女子との試合も特に抵抗はないですよ。僕が若い時は、女子相手だとセクハラしてお客さんを笑わせたりっていうやり方がありましたけど、今は求められてないかもしれないんで違うスタイルでやりました。まあセクハラマッチのほうが盛り上がる場合もあるんでしょうけど、そこはその場の空気を読みながらですよね。お互いが損しないで、なおかつ得るものがあればいいので。それは男子の試合も同じですし」

 大流血もすれば観客を大爆笑させもする。藤田のプロレスは幅が広く、それゆえどんな団体でも活躍できる。

「でも確固たるスタイルとか芯がないんですよ、僕は。いっときそれで悩んでたこともありますね。まあ“こんにゃくレスラー”。デスマッチならデスマッチを極めようという選手には目障りかもしれないですよ、だから。自分は何かを極めて、昇りつめるってことはないのかなって。分からないですけどね」

 とはいえ、どんなスタイルでもやれない相手はいないんじゃないですか? そう聞いてみると「それはそうですけど」という答えが返ってきた。何が得意なのかといえば、おそらく“プロレスが得意”なのだ。キャッチフレーズの一つは“場末のMr.プロレス”である。器用だが器用貧乏にはならず、フリーとして仕事が途切れることがない。代わりのいない選手でもあるのだ。

 ツイッターアカウントを3つ使いこなし、興行を煽っていく光景もおなじみだ。ユーモアをまぶしながら対戦相手と舌戦を展開し、そうして試合の意味付けを広めていく。

「そういう作業はやるほうだし、やっていかなきゃと思ってますね。レスラーとしてやることやらないとって。専門誌が僕が出ているような団体にページを割けないんなら、自分で発信すればいいだけの話で。言い訳しないでリングに上がりたいじゃないですか。やることやってお客さんが入らなかったら素直に認めて次まだ頑張ればいい。グチなんか出ないはずなんで。会場ガラガラなのに“俺たちだって凄いことやってんだ”なんて負け惜しみは言いたくないじゃないですか。そのためにはいろいろ仕掛けていかなきゃいけない。正直いうと、もう5年早く今みたいに(SNSで)やってればなって思いますけどね」

 FREEDOMSでのタイトルマッチ、葛西戦は後楽園ホール大会のメインだった。試合が決まった時から、藤田は観客動員を常に意識し、プロレスショップで「決起集会」を自主開催してもいる。BASARAのホープ・下村大樹と組んでDDTタッグ王座に挑戦した際には「自分の役目はシモムーを男にすること」だと語った。最近は2AWで『藤田プロレススクール』を開講。“教師と生徒”という関係性を作って古巣の後輩たちに刺激を与えている。

「自分が今からチャンピオンになるとか、前に出て引っ張るっていう感覚はないんですよ。2AWに関しては、所属選手たちに対して自分の後輩という感情があるので。盛り上げたいし、若い選手が多いから自分がアドバイスできるところもあるのかなと。外(他団体)にたくさん出ている選手ばかりでもないので、団体内にいては分からないことも伝えたいですし。本当はみんなどんどん外に出るといいんですけど。2AWに限らず、フリーですけど、そのリングに還元できるものがあれば、とは思いますね。“試合に出る日はその団体の所属”というくらいのつもりで。そこまでしなくていいって言われたらしないですけど(笑)」

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(硬軟自在のプロレスで、2AWの若い選手たちとも“授業という名の抗争”を展開)

 1月1日には、王子ベースメント・モンスターで『藤田プロレススクール外伝 プロレス侍』を主催する。いわゆる自主興行なのだが『藤田ミノル自主興行』と銘打たなかったのは「自分が前に出る」という意識が薄いからだ。ちなみにグッズも「藤田ミノルTシャツ」のように自分を押し出すことはない。「藤田プロレススクールTシャツ」をはじめ、企画やキャラクターのグッズを制作するようにしているそうだ。

 この『プロレス侍』で、藤田は鈴木秀樹と対戦する。大日本プロレスからノア、アイスリボンまで幅広く活躍する“ビル・ロビンソン最後の弟子”鈴木は、藤田と双璧をなす最重要フリーレスラーだ。

「元旦に興行やることになったんですけど、お客さんからしたら出かけるのも億劫じゃないですか。元旦でも出かけたくなるようなカードって何かなと考えた時に“あ、(鈴木が)いた!”と。鈴木選手の凄さは、もう言うまでもないですよね。自分を客観視できる選手で、穴がない。それから偏屈ですね……。試合のスタイルは全然似てないけど、中身は自分とどっかしら似てるような気もしますね」

 他にディック東郷vs進垣リナ、MAZADAvs新井健一郎、翔太vsヤス・ウラノと異色かつマニア垂涎、それでいてプロレスの深い部分を見せてくれそうなラインナップだ。試合はすべて15分一本勝負。「もうちょっと見たいな、とかまた見たいなと思ってもらいたい」という時間設定だそうだ。そこには「お腹いっぱいになることだけがいい興行なのか」、「限られた時間の中で何を見せられるのか」という実験という要素も含まれている。

 プロレスのスタイルは限りなく自由で、しかしプロレスラーとしての生き方、見せ方には妥協しないのが藤田ミノルというレスラーだ。関東に戻ってから年々、試合数(つまり仕事の量)は増えているが「少しセーブすることも考えてます」と言う。

「ベストなのは月10試合、年間120試合ですかね。フリーなんで仕事は多いにこしたことはないんですけど、仕事の質を落としたくなくて。コンディションだったり集中力だったり“あんまり告知しませんでしたけどこないだこういう試合出てました”みたいなことも言いたくないし。試合数が増えると“結局、今日は何が残せたんだろう”みたいなことも出てきちゃうわけですよ。僕の試合が見たくて来てくれた人たちをガッカリさせたくないですし。ごく少数ですけどいるので、そういう人たちが」

 どのベルトがほしいとか、この選手と闘いたいとか、もはやそういう思いはない。目標は「一日一日を悔いなく生きる」ことだという。

「団体に所属してると、安心感はあるんですよ。ZERO1-MAX時代がそうでしたね。収入が安定してたし、ベストタッグ賞ももらって。だけどあんまり記憶に残ってないんですよ。ポイントポイントで“あれはいい試合ができたな”というのはあるんですけど記憶の時系列が前後してたり。今はフリーとして、全部の試合をしっかり記憶していられるものにしたい、自分にとってもお客さんにとっても。試合を消化しちゃうっていうのが、自分が一番もどかしいと思うタイプのレスラーですからね。プロレスって流されるのは簡単なんです」

 では藤田にとって“プロのレスラー”の条件は何か。「これができないヤツはプロじゃない」という基準はあるのか。藤田の答えは、いかにも藤田らしいものだった。

「練習しないヤツはプロじゃないって言っても、ジム行ったら練習なのかっていうのもありますからね。“ウェイトトレーニングはプロレスの練習に入りますか?”って、それも人それぞれじゃないですか。だから基準なんてないんですよ。僕も社会人プロレスの団体に出たことありますし、バイトしてる人間がプロを名乗るなと言うつもりもない。結局、他人にどうこう言える人間はいないんじゃないですか。大事なのは信念というか、自分の中で納得できるものがあるかどうか。それだけでしょう。言い方を変えると“お前なんかプロレスラーじゃない”って否定された時に“黙れ!”と言い返せるかどうか。僕は言えますよ。どんな大きい団体の選手にも言える」

 デスマッチでも女子との試合でも、あるいは元旦でも。藤田ミノルのファンはそのやわらかいが揺るぎない信念を見るために、会場に足を運ぶのだろう。

文・橋本宗洋

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