「令和の時代になっても国の指定難病は333疾病、国内の患者は少なくとも90万人以上います。私は青森市内の焼肉店であるものを偶然目にしました。そこには自分の子どもがA-Tという難病であること、その難病は治療法がなく、長くは生きられないということが書かれていました。このパンフレットをきっかけに、私は少年を取材することにしました。」(青森朝日放送・中嶌修平ディレクター)
■「人の4倍の速さで、いろんなことを経験させてあげたい」
小山内龍弥君は、小学校3年生から特別支援学級に通っている。10万人に1人といわれる難病「毛細血管拡張性運動失調症」、通称“A-T”を患っている。遺伝子の異常によって発症する病気で、目は充血し、疲れやすくなる。国の指定難病で、現在、治療法はない。
病気が進行すると、ふらつきがみられ、字を書くことや、うまく話すことが困難になる。さらに歩くことだけでなく、立っていることすらままならない。
東京・文京区にある東京医科歯科大学で20年以上にわたってA-Tの研究を続け、龍弥君の主治医でもある高木正稔准教授は、A-T特徴について「非常に免疫が弱い免疫不全症。そして、がんになりやすい。僕らの統計の結果から言うと、平均寿命はだいたい26歳前後」。
5歳の頃は健常者と変わらず歩き、雪山を元気に駆け上がっていた。しかし年を重ねるごとに症状は進み、この2年前からは車椅子での生活を余儀なくされている。
「難病支援しています、よろしくお願い致します」。母親の美和子さんは、A-Tの治療法確立へ向け、2年前にNPO法人「ふたつの虹」を立ち上げ、病気の周知活動を続けている。
「確定診断がついた時には、もう2カ月くらい布団から出られませんでしたね」龍弥君の病気が分かってから、美和子さんの生活は一変した。仕事を辞め、全ての時間を龍弥君に費やしてきた。
「いいですか?はいチーズ。OK。はい終わり」。龍弥君は感染症などを防ぐため、週に1回、注射を打っている。治療法のない中で、唯一できることだ。
しかし病状が進むにつれて、龍弥君と将来の夢やこれからやってみたいことを話さなくなっていった。それでも息子が何をしてみたいのか。美和子さんは、ずっと気にかけていた。
「病気が治ったら何をしてみたい?」。そう尋ねると「はしりたい。とにかくはしりたい」と龍弥君。「病気が治ったらはしりたいというのを話していました」と報告すると、美和子さんは「龍弥ですよね…」と涙を拭った。
「人の4分の1しか生きられない…。だから人の4倍の速さで、いろんなことを経験させてあげたいなと思っています」。
龍弥君が毎年楽しみにしている町のマラソン大会。疾走するランナーたちを、龍弥君はじっと見つめていた。美和子さんは、少しでもマラソンの雰囲気を感じて欲しいとコースへ連れて行く。
NPOのメンバーの「龍ちゃん行くよ、よーいドン!」の声に合わせ、龍弥君が車椅子で走り出す。「よし頑張れ!」「頑張れここきついよ坂道!いいよ、いいよ、上手上手!」。美和子さんが励ます。毎年コースの外から眺めていた、満開の菜の花。「頑張れ、頑張れ!菜の花を見ながらこげ!」。みんなの笑顔。龍弥君、力一杯、車椅子をこぎ、風を感じていた。
■「必ず治療法見つけるから!」病気の告知をすることを決意
去年12月。美和子さんには、ずっとうしろめたさを感じていることがあった。それは、龍弥君に本当の病気のおことを伝えられないでいることだ。病気であると診断された当時は龍弥君が幼かったため、美和子さんは「足の病気だ」と言い聞かせ続けてきた。
「あっちから言われるのも、隠していたと言われるのも嫌でさ。こっちから言いたいなというのもあるんだけど。それがいつのタイミングなんだろうと」。11歳になった龍弥君が、自分の身体の状態がそれだけではないと気づくのも、そう遠くはない。
今年1月。街がお正月ムードで賑わいを見せる頃、美和子さんは覚悟を決めた。龍弥君を連れ、東京の病院へと向かった。病気の告知をすることに決めたのだ。
「龍弥君も大きくなって来たから、そろそろいろんなことを話しても良いのかなと思って、お母さんと相談して龍弥君の病気のことを伝えようかなって思っています。これ、生まれつきの病気なんだ。この先どうなるのか、なかなかすぐには治らないと思うんだ。でも病気とお付き合いしていかなければならない」(高木准教授)。
「OK!」と龍弥君。美和子さんの「龍弥この先心配なこととかない?」との問いかけに「ない」。「無敵か、無敵だな。あれもこれもやっているもんな」。
そして美和子さんは「龍弥持って!あとで読んで」と、龍弥君に一通の手紙を渡した。
『龍弥へ
龍弥、本当の病気のことを今までずっと言わなくて、ごめんなさい。
ママは毎日泣きました。龍弥の寝顔を見るともっと涙が出てきました。
健康な体にうんであげられなくて、不自由な思いをさせてごめんね。
でも、ママきょう今日であやまるのやめにします。
ママも龍弥の病気治すためにがんばるから!!!
ママ、必ず治療法見つけるから。』
告知から9カ月が経った今年10月。12歳になった龍弥君にとって、小学校生活最後の学習発表会。ねぶた囃子を披露した。
身体の動きや話し方からは病気の進行は感じられない。残り少ない小学校生活で、友達との思い出を刻んだ。
「6年間、ご苦労様でした」「うん」「最高でした。行くか」「うん」「お腹すいたな」「うん」「おそば食べるか」「やだ」「から揚げ食べるか(笑)」。
突然告げられた余命。多くの難病は研究者が少なく、研究に必要な国の助成金も限られているため、治療法の開発が進みづらいのが現状だ。
それでも龍弥君と美和子さんは病気に負けず、できないことに負けず、「はしりたい」という夢に向かって令和の時代を駆け抜ける。